第12話【第二章】

「お前、残りの弾倉は?」

「あと三つだ。どれだけもつかな……」

「無反動砲の弾薬、あったら回してくれ」


 そんな物騒な遣り取りが耳をざわめかせ、木々の間からの日光が目に入ったところで、ようやく私の意識は戻ってきた。

 私の隣では、私同様のアルミニウム製ポンチョを被った健太がすやすや眠っている。その向こう隣に美穂や克樹の顔も見えた。


「沙羅さん、目は覚めたかい?」


 小銃を構えながら、西野准尉が声をかけてきた。


「はい。だいぶゆっくり眠れた気がします」


 その隣では、


「おい、出発するぞ」


 と言いながら、東間准尉が健太を乱暴に揺すっている。しかし、朝が弱い健太のことだ、まだ起きないだろう。私は一抹の安心感を覚え、ふっとため息をついた。


「昨日はどうだったんですか? その、私たちが眠っている間、ですけど」

「ん、ああ、それは」

「怪物の襲撃はなかった。君らは心配しなくていい」


 西野准尉の言葉を引き取ったのは、東間准尉だった。

 心配するなということは、死傷者は出なかったということでもあるのだろう。再び私の心が平静に向かおうとした、その時。


「きゃあっ! 怪物が襲ってくる! 助けて! 誰か!」

「落ち着いて、美穂さん」


 次に目を覚ました美穂を、輝流が宥めている。悪い夢を見て、そのまま目覚めてしまったのだろう。

 美穂は、いつもはしっかり者でムードメーカーを務める場面も多いのだが、未だ経験したことのない環境への順応性は欠けている。また怪物と遭遇した時、騒ぎださなければいいのだけれど。


 美穂がようやく落ち着きかけた、その時だった。地震にも似た揺れが、再び私たちを襲ったのは。

 

「総員、伏せて耐ショック姿勢!」


 父が叫ぶ。地割れが起き、木々が根元から揺さぶられる。それから再び聞こえてきたのは、ヴォン、という声とも機械音ともつかない不気味な音だった。


「神山二佐! 距離約五百、十時方向! 円盤です!」


 東間准尉が叫ぶ。しかし地面を割って現れた『それ』は、円盤だけではなかった。

 脚部が存在する。それが円盤部分、すなわち本体を支えるようにして、にょっきりと伸びていた。高さは今や、森の木々などとっくに追い越し、昨夜現れた時よりもずっと長身に見えた。


「円盤、脚部を含め百メートル近い大きさです!」


 これはまさか――。


「進化だ」


 克樹が呟いた。


「進化したんですよ、あの円盤は! 地球の重力下でも、自重を支えられるように! 足を見てください」


 その言葉に、皆は一斉に円盤から目を下ろし、その脚部に見入った。そして気づいた。それは今や、前回見た時のような、無機質なものではなかった。

 一言で表現するならば、脚部に筋肉質な、有機物がまとわりついているようだ。それは、アスリートの腕部や脚部を連想させる。そこに太い血管が張り巡らされ、グロテスクにも見えた。


「神山二佐、攻撃は!?」

「待て」


 父は様子を見ることにしたようだ。下手に刺激して、暴れさせるわけにもいくまい。


「こちらコマンド、全班に告ぐ。身の安全を確保の上、攻撃は控えろ。繰り返す。攻撃は控えろ」


 常時ならば、皆が父に従って攻撃を避けるところだ。しかし、残念ながら今は『常時』ではない。立派な『非常時』だ。


 私が伏せたまま見ていると、ちょうど多脚円盤の足元で爆発が起こった。明らかに、人間側の攻撃だ。どこかの班が、パニックを起こしている。


「馬鹿かあいつらは!」


 東間准尉が声を絞り出す。多脚円盤は一瞬よろめいたものの、すぐに体勢を立て直した。

 そして私は我が目を疑った。爆破された脚部が、一瞬で新たな筋肉組織で覆われたのだ。再度爆破、すなわち対戦車ロケット砲による攻撃が行われたが、今度の円盤はよろけることもなく、悠々と木々の間を歩く。

 この期に及んで、ようやく私は多脚円盤の全体像を視認した。主に身体を支える三本の足と、それを補助する無数の鞭のような脚部。円盤は深い緑色、モスグリーンで、脚部は銀色にてらてらと朝日を反射して輝いている。金属なのか有機物質なのか分からない筋肉組織が、まるでそれ自体が心臓であるかのように脈打っている。


「攻撃を中止せよ! 繰り返す、攻撃を中止せよ!」


 父が必死に呼びかけるが、応答はない。誰もが正気を失ってしまったとでもいうのか。

 

 そんな中、多脚円盤は思いもよらぬ挙動を取った。円盤部分を、お辞儀するように傾けたのだ。それから、円盤の頭頂部が真っ赤な光を発する。これは、輸送ヘリを撃墜した光弾を発射する前動作だ。


「皆、逃げて!!」


 咄嗟に私は叫んだが、遅かった。頭頂部の光はぐるり、と滑り下りてきて、地上にいるであろう別動隊に向け狙いを定めた。そして、ピシュン、と呆気ない音が一度。直後、ゴウッという爆風音と共に、私の視界は真っ赤に染まった。

 多脚円盤は、たった一発の光弾で、とてつもない広さの森林を焼き払ったのだ。

 思わず私が目を逸らし、頭を守っていると、何かがばさりと降りかかってきた。それは、土くれだった。あの光弾は、地面をえぐってクレーターを造るほどの威力を持っているということか。


「神山二佐、攻撃は!?」

「許可できん! あんなものを見せられては、迂闊に作戦が進められんだろう!」


 東間准尉の言葉をバッサリ切り捨てる父。こればかりは、私も父に賛成だった。

 あの班の隊員たちは、恐らく全員が即死だろう。その二の舞は避けなければ、先だった隊員たちに申し訳が立たない。

 

 しばらくの間、私たちはゆっくりと移動し、木陰に隠れて多脚円盤をやり過ごすことにした。ガシャリン、という硬質な音と共に、円盤はゆるゆると当てもなく歩いていく。やがて目的を果たしたのか、単に気が晴れたのか、円盤は主脚以外の多関節の鞭を使って猛烈な土埃を上げ、地面に没していった。


「皆、怪我はないか!?」


 父がすぐさま隊員たちの安否を確かめる。幸いなことに、この班には死傷者は出なかったようだ。しかし、皆の心はすっかり恐怖で染められてしまった。

 そして、まるでその恐怖感を代弁するかのように、騒ぎ出した者がいる。美穂だ。


「な……なん、なのよ……。何だったのよ今のは!?」

「シッ! 静かに!」


 東間准尉が、美穂を宥めようと声を飛ばす。しかし、それだけで落ち着けるはずがなかった。


「あの怪物、きっと私たちを皆殺しにするつもりなんだわ! 早く! 早くやっつけてよ! あなたたち武器を持ってるんでしょう? 何のための鉄砲なのよ! どうにかしてよ!」


 その言葉に、私はカチン、ときた。胸の中で、ざわざわと熱気が蠢く。


「民間人は守る、って言ってたわよね!? あたしたちだけでも森から出させて!」


 隊員たちは未だ黙している。そんな中、私はずんずんと歩を進め、美穂の前に立った。そして思いっきり腕を引き絞り、彼女の頬を引っ叩いた。否、殴りつけた。


「ッ!」


 美穂は息が詰まった様子で、そのまま呆気なく後ろに吹っ飛んだ。木の幹に背中をしたたかに打ちつける。


「おい、何をやってる!?」


 東間准尉が、はっと我に返って私の肩を押さえつけた。まさか民間人、それも私のような女子が拳を振るうとは思っていなかったのだろう。

 そんな東間准尉を、私はキッと睨みつけた。相手がどれだけ長身だろうが筋肉質だろうが不愛想だろうが、意に介さなかった。私がよほど凄まじい表情をしていたためだろう、東間准尉はごくり、と唾を飲んだ。これが西野准尉だったら尻餅をついていたかもしれない。

 私は素早く美穂に視線を戻し、思いっきり深呼吸をして叫んだ。


「あんた、馬鹿じゃないの!?」


 こんな大声を上げてしまっては、怪物を呼び込むようなものかもしれない。しかし、このまま美穂が喚き続けるよりはマシだと思った。

 そこから先は、私も声をひそめた。それでも、怒りの矛を収めるつもりは全くない。


「私たちが勝手に森に入ったんじゃない! 自業自得よ! それに、私たちを守るためために負傷したり、亡くなったりした人だっているんだよ? それなのに、さも自分が助かればいい、みたいなこと言って! いい加減にしなさいよ! この自己中女! そんなに怖いんだったら、私がここであんたを殺してやる!」


 我ながら、言葉が止まらなかった。美穂は為す術なく、木の根元にへたりこんで嗚咽を上げ始める。

 私は情け容赦なく、ずいずいと美穂の元へ。もう一回くらい、ぶん殴ってやろうか。

 しかし、


「お前もいい加減にしろよ」


 と言って、割り込んできた人物が一人。健太だった。


「仲間割れしている時じゃない。早く自衛隊の人のいう安全地帯に逃げ込むんだ。ここで野垂れ死にするわけにもいかねえだろ」

「あ、あんただって輝流くんを殴ったじゃない!」


 即座に反論した私に向かい、健太は


「だから分かったんだよ。仲間同士で争っても、なんにもならないって。詳しい事情は、後で輝流に訊けばいい。悪かったな、輝流」


 最後の一言は、輝流に向かって発せられたもの。私もつられて、輝流の方へ視線を飛ばす。

 健太に殴られたことによる外傷はないようだったが、あの時見えた青黒い、人間には非ざる血の色が、私の胸中に広がった。

 と同時に、私の興奮が一気に沈静化していくのも感じられる。私は肩を落とし、美穂とも健太とも目を合わせずに、自衛隊の隊列に戻った。

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