第四十七話 四国王

元親は薄暗い部屋で食事をとっていた。別に戸を開けることは可能だったが、開ければ開けたで外にはこの館を囲む物々しい格好の男たちの姿がしか見えないと思うと、開ける気にはならなかった。


 今は、食事を運んでくれる少年とのやりとりだけが、元親の気晴らしだった。


 「いつも食事を運んできてくれてありがとう」


元親は特に思惑無く言ったが、少年は身を固くして愛想のない返答をした。少年の名は弥吉で、貞親の家来になりたいといつもついて回っていた子どもである。自分に食事を運ばせる役目を与えられている辺り、存外貞親は本気でこの子どもを信頼し将来取り立ててやることを考えているのかも知れない。


 「弥吉だったね。大丈夫、別にお前から何か聞き出そうという気はない。兄上に怒られるような話はしないから、少し話し相手になってはくれないだろうか」


 弥吉は目に見えて困ったようにそわそわとした。恐らく元々人が良く、根が正直者なのだろう。貞親への忠誠心と、自分が関わっている事への呵責もはっきりと伝わってくる。

 

 元親は弥吉からの返事が無いまま続けた。


 「お前は確か、百姓の出で兄上の家来になりたいのだったな」


 その言葉に、弥吉は話の内容が特にここから抜け出す為のものでなく、また兵や今の長宗我部の状況のこととは異なるものだったので、少し安心した。純真そうな潤んだ瞳をもう一人の若君に向けて、自分の身の上を話し始めた。


 「そうです。おいらは確かに百姓の子だけど、いずれ正式に家臣にしてもらって戦場で貞親様をお守りするんです」


 それから弥吉は自分がどんな風に貞親と出会い、そしてこの城で働くようになったのか、普段どのような事を教わり、何を身につけようとしているのかを語った。弥吉の瞳は次第に生き生きとしたものになり、まるで幼子が夕餉に一日の冒険を語るようになっていった。 

その様を元親は机に肘を立て、頬杖をつきながら心地よさそうに目を細めて聞いていた。


 「本当に家来に、長宗我部の家臣にしてもらえると思っているのか」


 途端に、弥吉の身と神経が固くなる。


 「どういうことですか」


「そのままの意味だ。今長宗我部には家臣がいる。もし兄上が才能を発揮して、このまま長宗我部が力をつければ他の家との戦になる。ここまでは分かるだろう?」


 弥吉は小さな顔を僅かに震えさせながら、こくりと立てに振った。


「戦には勝たなければいけないが、勝ったとしても相手の一族を皆殺しにするわけではない。自分の支配下に入れるんだ。つまり、家臣が増えるわけだ。今まで敵だった者が忠誠を誓えば、強敵は頼もしい味方となる。こうしたことが繰り返される。すると一体家臣の数はいくらになるだろう。しかも多くが代々武士の由緒ある武将達だよ。学問も修めているだろうし。さて、お前が大人になった時、そこにお前の居場所はあるのかな」


「さ、貞親様はおいらに言いました。ちゃんと修練に励んで、大きくなれば必ずおいらを家臣にしてくれるって」


「まさかお前は、それを鵜呑みにしたのか」


元親はこんな愚か者は見たことがないとばかりに、さも呆れたような口ぶり言った。目の前の少年は、顔を青くして僅かに震えるとそのまま駆け足で出て行った。

部屋に一人になった後、元親は目を伏せて息を吐いた。


「相手が今、良心の呵責で不安定なところをついて、不和の種を蒔いたのですね。いいではないですか。私好みだわ。大人しくしているようだけど、なんだやっぱり逆転を狙っているのですね」


 元親が慌てて振り向くと、そこには艶然と微笑む妲己の姿があった。一体どこから、と思ったが元親はすぐに相手は魔性の者で、白と同じような事が出来るのだと悟ってそのまま身構えた。


 相変わらず、息を呑む美しさである。その精緻な様と存在感は、白の玉藻のそれと同質のものだった。しかしこちらの方が、より男あるいは国を滅ぼすような危うささえ感じさせるものである。この麗質の中に、この岡豊城を丸ごと滅ぼせるだけの凶暴な力が、まるで溶岩のように潜んでいることを元親は改めて恐ろしく思った。


 それが白が眠っていた数百年の間の、人の想念なのか。


 

「いよいよ私を喰らいに来たか」

「別に食べたりしませんよ。今日はちょっと別の用事があって元親さんに会いに来たのですが、可愛い顔してあなたも大概えぐい手を使いますね」


「別に策でもなんでもない。苛々していたから、目の前の純朴な子どもに意地悪をしてやりたくなっただけだ」


「あの少年は無垢です。貞親さんへの忠誠は固いけど、長宗我部のごたごたをまだ納得していない。そんな震える幼子の心に爪を立てるなんて、姫若子と呼ばれながらも結構残虐なところがありますね。そこも気に入りました。だって、あなたは私が捕らえている人間そのもの。表面は正しく、中身は悪。それが人間というものでしょう。ああ、自分のやっていることが肯定さているようで嬉しい」


「抜かせ。私を喰らうのでないとすれば、一体何の用でここに来た」


 妖狐は二つの赤い凶星を輝かせ、元親の鋭い目顔を見つめ返した。


 「あなたに大切なお話しがあってきました。四国王」

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