第五十話 継承

 岡豊城は驟雨に見舞われていた。

 この時期、この地方にこのような雨が降ることは前代未聞だった。突然現れた雨雲は厚く、まだ昼であるというのに太陽を覆い隠し、夜のような暗闇を連れてきた。一条兵の侵略に怯えていた民たちは、不吉な黒い空にさらに怯えて半狂乱になっている。

 この雨は岡豊を守る酢漿草衆にとっては致命的なものになった。彼らはそれぞれが厳しい訓練を受けた精鋭であるが、ここしばらくの獅子奮迅の強さは、なにより種子島の技術を学び完璧に実践していたからである。それによって、まだ槍や弓矢では十分な練度に達していない兵でも、一定の強さに引き上げられ、全体としてまとまりのある強さになっていたのだ。この強さを平均化し、また統制するやり方は、この四国ではまだほとんど見られないものだった。


 ところがこの雨では、その種子島を使うことは出来ない。種子島には炎が必須であり、その炎はこの縦からも横からも打ち付けてくる大粒の雨にかき消されてしまうのである。

酢漿草衆は仕方なく、槍や弓を構えて襲撃者たちに備えた。貞親が手塩にかけて育てた酢漿草衆は、種子島がなくとも十分に岡豊最強の集団と言って良い。少数の襲撃者を撃退することなど造作もないことだった。しかし、槍や刀、弓を構えた彼らが見たのは、恐ろしい鬼神の姿だった。


 冷酷とさえ形容できるほど無表情で無数の槍と刃を舞うようにかわし、矢を叩きつけ、刀の一振りで何人もの兵が倒れていく。まるで刀に無数の蛇か龍が宿って、襲いかかってくるような迫力と神速である。そんな事が人に可能なのか、いや自分の目の前にいるのはおよそ人では無い。鬼神である。そう明智十兵衛光秀は思った。


「勝隆が、これほどの強さとは」


 自らも岡豊の兵に応戦する一方で、冷静に分析していた。勝隆が平家の末裔であり、神器を所持していた者であり、さらにはそれが突然失われたことを知った十兵衛は顔を青くした。当然、剣を持ち去ったのと考えられるのは、妲己しかいない。結果十兵衛は岡豊城の奇襲に参加したのである。


 勝隆の強さは尋常ではない。まるで死の淵、黄泉から帰って来た者が何か特別な力を身につけたかのようである。しかし彼が白や妲己のような何か不思議な力を身につけたのかといえば、それは違うだろう。勝隆の動きは、凄まじいものであるが、超常のものではなく洗練に洗練を重ねた人の技である。

 十兵衛は改めて勝隆の生い立ちを考えた。彼は、いや彼ら平家は山の中で毎日ひたすら何をしていたか。


 三百年。日の本の国で幾度も権力者が変わり続けたその長い年月、彼らは雨の日も風の日も決して緩むことなく、ただ黙々と自らの技を磨き続けて来た。今の天下に訓練された兵士は大勢いるが、戦のやり方が完全に軍団の運用となった現在において、一騎当千の武者はいない。天賦の才はあったとしても、生きるか死ぬかのこの乱世で、それほど長期間、技を磨くことが出来る者はそうはいないのだ。まして、人はいつ死ぬか分からない。自分自身が極地にたどり着けても、それを次代へと繋げていくことなどそうそう出来るはずがない。


 しかし彼らは違う。三百年、外部から邪魔されることなく、団結し、ひたすらその武を磨き続け、連綿と受け継ぎ、技を錬磨し続けて一つの形としてきたのだ。刀、弓矢、馬術、それはもはやどれも芸術と言っていいほどに洗練された域となっている事だろう。その三百年の努力の継承者が、あの少年なのである。技を極めれば、人はここまでの強さに辿り着くことが出来るのだと、十兵衛は感服せずにはいられなかった。


 彼の強さの種類は、恐らく今の世の合戦で大勢を変えることの出来る類のものではないだろう。だが人の想いと技の継承、受け継ぐことによって達成できる人の奇跡を前に、十兵衛には畏敬の念がこみ上げてきた。


 人の想いは、ここまでの奇跡を作り出すことが出来るのである。

十兵衛の心に、善と悪、そして星読みを絶対とするものとは別の何かが甦りつつあった。

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