雪の朝

安佐ゆう

第1話 雪の朝の出会い

 温暖な九州ではあるが、雪が降ることもある。そして山深いこの村では、年に数回、膝まで埋まるほどの雪が積もる。今日もそんな、珍しい雪の日だった。


 年末年始の二週間、この家に住んでいる俺のジイさんが、ふと思い立って、友人の家に遊びにいくと言い始めた。ジイさんは今、一人暮らしだ。家業があるので家を空けるわけにはいかない。留守番が必要だということになり、まだ定職についていなくてフラフラとしていた俺に、白羽の矢が立ったわけだ。


 ジイさんの家に来て五日目。

 朝起きて、外に積もった雪を見たときには、不覚にも心弾み、駆け出して家の周りにたくさんの足跡をつけた。


「ああっ、せっかくの雪なのに、綺麗なままとっとけば良かったかな?……ま、いっか」


 もう大人なのに、年甲斐もなくはしゃいでしまった。誰かに見られなかったかとコッソリ辺りを見回すが、年寄りが数人しか住んでいない限界集落の雪の朝だ。人っ子ひとり見えない。

 みんな家の中でコタツに潜り込んでいるんだろう?

 甘いな。

 みんな、山の上の畑に行って、朝から一仕事してるのさ。遊んでいるのは俺ひとり。

 さてっと、俺も働くか。


 そう思って家に戻ろうとした時だった。


「あのー」

「え?」


 振り返ると高校生くらいの女の子がひとり、坂の下に立ってこっちを見ている。

 ……いつからいたのだろう?


「もしかして……見てた?」

「あ……ええ。楽しそうに走っ……、いえ、見てません。何も見てません」


 慌てて首を振る女の子に、俺は顔から火が出るかと思った。

 女の子は坂の下からテクテクと歩いて、あたふたしている俺の前までやってきた。

 今時珍しい程の黒くて真っ直ぐなおかっぱ頭。小柄だからつむじが見えるぞ、かわいいな。

 白い肌に小さなピンクの唇。細くて少し吊り目がちなのも、欠点にはなっていない。雰囲気と似合っていて、クラシカルな美少女だと思う。こんなところに立ってるから一瞬、雪女じゃないかと疑った。けど頰ををほんのり上気させて、白い息を吐いているから、多分違うはず。


「あの、ここの村の方ですか?」

「あ、うん。えっと、君は下から歩いてきたの?」

「はい」

「大変だったんじゃない?」


 この村、本当に山奥にあるんだ。一番近いバス停からこの家まで三十分以上歩かなきゃいけない。しかも今日はこの雪だ。


「はい。途中で道に迷っちゃって……。おばあちゃんの家に行きたいんですけど」

「迷ったのか。隣の山にもうひとつ村があるからなあ。おばあちゃんの名前聞いてもいい?」

「山田です。山田シノ。先月……亡くなったんです」


 俯く彼女を見て、不躾に聞いたことが申し訳なくなった。


「ごめん、シノさんのお孫さんなんだ。そか……。寂しくなったね」

「おばあちゃんを知ってるの?」

「うん。小さい村だからね。シノさんの家はここから十分くらい歩いた上にあるけど、案内しようか?」

「ありがとうございます。じゃあお願いしていいですか?」


 俺の後をついて歩き始めた彼女だったが、ふと気づくと左足を引きずっている。


「足……」

「あ、大丈夫です。さっき転んじゃって……。でも大丈夫です!」


 そんなこと言いながら、痛みに顔を歪めて歩くのを見たら、放っては置けない。


「ここ、俺のジイさんの家なんだ。足の手当てするから、おいで」

「え、でも、悪いです、そんな……」

「いいから、いいから」


 遠慮する彼女を引っ張って、玄関のところに座らせた。


「ちょっと待っててね」


 さて、救急箱はあったかなあ。

 怪我してるのに不謹慎だけど、可愛い女の子と、もう少し一緒にいられるのは、嬉しいかもしんない。


 ◆◆◆


 慣れない手つきで包帯を巻き終わって彼女の顔を見上げると、雪の中にいた時よりもっと真っ赤になってる。


「ご、ごめん、痛かった?」

「いえ……(恥ずかしいです……)」


 消え入るように小さな声で、彼女は何か呟いた。

 変な雰囲気を切り替えなきゃ。


「待ってて。お茶入れるから」


 逃げるように家の奥に行って、何かないかと探す。

 お、あったあった。

 戸棚に置いてあった羊羹を見つけ、大急ぎで茶を入れて玄関に戻る。


「はい、どうぞ。これ食べたら、シノさんの家に行ってみようか」

「ありがとうございます。色々よくしていただいて。あ、私はかえでって言います。山田楓」


 楓ちゃんか。うん。似合ってる!


「俺は夏彦。えっと、伏見夏彦ふしみ なつひこです」

「夏彦さんって。ふふふ。ぴったりの名前ですね」

「えー、古臭くって嫌なんだけど」

「そんなことないよ!似合ってる。夏がつくと、元気そうだから。ほら、さっきも雪の中で遊んでたし」

「……やっぱり見てたんじゃん」


 ようやくの自己紹介のあと、羊羹を食べながらいろんな話をした。少しだけ楓ちゃんのことも分かった。高校生かと思ったら、実は大学生で、来年の春には下の町で就職も決まってるらしい。

 今は他県に住んでて、こっちにはなかなか帰ってこれないんだけど、帰省のついでに形見を取りに来たんだって。


「お葬式の時に、おばあちゃんが描いた私の絵があるって聞いたの。いつでも入って持っていっていいよって言われたから来たんだけど、雪がこんなに大変とは……」

「雪の日は気をつけた方がいいよ。俺も走り回ってて、うっかりズボッて溝にはまったことあるもん」

「ふふふ、楽しそう」


 それから、楓ちゃんと俺は、なんと同じ誕生日だと分かった!

 一月十日。


「夏彦なのに……」

「楓なのに……あはは」

「変よね。ふふ。私はお父さんが、この漢字を使いたかったからだって」

「俺は生まれた時から元気そうだったから、冬より夏だなって」

「あ、分かる!」

「分かるのかよっ!」

「あはは。うんうん、分かるよ、夏彦くん、元気だもの」


 すっかり打ち解けてニコニコと笑う彼女には、もう雪女と見間違えるような雰囲気はない。俺も楽しくなって、自分のことをいっぱい話した。

 ずっとフラフラしてたけど、仕事が見つかったこと。三月から一人暮らしを始めること。

 下の町に今度できるタワーマンションに住むんだっていったら、彼女は目をまん丸にして驚いていた。


 いや、いいとこのおぼっちゃまじゃないから。仕事の関係でね。しかもタワーマンションなのに上階じゃなくて、一階の、ちっちゃな家なんだよ。

 え、俺の方が年上だって!高校生に見える言うな!

 いや、フラフラしてたし、走り回って遊んでたけど。

 バイトじゃないよ、正採用。

 正、採、用!


 自分のことをこんなに話したのは、初めてかもしんない。


 ゆっくり休んだから、そろそろシノさんの家に行こうか。そう言って彼女の手をとった。びっくりするくらい冷たかったから、その時初めて、寒い玄関で長話しちゃった事に気付いた。こっそり反省して胸の内でいっぱい謝りながら、その手を温めるようにして、外に出る。


 ズボッ、ズボッ、ズボッ。雪の中を歩くのは、寒いけど楽しい。

 楓ちゃんがこけないように、溝にはまらないようにいつもより気をつけて歩く。

 村の中には家が十軒以上も残っているが、人が住んでいる家は少ない。シノさんの家も、ついに空き家になってしまった。

 滅多に人と出会うことのない通りを抜けて、田んぼの横のあぜ道を通る。数段の階段を上がって、今度は坂道を下りて、それからまた坂を上がってようやくシノさんの家に着く。

 ついこの前まで人が住んでいた家は、まだ生活感が残っていて、庭の池に泳ぐ鯉も、寒いのにいつも通り元気だ。


「じゃあ、俺はここで待ってるから、行っておいで」

「ありがとう!」


 池の端にしゃがんで鯉を見ながら、楓ちゃんが出てくるのを待つ。この家は村でも一番高いところにあるけど、さらにその上に段々畑があって、そこから眺める村の景色は子供の頃から好きだった。ジイさんは、昔はこの村にも大勢の人が住んでたんだと言う。でもよくよく聞いたら、一番たくさん住んでた頃だって100人もいなかった。だからずっとずっと、この村はこの景色のままだったんだろうと思う。

 ずっと住んでるわけじゃないけど、ここは俺にとって大事な故郷のひとつで、楓ちゃんにとっても、きっとそう。

 しばらくして、楓ちゃんは大事そうに大きな手提げバッグを持って出てきた。

 シノさんが描いた楓ちゃんの絵は、プクプクしたほっぺたの、かわいい赤ちゃんだった。


「親戚のみんなが、この絵は楓そのものだなって言って笑うのよ」

「うん、分かる」

「えー」


 不満そうに口を尖らせる彼女はそれでもかわいくて、俺は楽しくなって飛び跳ねたい気持ちを抑えるのが大変だった。帰り道もいろいろ話しながら歩く。もっと話したいのに、そんな時に限ってあっという間に着いちゃうのは何故だろう。

 楓ちゃんを村の入り口まで案内して、そこでお別れした。本当は下のバス停までついて行ってあげたいけど、今日は無理なので、無事を祈って見送る。


 一生懸命、手を振った。

 また会えるかな。

 俺のヒント、いっぱい伝えたんだ。

 見つけてくれるといいなあ。

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