第6話 こうして僕らは団結した

 初めてのケース会議には、次の人たちに声をかけた。


 管理職である病院長、総務部長、それから書記として事務の人。上司である看護師長のあとは僕とみゆき、言語聴覚士の木下さんと、理学療法士の鈴木さん。あとは現場で実際に、職業訓練や介助をする看護師さんたちだ。


 問題は管理職だ。

 下手すると明日、用事があるかもしれない。職員室にいた事務の渡辺さんに、相談してみよう。ちょうどみゆきは用足しに行ってるし……。


「あの、僕は社会福祉士の本間と申します。はじめまして、渡辺さん」

「あ、はじめまして。渡辺です。何かご用ですか?」


 彼は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、こちらを向いた。


「病院長と総務部長は、明日の予定は空いてますか?」

「ああ。明日はお二人とも、午前中は十一時から、午後は十六時から空いてますよ」


 さっと、机上のパソコンのキーボードを、叩いて教えてくれた。


「あれ? もしかしてグループウェアを導入されています?」

「おお! よくわかりましたね。院長は電話連絡を嫌ってるんですよ。

「珍しいですね、そういう方。わからなくもないですけど……」

 

 グループウェアは、組織内の予定の調整や、進捗確認などに使われる。大学病院や医局でもよく使っていた。

 大学病院は、常勤と非常勤など、勤務形態が異なる人たちが多い。とてもじゃないが、直接電話で段取りしていられないのだ。


「院長も総務部長も忙しいですからね。あ、予約どうします?」


 どうやらグループウェアで連絡から段取りまでやってしまうらしい。

 直接連絡しないと、不機嫌になる人もいる。ちょっと聞いてみるか……。


「明日、午前中は十一時からでお願いします。ところで本当に直接、お電話しなくてもいいんですか?」

「あ、大丈夫ですよ。むしろ電話すると不機嫌になるんで……」


 彼は苦笑しながら、グループウェアに予定を入力してくれた。


***


 翌日、僕らは管理職や職員の人たちと、ケース会議をもった。


「……そういうわけで、Aさんは職場への復帰を希望されております。現在のAさんの状態については、お配りしたとおりです」


 僕が一通り説明を終えると、隣にいたみゆきが声をあげた。


「もう一つあります。本間が報告したように、Aさんは左頭頂部から前頭葉と側頭葉の一部にダメージがあります。画像から前頭葉内側面は大丈夫そうですが、半側無視や注意障害などは検査されておられますか?」


 なるほど。みゆきはAさんの高次脳機能障害を疑っているわけか……。ん? 待てよ。そういえば、Aさん……面談をしていたとき、あまり視線が動かなかったな。それに、まばたきの回数も少なかったぞ。


「……おい、みゆき。そういや、Aさん、面談の時、視線あんまり動かなかったぞ。よく大学で見かけた例だ」

「浩……今ごろ言うな……」


 僕がみゆきにこっそり伝えると、握っていた手の甲をひねられた。


 その様子をにやにやしながら、見ていた言語聴覚士の木下さん。

 彼女は改まったように顔を引き締めて、みゆきの問いかけに応じた。


「いえ。本間先生。高次脳機能障害の検査はしていません。右半球にダメージがなかったので、検査しなかったのです。すぐに評価させていただきますよ」


 検査してなかったのか……。


 高次脳機能障害は、脳にダメージを受けた場合によく出てくる症状だ。モノが覚えられなくなったりする。また仕事などの作業が上手くできなくなる。普段からぼーっとしてたりする。人によって違うし、同じ患者さんでも、時間帯や状況によって違うことさえある。

 

 ある意味、半身麻痺よりも面倒な症状だ。

 

 多くの患者さんやご家族は、最初、半身麻痺のことばかりに目が行きがちだ。でも実際に家庭に戻ったり、職場復帰してから気がつくことが多い。高次脳機能障害は目に見えて、すぐわかるものじゃないからだ。


「鈴木さん、右半身麻痺はどうでしょう?」


  ずっと話を聞いていた理学療法士の鈴木さんに、僕は話題を振ってみた。Aさんが努力されていることを、彼は知ってるからだ。

 この場面で、彼ならどうAさんを支援するんだろう……。


「補助具を使えば、歩行は可能になると思います。もちろん右手や腕もです。手の方については、作業療法士の大橋に話をつけてあります」

「ありがとうございます、鈴木さん。では、僕の方から、これからの支援方針をお話しします」


 僕は、Aさんの支援計画書を、一つ一つ説明していった。


***



 職員たちと支援のやり方について、いろいろ話した。

 Aさんは利き手に麻痺があるが、パソコン操作は可能になるのか?、とか。職場内での移動について、どう支援できるか……など、多くのことが話し合われた。


 話し合えたこともよかったが、何よりも嬉しく思ったことがある。

 それは僕自身が、Aさん自身のケアや支援に、いつでも参加してもよいってことだ。


 僕の立場で患者さんの支援の現場に参加できるのは、普通の病院ではほとんどない。この職場が、福祉施設も兼ねているからこそだった。

 ご本人の様子に合わせて、支援ができそうだ……。


 職員同士の話し合いも区切りがついてきた時、病院長がとんでもないことを口走った。


「ふん。こんな病状で職場復帰できるなんて思えないけどな、なあ、総務部長」

「そうですよね。院長。絵に描いた餅です」


 総務部長の深沢さんは六十くらいの脂ぎったおっさんだ。

 彼は薄い頭をなでながら、笑っていた。明らかに院長に媚を売っていた。


「ちっ! 何よ、あんたら? 患者さんの身になったら?」


 院長たちの心ない言葉に、いち早くケンカを売ったのはみゆきだった。


「何言ってる? 遠野先生。医は算術だよ。ある程度儲からなきゃ、患者さんだって診れないよ。患者が職場復帰できたからって、それがうちの病院にプラスになるのかね?」


 半分は正論だ。

 でも患者さんの希望を叶えることは、プラスだと僕は思うんだが……。


「……院長。僕はこの病院にプラスになると思います。Aさんのような患者さんを職場復帰を支援したり、再就職支援をするようになれば、助成金が出る可能性もあります」

「助成金? なぜだ、本間君」


 助成金と聞いて総務部長が身を乗り出してきた。わかりやすいな……この人。


「ここは、やすらぎが丘森障がい者センター、という名称が付いていませんでしたか?」

「ああ。そうだ。ここの正式名称は『リンクル記念やすらぎが丘の森病院・やすらぎが丘森障がい者センター』だが、それがどうした?」


 きょとんとした顔で深沢総務部長は、僕を見つめる。


「お忘れのようですが、ここは福祉施設でもあります。患者さんの多くは、障害者手帳を取得されますよね。つまり障がい者だ。障がい者の就労支援をする福祉施設として、ここを登録可能だってことですよ」

「……障がい者就労支援施設」

「ええ、総務部長。就労支援施設には、いくつか種類がありますが、どのタイプでも助成金が出ますよ。それはプラスなのでは?」

「……ま、まあ、プラスだが……」


 困惑したような目つきで、中田院長を見つめる深沢さん。どうやら総務部長は納得したようだな。あとは病院長か……。


「ふん。患者さんを就職させたって、それが儲けには繋がらんだろ?」


 そうかな? 僕はそれも違うと思う。こういうタイプは、具体的に話をしないとダメだからな……。


 僕は丁寧に言葉を選んで、静かに院長に話した。


「病院長……。患者さんの職場復帰や再就職させることができれば、この病院の宣伝にもなるかと思いますが……」

「……くっ! わかった。やってみればいいさ。次の打ち合わせがあるから失礼する」


 中田院長と深沢総務部長が席を立った。そのとき、今村看護部長は二人に声をかけた。


「あの、院長と総務部長さん。今夜、本間さんと遠野先生の歓迎会を……」

「あ! 私たちは忙しいんだ。今夜は他の会合もあるしな。君らでやりたまえ」


 そう言い捨てると院長は、足早に会議室から出て行った。あわてて、そのあとを追うようかのように、深沢総務部長も退室した。



「いやあ〰〰。院長を言い負かした人、初めて見た!」

「がはは! スキッとした!」

「浩、やるじゃん」


 そんなにほめられても……。


 病院長や総務部長が、あんまり患者さんを考えていないからだ。彼らの興味をひくことができるように言っただけだよ……。関心を持ってもらわなきゃ、支援に必要な器材も買ってくれないだろうしね。

 ある意味、政治的な駆け引きをしただけだ。


「さて……院長たちもいなくなったし、もう一つの議題だ。こっちが本題だな。がはは!」


  今村さんは豪快に笑うと、他の職員たちと目配せした。


「君たち二人の歓迎会を今夜決行する! ようこそ、丘の上の病院へ!」


 一斉に拍手される僕とみゆき。


 歓迎会はいいけれど、その前にやることが……。


「ありがとうございます。その前にAさんに、これからの支援について、お伝えしてよろしいでしょうか?」


「それは当然! すぐにでも伝えないとね」

「午後の理学療法の予定は後回しにするから、説明してこい」


 みんな、口々に応援してくれる感じがして……なんかいいな。こういう雰囲気も。


「では、ちょっとAさんの病室へ行ってきます」

「あ、あたいも行くよ。浩」



 僕とみゆきは、Aさんの病室へと向かった。


 みゆきがいたこともあり、Aさんへの説明はスムーズだった。

 何よりも印象的だったことがある。それはAさんが目を輝かせて、僕たちの説明を聞いてくれたことだった。


 あの希望に満ちた瞳を、僕たちはとても嬉しく思った。



註:半側無視(半側空間無視):見えているのに半分や右の一部が認識できていなかたりする症状のことです。見ることは目だけではなく、脳全体で処理されます。

高次脳機能障害については、作中、いくつか例をあげていくのでご心配なく。

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