穴あきチーズと「トムとジェリー」

 今でこそ、ワインのお供にチーズは欠かせないものだけど、子どものころは、大嫌いだった。

 主食がパンの時には、必ずと言っていいほど、扇形の雪印のプロセスチーズが食卓に置かれて、ただひとつ残っている銀色の包み紙をお袋は指差して食べることを僕に強要した。


「なぜ、食べないの?」

「栄養があるのに」

「体にとてもいいんだよ」

 

 それでも、食べようとしない僕にお袋は、

「これだけ言っても食べないなら、もう、何も食べなくていい」

と、半ばキレながら言い放つもんだから、渋々、赤いセロファンを剥いて、目をつぶりながら口の中に入れると、

「ほおら、おいしいでしょ?」

と、さっきまでの野狐みたいだった顔をリスの笑みに変えて僕の顔を覗き込む。

「おいしかったら、一番最初に食べてるっつーの!」

とは言わずに、この、もくさらもくさらとした食感を早く無くそうと、必死に口の中の唾液をかき集めて消化しようとする。

 チーズの味は嫌いじゃないけど、この歯とほっぺの間にねっとりと張り付く食感が僕は何といっても嫌いだった。


 小学校やそろばん塾から帰ってきても、同じ鍵っ子の妹が居るか居ないかだけだった。早速、ランドセルから勉強道具を出してその日の宿題に取り掛かる、ことはなく、近くの空き地に野球をしに行くか、テーブルに小出しにされたお菓子を食べながら夕方の子ども向けのテレビ番組を見るのがいつもパターンだった。

 もう、ずいぶん前から、民放では、子ども向け番組を夕方に放送しなくなった。その時間、今の子どもは、外でサッカーやゴム跳びを元気にしている、のではなく、ゲームをしているか、塾やおけいこ事に行っているのである。

 当時の、午後4時くらいのテレビは、「ポパイ」か「トムとジェリー」の再放送をやっていた。ドリフの劇のように繰り返される“お約束”のオンパレードなのだけど、他に見るものもないので、なんとなく、いつも見ていた。

 

 「トムとジェリー」の大事なアイテムとして頻繁に登場するチーズは、当時の僕にとって、憧れの食材だった。僕がいつも食べさせられるチーズとは違って、アニメに登場するチーズは、もっと色が黄色くて、穴があいていた。そして、ジェリーは、いつもそれを命懸けで奪わんと奮闘し、最後には、壁の穴の奥の部屋で美味しそうに食べていた。

「僕が食べるチーズには穴があいていないから、おいしくないんだ…」と、いつからかそう思うようになった。

 

 当然のことながら、お袋に「ねえ、穴があいているチーズ買ってきてよ。そしたら、食べるからさ~」とおねだりしたけど、お袋は、「そんな穴があいているチーズなんてどこのスーパーを探しても売っていない」の一点張りだった。

「どうせ、いつものように、面倒くさくて真剣に探してなんかいないんだ」と僕は思ったが、ある日、「嘘だと思うなら一緒にスーパーに行ってお店の人に聞いてみる?」とお袋が言うものだから、一緒にいつものスーパー行って店員さんに聞いたら、

「あれはね、外国の漫画だからだよ。外国のチーズは穴があいてるんだよ」と白い帽子をかぶった店員さんはニコニコした顔で言った。

 

 “外国の…”この言葉に当時の僕は弱かった。なぜかはわからないけど、“外国は全ての面で日本を上回っている”というイメージが僕に染み付いていた。日本が外国を上回っているのは、僕にとっては週末のプロレスだけ、だった。

 僕は、あきらめをすんなりと受け入れ、それ以後、渋々、赤いセロファンを剥きながら目をつぶって口の中に放り込む日々を続けた。


 それからだいぶ経って、酒の味を覚え、ワインの美味しさを知り、チーズは雪印のものだけじゃないことを知り、穴があいていなくても美味しいチーズがあることがわかり、それどころか、青カビ入りでも美味しいということもわかり、チーズは僕にとって大事な存在になった。


 さて、穴あきチーズだけど、“エメンタールチーズ”と呼ばれていて、スイスのエメンタール地方原産で、別名「チーズの王様」とも呼ばれているそうである。無数の穴は、“チーズアイ”と呼ばれている気孔で、プロピオン酸発酵による炭酸ガスの気泡が固まったもの、だそうだ。

 欧米では、“スイス・チーズ”として広く認知されていて、絵で書いたときに一目でチーズだとわかることから漫画や挿絵に用いられる場合が多い(Wikipediaより)そうだ。


 「トムとジェリー」は、以前にCS放送で溜め録りをしてだいぶ繰り返し見た。子どもの頃には気づかなかったギャグの豊富さ、緻密さ、アイテムの使い方の妙にどんどん引き込まれた。

 多くの作品の中でも、僕が一番好きなのが「Snowbody Loves Me(1964年)」という短編だ。

 作品としては第3期に当たるチャック・ジョーンズ監督のもので、キャラクターの描き方や、ストーリーも、「トムとジェリー」を創生したハンナ=バーベラのものとは違うことをだいぶ批判されたようだけど、僕は、いつもこの作品を見ると、笑い、そして、最後に涙が出てしまう。

 もちろん、穴あきチーズがこの作品でも重要なアイテムとして登場します。


「Snowbody Loves Me」

https://www.dailymotion.com/video/x6r8q0a





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