第2話 艨艟、吠える

 一般にスイスの食べ物は不味い、と言われがちだ。それは別にスイスを誹謗してのことではない。

 永世中立国であるスイスは、食料の備蓄も厳格に行われており、特に小麦は備蓄の旧いものから放出されるため、味が劣るのだと言う。

 だが、そんなスイスにあっても、このカフェは別物だと、彼は思っていた。日本人らしく、甘い物は女子供の食べ物、と思いつつも、この店のケーキの類は一度試すに値すると思っていた。

 藤村義朗、海軍少佐。本来はドイツ大使館付武官補佐官だが、数日前からとある目的をもって、ジュネーブに滞在していた。

 もちろん、今日、彼は、スイーツを楽しむためだけにこのカフェに来たのではない。

「ミスター・フジムラですね?」

 背中越しに、声をかけられた。

「─────?」

「おっと、振り向かないでください」

 藤村は、言われるまでもなく、正面を向き、ケーキに手を付けようとする様を装っていた。

「我々の接触はまだ公にされてはまずいのです」

「承知していますよ」

 背後の男の声に、藤村はそう答えた。

「カサブランカ会談におけるプレス発表は我が国の真意ではない、今はそれだけ、貴国にお伝えしておきます」

「柔軟に対応する用意があるという解釈でよろしいですか?」

 藤村は、咀嚼していたケーキを嚥下してから、聞き返した。

「はい。今のところは貴国にとって有利でも不利でもないに過ぎませんが」

「いえ。問題は我が国の方で」

 相手の答えに、藤村はそう返す。

「伺いましょう」

 相手が聞き返してくる。

「困ったことに、我が国は貴国ほど柔軟ではありません」

「承知しております。ですから、今の段階からなのです」

 藤村の言葉に、相手はそう答えた。

「なるほど。我が国にとっては恥ずかしい話ですな」

「いえ。どちらも国柄というものがありますからな」



「回せーっ」

 一式大攻の発動機が、次々に始動させられていく。

 11月12日、午後。

 ウエワクの一〇〇式司令部偵察機が、ポートモレスビー沖に米空母部隊を発見したと報せてきた。

 現状、アメリカの大型空母はエンタープライズだけ。複数の空母を発見したというそれは、おそらく商船構造の護衛空母ではないかと思われた。

 だが、ポートモレスビーへの支援部隊だとすると、これを看過するわけには行かなかった。

「第六四戦隊、全力出撃だ! 海さんについていくぞ」

 陸軍の戦闘機隊も慌ただしく動き出す。

「野中一家、出撃でぇ! みんなぁ久々の獲物だ、元気いっぺぇやっていくぞ!」

 出撃前のブリーフィングで、野中はそう声をかけると、各々自機に向かって駆け出していく。

 準備できたのは、野中中佐直率の雷装機12機、高町八太郎大尉指揮の爆装機12機。

 ウエワク南第二飛行場から、次々に離陸を始める。

 陸軍は第六四戦隊が、先導機の九九式双軽を先頭に、加藤戦隊長本人の陣頭指揮下、出撃した。

「今からだと薄暮攻撃になりやすが、陸軍さんは大丈夫なんですかい」

 野中は少し気がかりになり、操縦を久瀬に任せて、無線電話で六四戦隊に訊ねた。

「心配無用。今の六四戦隊に天測飛行のできぬものはおりません」

 加藤大佐から、直々の返答があった。

 ビスマーク山脈に沿って高度を上げる。過給器を2速に入れ、オーエンスタンレー山脈を高度8000mで超える。

 ポートモレスビーの東側を通り抜ける。西側のケレマにポートモレスビーを支援するための飛行場が建設中なのが発見され、陸軍機が爆撃をしていた。

 陸地を離れ、珊瑚海へと出る。

「そろそろ敵さんが見えそうなもんだがな……」

 野中は、陸軍の新司偵の情報と、自らの航法とをすり合わせながら、側面窓から海面を見つめようとする。

「アッ!」

 機首機銃手であり、偵察員を兼ねる北川が、声を上げた。

「前方やや右、航跡見えまぁーす!」

「よし、高度を落としていくぞ」

 攻撃のできる高度まで落としながら、その航跡へと機首を向ける。

「高町、俺が先行する、お前らは少しゆっくり来い」

『高町了解』

 野中が指示し、高町大尉が無線越しに答えてくる。

「雷爆同時攻撃じゃないんですか?」

 久瀬が、不思議そうに訊ねる。

「敵を低空にひきつけて、陸さんに少しでも楽をしてもらおうってだけだ」

 一式戦は突っ込みが効かないのが弱点だ。

 だから、雷撃機が先行することで、敵に低い空戦レンジを強要する。

「グラマンです! 来ました!」

 前上方から、F4Fが突っ込んでくるのが捉えられた。

「この! この! 墜ちやがれ!!」

 野中と久瀬の背後で、住井がそう言いながら、20mm機銃を撃ち続ける。

 カチンッ

「くそっ!」

 120発入り弾倉を撃ち尽くす。

 背中のブリスター機銃座の12.7mm機銃はベルト給弾式の為、これは射撃を続けていた。

 住井が毒付きながら弾倉を交換していると、一式戦がF4Fを追って雷撃隊の側を駆け抜けていった。

「薄暮攻撃なのが功を奏したか……敵さん少ねぇぞ!」

 雷撃を試み、輪形陣内に侵入する。

「空母よりデカいの、いまぁす!」

「ほっとけ! 第1目標は空母だ!」

 北川の言葉に、野中はぶっきらぼうに言い返した。



「ジャップめ。来ないんじゃないかと不安になったが、そんなことはなかったようだな」

 第64任務部隊TF64指揮官、ウィリス・オーガスタス・リーJr.少将は、戦艦『ノースカロライナ』の艦橋で、一式大攻ベティの群れが寄ってくるのを見ながら、そう呟いた。

 TF64の役割は、日本軍の注意をソロモン海・珊瑚海方面に引きつけておくための陽動だった。

 日本軍の攻撃時間が遅れたため、戦闘機CAPが万全ではなかったが、どのみちベティ相手に護衛空母が無傷で済むとは思わない。

「本艦もいい目標だと思うのですが、狙ってきませんな」

 ノースカロライナ艦長、オーラフ・M・ハストベッド大佐が言う。

「遮二無二空母を狙ってくるな、日本人はそう言う性向があるらしい」

 キングやタイターから聞かされている情報を、リーは呟いた。

 だが、その時だった。

 ド・ド・ドーッ

 ノースカロライナに、立て続けに3回の衝撃が走った。

「何があった!」

「魚雷です! 魚雷にやられました!」

 リーの問いかけに、艦橋の誰かが答えた。

「バカな! ベティは全部、空母に向かっているぞ!」

 そう言う最中にも、艦橋の外では、一式大攻は4隻の護衛空母に雷撃を仕掛けている。1機が火を吹き、護衛空母の1隻に突っ込んだ。

「違います、これは……潜水艦です! 潜水艦の魚雷にやられました!」

「何……」

 ズォン!

 リーが言いかけた時、艦橋の外で別の水柱が立つのが見えた。


 ノースカロライナを雷撃したのは、伊号一九潜水艦だった。

 4本放たれた魚雷は、3本がノースカロライナの左舷を抉り、1本はノースカロライナの艦尾をすり抜け、駆逐艦『オブライエン』に命中した。


 ズドォン

 新たな爆発の衝撃が、ノースカロライナを揺すった。

「なんだ、何があった!」

「第1砲塔の弾薬庫に誘爆しました! 浸水量深刻、隔壁封鎖間に合いません!」

「くそ!」

 リーは毒つく

「艦長、総員上甲板だ!」

 リーは艦長に総員退艦を指示させながらも、ニヤリと笑った。

 ──だが……これで!



 それより、わずかに時間が経った頃。

 第17任務部隊TF17は、トーマス・カッシン・キンケイド少将の指揮下、夕暮れのビスマーク海を西南西に向けて航行していた。

 旗艦は戦艦『サウスダコタ』。『ワシントン』が続く。

 これに第4巡洋艦隊(重巡『ポートランド』、軽巡『アトランタ』)、駆逐艦『マハン』『カッシング』『ポーター』『スミス』『プレストン』『モーレー』『ショー』『カニンガム』が援護隊として航行していた。

 キンケイドに指示された命令はひとつ。

 艦砲射撃で、ウエワクの日本軍の飛行場を使用不可能にすること。

 下手をすれば航空攻撃を受け、英国東洋艦隊の2戦艦と同じ運命を辿らされかねない作戦だった。

 珊瑚海、ソロモン海は日本の潜水艦がウヨウヨいる。そこで敢えて、ビスマーク海側からの侵入を試みたのだ。

 やがて日は沈む。航空機で発見される可能性はほぼなくなった。日本軍も機上捜索レーダーの開発をしているという情報はもたらされていたが、まだ実用化には程遠いと言う。

 21時30分。

 ウエワクは目前。潜水艦を警戒した輪形陣から、巡洋艦隊を先頭にした単陣形に、突撃体勢に入る。

「アトランタが、レーダーに感ありと報告しています、水上艦です。方位189°、距離22マイル(約41km)」

「水上艦?」

 キンケイドは眉をひそめる。

虚像ゴーストじゃないのか」

 アトランタには最新鋭のSGレーダーが取り付けられている。が、高性能ではあったが、初期不良の発生率はアメリカを持ってしても抑え難かった。

 この為、キンケイドはアトランタからの報告を一瞬疑った。

 だが、たしかにそこにいる。

「待ち伏せてやがったか……ジャップめ!」

 キンケイドは20マイル強先の暗闇を見つめる。

射撃FCレーダー、やつを捉えているか?」

「万全です。いつでも撃てます」

「なら、返り討ちにしてやろうじゃないか」

 キンケイドは言う。

「33,000ヤード(約30km)まで距離を詰めろ、奴らはこんなものは持っていない、撃ったとしても盲撃ちだ」

 後に、キンケイドの最大のミスがこれだったとされる。


 そう────

 日本のレーダー技術は遅れている。

 ディステニアの介入により開発は前倒しになってはいるが、基礎技術力が劣るために作れるものの限界はあった。

 だが。

 のとの間には、無限の開きがあった────


「敵艦発砲!」

「何だと!?」

 ゴワァッ、ビリビリビリビリ……

 着弾の激しい衝撃波が、サウスダコタを包む。

「Oh! My god! 距離は、距離はいくつだ!」

「35,000ヤード(約32km)です!」

「何だと!」

 ──それでこの精度だと!? 信じられん!

「日本軍も射撃レーダーを持っているのか!?」


 実はそのとおりだった。

 二式水上電波探信儀改付。

 専用にアンテナと送受信機を持つ米軍のFCレーダーと異なり、基本は捜索用レーダーだったが、照準測定具を付加したタイプだ。

 その射撃精度は半径100m。これは、ほとんどの戦艦の光学式測距儀と台頭以上の性能だった。

「敵艦、斉射しています!」

 一度、至近に着弾さえさせてしまえば、後は修正で寄せていける。

 敵戦艦の第2斉射は──サウスダコタを、引き裂くばかりの衝撃を与えた。

「撃て! こちらも撃て! 撃ち返せ!」

 第2砲塔は消し飛んでいた。第1砲塔しか向けられないサウスダコタが、後続のワシントンとともに応射する。

 チカッ、チカッと、敵の甲板で光が瞬いた。

「いいぞ! ストライクだ!」

 キンケイドが制帽を握りしめながら、意気を上げたのも、一瞬のことだった。

 暗闇の向こうの敵艦は、何事もなかったかのように、こちらに応射してくる。

 ──こいつは……、こいつが……

 ミッドウェイで目撃されたという、スーパーナガトクラス。

 海兵隊のヨタだと思っていたが、本当に存在したのか。


「嶋田の言うとおりだったな」

 ──日本の技術力も、捨てたもんじゃないぞ。

 そう言った嶋田の顔を思い浮かべながら、山本五十六は苦笑した。

「大砲屋としては、複雑ですね。まだ戦艦に出番があるのは解りましたが……」

 宇垣纏が言う。

「いいじゃないか。飛行機屋の僕に、一泡吹かせられただろう?」


 史上最大の艨艟。

 戦艦『大和』『武蔵』の巨砲がこの時、ついに火を吹いたのだった。


「目標変わらず! 敵1番艦! 撃ち方続け!」

 艦長の高柳儀八大佐が指示を飛ばす。

「宜候」

 ズドドドォッ!!

 大和の第1・第2砲塔が斉射する。

 大和型戦艦は、重巡洋艦の拡大型と言われる事がある。

 日本海軍の戦艦は、日露戦争での戦訓から、砲塔をより多く搭載する方向に進化していた。扶桑型から、計画のみに終わった八八艦隊計画の一三号艦型まで採用され続けた、背負式砲塔がその特徴だ。

 だが、大和はその火力の実に2/3を前方に集中している。これは、イギリスのネルソン級などの極端な例(3基砲塔をすべて艦橋前方に配置)を除けば、かなりの前方重視スタイルだ。加えて計画31ノット、実際には27ノットの高速。それは戦艦と言うより、巡洋艦の戦闘スタイルだった。

 サウスダコタは、大和・武蔵の第6斉射までを一手に引き受けることになった。

「目標を移して、狙いを外すこともない」

 山本に「宇垣君に任せるよ」と言われた宇垣の指示で、サウスダコタが集中攻撃されたのだった。

「敵1番艦沈黙と判断! 敵2番艦に照準せよ!」

「諒解、照準敵2番艦! 電探室!」

 宇垣の指示に、高柳艦長が答える。同時に武蔵にも指示が飛んだ。

「電探測距よし、目標敵2番艦!」

「撃ち方始め!」

 ズドドドォッ!!

 敵2番艦、戦艦ワシントンには、武蔵の初弾が命中した。火柱が上がる。

 ズグォオォンッ

 ワシントンの応射が、大和に命中する。

 大和も無傷という訳にはいかない。12.7サンチ高角砲、各高角機銃がもぎ取られ、甲板はささくれだっていく。だが、それでも大和の重要区画ヴァイタルパートを破るには至らない。

 これが、建造に時間のかかる軍艦、わけても戦艦という兵器における、基準の優劣の問題だった。サウスダコタ級、ノースカロライナ級は、軍縮条約時代の延長線上でしかないのだ。最初から脱軍縮条約の次世代を見据えて設計された大和型が格上なのは、技術の優劣の問題ではなく、当然の帰結なのである。


 だがその一方で、日本も軍縮条約時代に無茶をしたツケを払わされていた。

 大和と武蔵が米戦艦に巨弾を送り込む一方で、軽巡『神通』が、松明のように燃え上がっていた────

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