3-6

 あの首輪が何かの魔道具だということは流石に俺でもわかった。荷物の少ないエマがまた一つ物を手放した。


「あれ、いいのか?」

「……」

「エマ?」


 返事がないのに焦れて顔を覗き込めば、薄緑色の瞳が驚くように大きく見開かれてぱちくりと瞬きをする。


「大丈夫か?」

「ええ」


 エマが食い入るように見つめていた奥の扉に背を向けた。


「もういいの。私には必要のないものだし」

「でも、大切な物なんじゃ……」

「今はそうでもないわ」


 彼女が思考を切り替えるように首を振って、前を見た。その仕草が振り払う動きにも見えてますます心配になる。

 カウンターの向かい側には大きな本棚が置いてあった。背表紙に書いてある文字を何とか解読していくと、そのほとんどが魔導書であることが分かる。少し前までは何の意味も持たいない記号だったが、今では少しだけでも読むことができるのが嬉しかった。

 簡単な単語なら少しは覚えた。特に、魔法関連ともなれば、他の単語よりも語彙も多い。

 一つ一つ背表紙の文字を追っていると、エマがガラスケースの中に平置きにされている本に釘付けになっているのに気が付いた。

 興味本位で覗き込んでみる。もちろん読めるとは思っていないが、表紙から多少は読み取れるかもしれないと思ったのだ。表紙には白いユニコーンが描かれている。しかし、不思議なことにそのユニコーンの背中には白い翼が書き込まれていた。

 俺もユニコーンは見たことがある。長い角の生えた馬のことだが、翼なんか生えていなかったはずだ。翼の生えた馬はペガサスだろう。ごちゃまぜな絵だな、などと考える。

 どちらも珍しい魔物だから、時折奴隷の市で見かけた。奴隷商は人間ばかりではなく、珍しい魔物も商品として取り扱っていた。希少価値の高いもの、愛玩用として売られるもの、腕が多いとか、しっぽが多いとか、他とは見た目が違うもの。

 小さな檻に入れられて、体を小さく丸めて買われるのを待っていた。ニコも彼らと同じだったなと思う。

 真剣に魔導書を吟味するエマの横顔を見た。

 もう、あの檻に戻ることはないのだろうという確信があった。

 エマがふと視線を上げて、俺の方を見る。どうやら、俺が読めない文字に戸惑っていると思ったらしい。目の前の魔導書をガラスケース越しにとんと指さして教えてくれる。


「これは、幻影の魔法の魔導書」

「幻影の魔法?」

「そうよ。本来ありえないものを相手に幻影を見せて混乱させたり、陽動に使ったり……使い方は色々あるけど」


 だからユニコーンに羽が生えているのかと納得した。


「へぇ、便利そう」

「ニコにはまだ早いし、私には教えられないよ。幻影なんて……」


 俺の呟きにエマが怯むようにガラスケースから身を引いた。困ったように俺を見上げるその目が、不安そうに揺れている。

 自分を叱咤するようにエマが妙に明るい声をあげて、手近な魔導書を一冊手に取った。


「そういえば、ニコにも魔導書も買ってあげないと」

「魔導書?」


 意表を突かれて驚嘆したのは今度は俺の方だった。


「エマが使ってるやつでいいよ。」


 そんな風に言ってごまかす。正直、今勉強に使っている魔導書で一杯一杯なのだ。これ以上難しいものを教科書に使われるときっと勉強の進捗に支障が出る。

 しかし、エマは手に取った魔導書を顔の前に掲げて目を細めた。どうやら、俺の心は見透かされているらしい。


「あれ、難しすぎるでしょう。」


 核心を突かれて怯む。その表情を見てやっぱりね、とでも言いたそうにエマは深く頷いていた。


「あれは上級者向けの本だもの。難しくって当り前よ。初心者がよくあの本で勉強できてると思うわ。」


 考えればわかることだ。エマは一人前の魔法使いで、そんな彼女の旅の伴をする魔導書が初心者向けの本なわけがない。俺が納得していると、エマがまたするりと薄緑色の目を細めた。


「初心者用ならこれとか?」


 エマが今手に取っている魔導書の表紙には「入門」と大きな文字で書いてある。入門の後にもいくつか文言が続いているが、それ以降は正直言って読めない。その魔導書で勉強をはじめるなら、まずは表紙からだ。


「何が特別得意なのかもわからないのよね。全部の魔法を試させるには危ういし……」


 なおもエマがぶつぶつと呟いて本棚を物色する。


「かと言って、風と水だけを突き詰めるのもねぇ。いっそのこと呪いでも教えてみましょうか。意外と向いてるかもしれないし……」


 指先が並ぶ背表紙の上を行ったり来たりたっぷり二往復して、エマの指先がようやく魔導書を引っ張り出した。


『超簡単! 植物魔法!』『応用! 水魔法~氷編~』


 そんな素敵な文言が表紙に並ぶ二冊が選び出された。


「これなら平気、これなら」


 と、エマも太鼓判を押してくれたので、この魔導書なら何とかなるかもしれないと思った。特に、難解過ぎてページが進まないということは減るだろう。

 今まで俺の識字能力に見合わない魔導書でも勉強が進んでいたのは、エマの教え方が上手いというのが大きな理由である。

 わかりにくいところは噛み砕いて、理解が追い付いていないところは根気よく丁寧に。俺の進捗を気にしながら必要なところをフォローしてくれる。

 手慣れたその姿にふとエマの仕事が気になった。もしかすると、何か人に教える仕事をしているのかもしれない。


「そういえば、エマの仕事って?」

「仕事……そうねぇ。しいて言えば、世界を旅するのが仕事かなぁ」

「世界を?」

「うん」


 薄緑色の目がゆっくりと細まる。その表情を見て、次質問を考えた。きっと、この話題は嫌がらないのだろう。熱心なふりをして、どんなところに行ったのか尋ねようとしたその時、閉まっていた奥の扉から店主が上機嫌に姿を現した。


「やぁ、待たせたね。キュイスさんの作品をいじるのが初めてでね。ちょっと手間取ってしまったよ」

「壊してないでしょうね?」

「まさか、誰がそんな恐ろしい事考えるんだい?」


 エマの軽口に店主も軽口で答える。


「それにしても、さすがキュイスさんだ。細部の作り込みが違うね」

「本人が効いたら喜ぶわ」

「顔見知りなのかい? キュイスさんと」

「まぁね」


 濁すようなその言い方が妙に引っかかった。


「なぁ、エマ。キュイスって誰?」

「なんだ、あんたキュイスさんを知らないのかい?」


 店主の方が先に心底驚いたような声を上げて、俺のことを見た。

 知らないも何も、俺の交友関係はエマのみである。


「彼、教会員じゃないのよ」

「教会員でも弟子でもないのに旅について来てるのかい? よっぽど物好きなんだね、魔族っていうのは」


 エマの一言に、店主はおかしなものでも見るかのような目で俺の方を見たが、すぐに視線を手元の探検に映してしまった。よっぽどその「キュイス」という人の作った短剣が気になるらしい。

 エマはそれを慣れた様子で眺めて、それから俺の方を伺うように見た。


「キュイスは……」


 エマが少しの間考える。俺にわかるように言葉を探しているのかもしれない。


「上司よ」

「上司?」

「私に指示をくれる人、一番偉い人――かしらね」

「へぇ」


 ぴんと来ない言葉だったが、自分の知っている言葉に置き換えてみればすっと落ちてくる。指示をする人なら、きっと奴隷のリーダーみたいなものなのだろう。

 だが、どうしてここまでその「キュイス」という人物に引っかかるのかがわからない。いつもの興味ともまた違ってソワソワするような、エマがなぜその人の話をするのかが気になるのだ。その「キュイス」という人物を知ればこの気持ちが解決するだろうか。また熱心なふりをしてエマに「キュイス」のことを尋ねようとしたその時だった。


「さぁ、出来上がりを確認してくれよ」


 最終調整だったのか、器具でいくつかいじっていた店主がようやくそれを追えて、満足げに短剣を差し出してきた。

 短剣の柄の部分に先ほど首輪についていた青い魔法石が並んで二つ付いている。


「魔方陣を少し組み替えてあるから、調節してから使いなね、魔族の兄ちゃん」

「わかった」


 と受け取りながら、その「キュイス」という人物が作ったものならあまり使わないようにしようと心に決めた。俺は早く魔法を覚える必要がある。

エマが、魔導書の代金を払って、魔法石のなくなった首輪を店主に押し付けていた。

 店主は受け取るのを嫌がって、しばらく押し問答を続けていたが結局彼女が押し勝っていた。

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