10 さらに過去 2

 母と姉と父とで私の二文字の名前の”りく”という呼び方が違う。

 姉は、

「りぃーくぅー」

 これは不機嫌なときだが、りの母音のいとくの母音うを常に強調して呼ぶ。

この母音の強調の仕方で姉の気嫌がわかる。強いほど機嫌が悪い。

「りくっ」

 犬の名でも呼ぶように短く二文字できちっと呼ぶのは母だ。こっちも会社の業務か軍隊式にきっちり対応しないといけない。

 そして最後に父。

「りくぅーー」

 変に間延びして最後のくを伸ばす。

 今日は5月のとある日曜、朝からゴロゴロして一向に問題が解決しない政治討論番組を朝から見ていたら、父親に捕まった。

 私は高2の身ながら、学区一の進学校に合格し通っているため本当は模試用にちょこっと数学を勉強しておかなければいけないのだが、あまりやる気がしない。

 姉の奈央なおはそうそうに出かけている。よっぽどの雨でも振らない限り姉が休みの日に家にいる筈がない。

 母は、よくわからないがせっせとおかずの作りおき。ワイドショーでやっていた栄養素たっぷりの献立にチャレンジ中だ。

 父がポケットのたくさん付いたベストを着てドスドス階段を降りてリビングにやってきた。

 このベストを着ているときの父の目的はただ一つ。

 城址巡じょうしめぐりだ。父の唯一の趣味であり今では仕事も兼ねている。

「行くかぁ?」

 私は、ちょっと面倒臭そうな顔して父を見るが内心は少し喜んでいる。中学校のときは父と話をするのが面倒くさいと言うか、どこか気は恥ずかしいしとにかく父が大人と言うだけで嫌だったが、高校生になると、父も私を大人扱いしてくれるし、私にも余裕が出来て母とより父と趣味の話をするのは遥かに楽しい。

『めっちゃよく似てる』

 と姉が言う通り、私と父、知史ともふみは雰囲気や感じがどことなく似ているらしい。城址巡りもというか、歴史も私はそんなに嫌いではない。完全に父の影響だが、いやむしろ好きだ。

「うん」と私が頷くと、

「お母さん、りくと俺の分、お昼いらないから」

 と父。母は小さなため息。別にこういったことは今日が始めてではない。ただし夕食は要る。

 城址巡りといってもそんなに遠出をするわけではない。遅い朝か昼前に出て電車で小一時間、夕食前には帰り、家で発泡酒で晩酌。幸せそうに私にコップ半分だけ注ぐ。私がお酌をしようとすると

「違法行為だぞ」

 の一言で、私の杯を遮り嬉しそうに手酌で発泡酒を重ねる。

「もうないぞ」

 の一言で母が父を睨むかどうかでもう一缶いくか判断し、ほろ酔いでフラフラ二階の寝室に上がっていく。

 これが父の最高の幸せらしい。

 父はもう準備ができていて、玄関でかがみ込んであたたたとか言いながら、トレッキングシューズに履き替えている。

 私は下だけスキニーのジーンズに履き替え、父の後へ。私は城址巡りに付き合うことを条件に父に外国製のブランド物のいい本格的なトレッキングシューズを買ってもらったのだ。

 父の城址巡りは変わっている。いわゆる普通の人がお城と呼ぶ天守閣のあるお城には絶対に行かない。というかもう言った後らしい。

 行くのは、すべて究極の山城。これが本格的なトレッキングシューズが必要な理由でもある。

 父は、信長、秀吉、家康という三大武将らを完全に拒否し、ものすごくマイナーで小さな戦国武将を好む。

 また、天守閣ができたのは戦国後期で(正確には安土城)それ以前は本当の山の天辺に平地がありそこに足軽をおける館があっただけだというのが父の戦国史観だ。

 早い話、近所の在野の聞いたこともないような武将の砦みたいな山城にしかいかないのだ。

 武将も、信長の家臣の誰々のそのまた家臣ぐらいだから、

「あれ、その毛利って元就の?」

 とか訊くと

「違うんだな」

 とか

「まだまだだな」

 とか

「習っとらんのか」

 とか言って、めちゃくちゃ嬉しそうに訂正して補足して教えてくれる。ただし本当に歴史学上あっているのかは私にはわからないし、私も調子を合わせるために質問しているだけで、父の答えをちゃんと聞いていない。

 フィフティ・フィフティである。

 やはり姉が言う通り似た父子同士なのかもしれない。

 行きの電車に揺られているときはお互いニコニコで良いが、この山城巡りの城址巡りとは事実上ほぼ山登りと同じで、帰りはだいたいお互い口も効けないぐらい疲れきっていることが多い。

 恐るべし戦国前期の在野、在地の武将たちである。こんな急峻な山に堀切や土塁を作り登り難くくし、さらに攻め方は兜に鎧を身に着けて本当に昇っていたのかとか思うと信じられない。

 もう少し正直に書くと、夕食前に近田家父子が帰れなかったことも多数である。

 遭難一歩手前も経験しているし、

「こりゃ本日は野営だな」と父が本気で言い出したことも二度や三度ではない。

「あっちのほうが明るいぞ、りく」

と言って遠くに微かに見える街の明かりだけを頼りに下山したこともある。


 電車から無人駅に降りたところで父が言いだした。

「今日は、花崎はなさき城だぞ。鎌折かまおれれ口から攻め込む」

 地名とはよく出来たもので、だいたい名前が怖そうなところは往生することになる。

 花崎城は前に来たことがあるかもしれない。花崎城は花崎山の頂上にある。鎌折れ口とは道の方向が鎌のように折れているだけで坂が鎌が折れるほどという比喩でないことをのぞむばかりだ。

 一番槍を目指す近田親子は数千円と帰りの電車賃と本格的なトレッキングシューズしか持ち合わせていない。 

 「当時はわらじだったんだな」

 これが登るとき、いや攻め込むときの父の常套句だ。登山中死ぬほど聞かされることになる。

 一切の弱音を禁じる遠回しな父の警告である。 

 父は雑草に覆われた崖に土塁を見、窪みや沢に堀切を見る。

「ほら、ここからだと上の花崎城が見えないだろ。よく出来ている」

 父が山上の花崎城が見えない崖に両手を使い二歩昇ったまま、そのままの姿でずるずると両手に掴んだ大量の雑草と共に滑り落ちてきた。

「堀切だ。よく出来ている」

 私にはただの険しい崖道にしか見えない。

 これで、諦めるのが普通の常識ある大人の趣味だろう。

 これも、よくあることだが、概ね体力的に余裕がある若い高校生の私が発泡酒腹はっぽうしゅばらに成り果てた父を引っ張り上げることになる。

 厄介なのは、面が平たい石を発見したときである。

 父がそれを石垣の石だと見るのは誰でも容易に想像できよう。

 信じられないのは、いわゆる名城や大きな反った石垣の石ではないにも関わらず石の面を素手で撫で石に抱きつくのである。

 いわゆる、石をでるのである。

 そんな父を見守る余裕は私には流石にない。私の目は針のように細くなっていてすべてがぼやけて見える。

 そうしてどうにか何丸かしらないが攻め落とせて山頂のやや平たい部分に近田一党がたどり着くと父は、這いつくばるようにして穴を探す。柱を支えた穴があったはずなのだそうだ。

 私はもう一切父にくみしない。手頃な石を見つけ座り崖下の眺望を楽しみ行きのコンビニで買った弁当をいただく。家や一族郎党を守るためとはいえ、こんな不便な山の上に住むとはどんな気分なのだろう?。夏は涼しそうだが、冬は地獄だろう。

 柱の穴の跡が見つかる可能性はこれまたフィフティ・フィフティ。父を喜ばしてやりたいとは子として多少は思うが悲しいが500年近くも前の話しである。父の思いとは別個に確実に500年間風雨にさらされているということもこれまた受け入れるべき事実である。

 そしてここから、父、近田知史ちかだともふみ教授の歴史の講義が始まる。

 これがまた、難解にして大変な講義だ。

 要点がまとめられ書きだされた黒板はない。大河ドラマで馴染みの名前はほぼ出てこない。しかも、いつも概ね父が語りたい人物の三代前の祖父の話から始まる。

 ほぼ三世代百年分を聞くことになる。

 戦国時代というより武士の名前は江戸時代はともかく、だいたい、義と長と政と信の四文字を順列組み合わせにした何通りかで出来ているので、逆に大変わかりにくい。また父や祖父から一字もらってとかなりだすと、初見では確実にもう無理だ。

 父が語りたい部分になったときに日が傾きカラスが鳴いているときさえある。

「この花崎城にはな、、、、山谷義昌やまたによしまさが立て籠もり、城を枕に討ち死にせんと押し寄せる栃尾とちお勢を押し返し十日、二十日と持ちこたえたのだが、、、、義昌よしまさの主君、鳥居清長とりいきよながが間を取り持って栃尾とちお氏を和議が結ばれたんだな」

 主君、鳥居清長が登場した段階でもう私はついていけてない。どうして主君が和議を取り持つのだ??。

「が、これが、計略だったんだな。哀れ、山谷義昌やまたによしまさは、その身に寸鉄を帯びない和議の場で主君、鳥居清長とりいきよながの後ろのついたてから現れた栃尾とちお勢の屈強な武者10人ばかりに荒縄で縛り上げられ、、この花崎城の大手門の前に下帯一つで貼りつけにされて果てたんだな」

 戦国時代にありがちなよくある話しだが、悲惨な話でもある。

「しかし、鳥居清長も良く出来た男で、義昌の妻、かささぎの方と息子百王丸ひゃくおうまるとをさっきの鎌折れ口から逃したんだな」

「それ主君は中間を取ったつもりだろうけど、敵討ちとかで余計ややこしくなるじゃん。攻めてた栃尾勢は許したの?」

「そこまでは、お父さんも調べとらん」

 そして大概が父の話は付け焼き刃なのだ。わかり難いはずだ。それに女の足と子供であの坂をゴタゴタしているときに降りれたとは到底思えない。戦国時代の話は大体江戸時代の講談本や講釈から出来ている。が、あながち全部まったくなかったウソとも思えない。

「お父さん、もう帰ろう」

 そして、私は近田一党のタイムキーパーも兼ねている。

「うむ」

 父は立ち上がると、なだらかな道にあったとされる大手門、山谷義昌が貼り付けにされたあたりに向い一礼した。

 どうやら今日は夕食前までに帰れそうである。


 しかし、私は、生涯でもう一度この花崎城にやってくることになるとはこのときは、夢にも思っていなかった。

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