第十五話 岡豊城

 岡豊城。下方に美しい川の流れる岡豊山の頂に立てられたその城は、現在長宗我部家当主、長宗我部国親の居城であり、その規模は土佐でも屈指の山城だった。城の周囲には商人や職人たちが市を開いていて、ここが鬼国の中でもさらに田舎でであることを考えればなかなかの城下町である。


 勝隆達の一行は、既にその城の中に入っていた。勝隆の本心はもっと町の様子や人の暮らしぶりを見たかったのだが、いちいち驚いている彼に十兵衛が世話焼こうと絡むので、後回しにしたのだ。


 白に言われて意識するようになったのだが、確かに十兵衛の自分に対する態度は、肉親に対するような『じゃれ』のようだと勝隆も感じていた。本当に歳の離れた弟でもいるのかも知れない。しかも鈍いと言われる自分が鬱陶しいとまで感じている辺り、よほど可愛がっているのだろう。


 岡豊城内は厳かと言うよりはむしろ、かなり開放的といった雰囲気だった。おじぎや挨拶など最低限の礼節は守られているものの、使いの童は庭を駆け回っているし、女達も笑いながら下働きをしていた。この戦いの世に城の中から笑い声が聞こえてくるのだから、暢気とも言えるが、豪快なものだと勝隆は感心した。

城内を見回していると、不意に飯の香りがしてきた。恐らく魚か何かを焼いている香りで、なんとも香ばしい。勝隆はこれほど豊かな地で獲れたもの料理したなら、美味いに違いないと思った。


 その時、馬の嘶く声が勝隆の耳に入ってきた。健康そうな生きの良い声である。声の方に目をやると、栗毛の馬に乗った若者が見えた。

 (俺の知っている馬より小さいなぁ)

 勝隆はじめ、馬上の人物よりも馬の方に目がいったが、若者の周りに何人かの男達が親しげに取り囲み、恭しさを持って接し出すと、興味はその若者の方に移った。これはただの若武者ではないらしい。若者は一目見ただけで聡明と分かる面差しをしており、歳は定かではないが、体格も良く貫禄もある。小綺麗な身なりと併せてただの家臣で無いことは明白だった。


 彼は勝隆に気が付き、こちらに視線を合わせると僅かな間の後にっこりと笑った。思わぬ事だったので、勝隆がどう返し良いか迷っていると、若者は気にせず馬小屋の方へと行ってしまった。

(何者だ?ここの若君だろうか)

「長旅、お疲れでございましたな」


 勝隆達を向かえてくれたのは、家臣の久武という男だった。見るからに真面目、神経質そうなやせ細った男である。歳は四十くらいで、彼が長宗我部の家臣の中でも信頼が置かれているのだろうということは、すれ違うほかの家臣達の態度からすぐに分かった。

というのも、勝隆の印象では、この土地の人々は気持ちの良いくらいに性格がはっきりと態度や言葉に出るのである。だから逆に、この久武を嫌っているのだなと言う人物が誰か、廊下ですれ違えばすぐに分かった。これがこの家中の気風なのかもしない。


 門を抜け城に入り、廊下を進む中、勝隆と玉藻は囁き合っていた。


「想像以上だな。こうもあっさり城に入れるなんて。城が立派なだけに、もっと何かあると思っていた」


「ほんとよね。普通はおいそれと入る事なんて出来ないはずよ。素性の知らない旅人なんて、下手したら門の所でどうにかされているはず。けど事前に連絡も入っているようだし、一応歓迎の準備も出来てるみたい・・・これはつまり」


「『明智殿』の身元、主が相当の相手ということだな」


 認めたくないものの事実らしい、と勝隆はいささか悔しがりながら思った。

しかし久武の傅く態度からも明白なように、それは確かなようだった。さらにこの城の者達と見比べて初めて分かったことだが、十兵衛の所作、物腰は全てにおいて洗練されており、同じ武士でも土佐の者とは違う『正しさ』や薫るような気品を感じさせる。それは間違いなく都の公家の家人ならではのものだろう。

そしてこの土地の人間は、雄々しさを有しながらも、そうした風雅に憧れを隠し持っているように感じられた。


 「今宵、歓迎の席を設ける予定です。何か特にお好みのものはありましょうか。今は春ですし、大抵のものは融通が利きまする」

久武が恭しく尋ねると、十兵衛は当たり前のように堂々とした様子で返した。その様はこの城に着くまでとはまるで別人である。

  「いや、主より受けている命が命ゆえ、派手な宴はご遠慮願いたい。それよりも早急に国親殿にお目通りしたいのだが」


 「分かりました。では早速そのように取り次ぎましょう」

 

 久武はみるからに残念そうだった。どうやら彼は宴が楽しみだったようだ。


 「それから、こちらは私の連れで怪しい者ではない。滞在中、どうかできるだけ自由にしてやって欲しい。自分の郷を出るのは初めての者故、色々と物珍しいものがあるだろう。どうかよしなに」


 「はっ、それはもちろんの事にございます。誰かに案内役を申しつけましょう。誰か!」

 久武が勢いよく叫ぶと、背の高い若者がさっと現れた。その様子がまるで風が吹いたように自然で素早かったので、勝隆は思わず目を見開いた。

男はやる気の無いような顔で一行を一瞥すると、軽く頭を下げた。


「お呼びで?」

「ああ、虎之助か。丁度良い。お前、この二人に城内を案内して差し上げろ」

久武は堂々と言い放ったが、虎之助という若者は明らかに不服そうだった。

「あの、たまたま近くを通っていたから来ましたけど、それは俺の仕事ではありません。私は若君付きです。誰か他の者に頼んで下さいよ」

「なんだと。貴様、忍の分際で」

「あ、これ。俺はこれを若に届けなくては行けないんですよね」

虎之助が持っていた包みを少しほどいてのぞき込むと、久武の顔は真っ青になった。その様子に、虎之助はいささか小気味が良いと思っている顔である。その様に、一同の興味は一気に大きくなった。

「な、何故このようなものを・・・。わ、分かった早くいけ。さっさと行け。すぐ行け!」

 慌てる久武をよそに、虎之助は十兵衛に軽く頭を下げてすたすたと去っていった。

「あら、あれは女物の衣でしたわね。随分と趣味の良い柄で・・しかし、なぜ若君が」

 白が十兵衛の肩からひょいと顔を出し、指摘すると久武の顔はさらに青くなった。

「いやあれは、その。実はうちの若君には口説いている娘御がいましてな。その娘を口説くために、色々と白粉や衣などを用意しているようなのですよ。全く、若の女好きにも困ったものです。わははは」


 久武はあからさまに狼狽している。恐らく元来嘘のつけないたちなのだろう。あの衣に何か秘密が隠されているのは間違いなかった。しかし人並みに仏心のある者ならば、大量の汗を掻く大の男を前にして、むしろこれ以上問い詰めるのは気の毒のように思えてくる。そもそも誰も、それほどあの衣に興味を引かれたわけではないのだ。


 勝隆たちはお互い目で合図を交わしながら、誰も口を開こうとはしなかった。しかし、久武も賢しい者ではないから、どれだけ待っても自然な流れで気の利いた話題に方向を変えようともしない。


 双方共に気まずい空気が流れ始めた。


 「なんだ、この者たちを案内すればよいのか。ならばその役目私が引き受けよう」

久武の後ろから聞こえた、凛とした声の主は紛れもなく先ほどの馬に乗っていた青年だった。


 勝隆ははっとして青年と目を合わせた。青年も臆すことなく受け止める。

やはり聡明な面差しをしている。歳は自分よりも少し上くらいで背丈は向こうの方が随分高い。澄んだ瞳と太い眉の端正な面差しは、この城で見た他の誰とも違っていて血筋と育ちの良さが伺えた。

「これは・・・貞親様」


総じて彼は、人をはっとさせる天質を持った青年だった。勝隆は一瞬で、この青年に興味を持った。

「お初にお目にかかる。長宗我部国親が嫡男。貞親と申す。そなた達二人の案内、私が請け負おう」

「しかし、それは」

「構わぬ。どうやらこちらの少年は私と歳も近いようであるし、私も今帰ってきて、夕餉まで暇をしていたのだ。良いだろう?」

「これはこれは。久武殿、もし不都合がなければそれで良いではありませんか。こちらの少年は勝隆と言いますが、確かにお二人は歳も近く気も合いやすいでしょう。それにこの者は元々御当家に興味がある様子。時期御当主と親交を持てば、色々と都合が良いと思うのです」

十兵衛が後押しすれば、久武もそれ以上反論はしなかなった。


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