#10 捜査開始

「草霞野球団っていうのは…………」

「おうよ、少年野球の名門だ。そこのレギュラーは、ほぼ百パーセント、プロ選手になるって言われるくらいの超名門野球チームだ。オレはそこに、入ってすぐピッチャーのスタメンになった」

 抱さんたちとグローブを買った帰り、僕と手縄くんはそんな他愛もない会話をしていた。

「すごいね。そんな名門チームに、入ってすぐスタメンなんて」

「オレなら当然だ!」

 自信満々に、彼は自負する。それは空威張りにも根拠のない自信にも聞こえない。どうも彼には、自信を持つに十分な証拠があるのかもしれない。

 あるいは草霞野球団に入ってすぐスタメンになったこと自体が、確たる証拠なのだ。

「…………ただ、それがどうも不味かったみたいだ。オレもまだ浅いな。もうちょっと、後ろで大人しくしてるべきだったんだ」

 たとえスタメンにすぐなれる実力があったとしても、だ。苦々しく、彼はそう言った。

 具体的な内容は知らなくても、その結果起こったのが『草霞野球団の一件』なのだと、すぐに想像はできる。

「お前はどうなんだよ、九」

 と、手縄くんは僕に話を向けてきた。自分のことばかり喋っては、割に合わないと思ったのだろう。

 どうなんだよ。つまりあの時、グローブ売り場で互いが確認した経験を、それとなく彼は聞いている。

 すべてを答える義理は無い。それはお互いに了解していた。だから僕も、手縄くんが明かした程度の情報を述べるにとどまった。

「人が人を殺さないのは難しい。僕が知ったのは、それだけだよ」

 多くを挙げようとすれば、細かい教訓まで挙げることはできる。三年前の出来事によって、僕は他人の死を悲しいとは思わなくなった。他人の死体を次に見たとしても、取り乱さないかもしれない。でも、そんな細かな部分まで手縄くんに話す必要はない。互いに似た経験があるだけ、互いに喋りたくない範囲があることは織り込み済みだ。

「まったく、互いに大変な目にあったもんだ」

 手縄くんはまるで僕から全てを聞いた後のようなセリフを言った。それも、僕たちだからできる配慮だ。

「本当に、ね。だからこそ、今回の『義務殺人』を、手縄くんはどう思う?」

 それとなく、僕は手縄くんに水を向ける。彼の初日の台詞が本心でないことを、確認するためだ。

「ああ。オレはこの一年を、ろ過装置みてえなもんだと思ってる」

 手縄くんはそんな僕の思惑に気付いていないのか、淀みなく喋る。

「最初は目も眩んださ。でもさすがに気付いた。人殺しは駄目だ。ルールが許してもオレ自身が許せなかった」

 これで殺人の芽は、去ったはずじゃなかったのか。

 手縄くんのこの台詞で、当面の危険因子は消え去ったはずじゃないのか。

 それなのに。

 どうして彼が、ここで死んでいるんだ?

「どうしてだ…………? なぜ、手縄くんが……………………」

 呆然とする遊馬くんを置いて、とにかく赤ペン先生にすべてを伝えた。赤ペン先生はもしかすると嬉々として手縄くんの死を喜ぶんじゃないかと思ったけど、普段通りのテンションのまま、運動場にいた男子全員に体育館へ集まるように言った。

通常のテンションを保っているだけ、ハイになられるよりはマシだったのかもしれない。それでも、人が死んでいるのに通常のテンションのままというのは、ストレスを十分に与えた。

 それを不謹慎だと、僕は言えなかった。動揺こそしたが、僕もまた、いつも通りだったからだ。

 時間が経てばたつほど、感情がフラットになっていく。

 予想通りなのに、自分のことなのに、気味が悪い。

 体育館に男子が入ってくると、女子たちは怪訝そうな顔で僕たちを見る。それもやむなし。体育館に入る男子のほぼ全員が、これから通夜でも開きそうな顔つきだからだ。

 例外は僕と、体育館に着くまでに普段の表情を取り戻した遊馬くん、そして御手洗くんだけだ。遊馬くんは顔がまだ青いから、無理していつも通りを装うとしているのが分かる。御手洗くんは、もともとの覚悟が他のみんなと違うのもそうなんだけど、僕と遊馬くんと違って直接手縄くんの死体を見ていないのが大きい。

 それでも死体を見たからといって、御手洗くんが表情を崩すとは考えにくかった。

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ!?」

「それはこれから、先生が説明します」

 阿比留さんの疑問を受け止め、体育館前のステージに立った赤ペン先生が発言する。あからさまな合成音声もそのままだ。かといって、いきなり声色を変えられても失笑物だが。

「まずみなさんにお伝えしまーす。君たちのクラスメイトで、一際『義務殺人』に意欲を燃やしていたと思われる手縄明くんが殺害されました!」

「…………っ!」

 声にならない悲鳴。それは抱さんのものだった。他の女子生徒も動揺を隠せないようだが、それでもまだ冗談半分という印象が拭えない。これは単に抱さんだけが真面目に『義務殺人』の概要を捉えていたとか、他の女子生徒が不謹慎だとかではない。

 赤ペン先生が悪い。こんないつも言うことが嘘か本当か分からない教師がいきなり「手縄くんが死にました」と言ったって、はいそうですかと信じる生徒はいない。

 何気なく、雲母さんの方に視線が向いた。どこに誰がいるか分からない雑多な人ごみの中でも、金髪の彼女は目立った。

 雲母さんは、表情を何一つ変えていなかった。御手洗くんと同じく……ではない。御手洗くんはフラットに表情が変化していなかっただけだ。もしかしたら内心では動揺しているのかな、くらいの推測の余地が残っていた。

 彼女は、違う。僕とも違う。動揺なんて、一切見られない。推測の余地すら残らない、完璧なフラット。コンスタントに彼女は感情を、保っていた。

 赤ペン先生はしばらくみんなの様子を見て、それから言った。赤ペン先生も先生で表情が一切崩れていないけど、それは先生の性格とは関係が無い。着ぐるみだから、表情が変わらないだけだ。

「うーん。どうも信じられてないみたいですね。それではお見せしましょう! どうぞ!」

「…………は?」

 お見せする? 手縄くんの死体をか? でも、どう……………………!

 ステージの真上から、スクリーンが下りてきた。視聴覚室にあったものとは比べ物にならない、巨大なスクリーンだ。それと同時に、暗幕が体育館の左右にあった 窓を隠していく。

 意外と高性能だな!

 スクリーンが下りて、全ての暗幕が閉められると同時に、館内の灯りが全て落ちる。そして次の瞬間には、スクリーンに映像が映される。

 手縄くんの無残な死体が。

「いや、え、どうして、こんな………………っ!」

 その声は、鴨脚さん? 暗くてどこにいるかは分からないけど、彼女の声なのは確かだ。

 やっと事実を認識した女子陣から、悲鳴が上がる。事実こそ知っていても死体は初めて見る男子陣も、それは同じだ。

 阿鼻叫喚とは、こういう状態のことなのか。

「五月蠅い」

 それが悲鳴を聞いた僕の最初の呟きだった。その声はたぶん誰にも聞こえなかった。もし聞かれていたら大変だ。自分でも、どうしてこんな声が出たのか分からないほど、冷たい声だった。

 雲母さんの冷たさが伝播したように、凍える声だった。

 そのせいかもしれない。僕はこの地獄のような空間に何かが足りないとは思ったけど、その足りない物の正体は掴めなかった。

「えー、みんなちょっと落ち着いてね」

 体育館中に、赤ペン先生の声が響く。その声で、やっと混乱は収まった。現実離れした声によって現実に引き戻されるとは、滑稽すぎる。

 それにしても赤ペン先生の声は、拡声器でも使っているんじゃないかと思うくらい大きい。まあ、元が機械を通した音声だから、無線で体育館にあるスピーカーに繋ぐということも可能なのかもしれない。

 むしろ、そういう風になっていた方が、赤ペン先生としても楽なはずだ。

「これからのことについてお話します。みんなにとって重要なことだから、よく聞いてね」

 そこに至って僕も、ようやく現実的な部分を考え始めていた。

 殺人。それを犯した生徒はこの中にいる。手縄くんという無実の少年をひとり殺しておいて、のうのうと報酬として『環境の整備』を手に入れる。手縄くん、それに根廻さんの言い分によるなら、それで犯人は好きな学校に進学できる。

 あまりにも安い。赤ペン先生は殺人こそが妥当な『自発的な行動』だとしていたけど、僕から見れば安すぎる気がする。

「これからも何もよお…………」

 五百蔵くんが、赤ペン先生に声をかけた。彼は彼で、何か思うところがあるのかもしれない。生憎表情は見えないから、どういう面持ちなのかは分からない。

「明の野郎は死んじまったんだぞ。誰が殺したかは知らねえが、その犯人はもうこれで更生したってことなんだろ?」

 赤ペン先生から返ってきたのは、予想外の一言だった。

「え、まだ犯人が殺人をしたとは決まってませんよ?」

 赤ペン先生も暗闇に紛れて表情が見えないけど、こっちはうかがうまでもない。真顔に決まっている。それでも、もし赤ペン先生が表情を変えることができたとしても、先生は真顔で言ったのかもしれない。

「……え、何だって?」

 五百蔵くんも驚いて、聞き返す。他の生徒たちも、驚いているのが息遣いで分かる。普段は聞こえないそんな僅かな音も、暗闇ではよく聞こえた。

「つまりですねー、先生の定義する『殺人』の条件を、まだこれだけでは満たしていないということですよ。ただ殺してOKなら、もうとっくにバトルコロシアムになってるでしょ? そうならないのは何故か。君たちも分かってるくせにー」

 確かに、赤ペン先生の言うとおりだ。殺すだけでいいなら、とっくにそうなっている。そうならない理由は大きく分けて三つ。

 ひとつは倫理観。本当に人を殺してもいいのかという、疑問。この倫理観があったからこそ、手縄くんでさえルールで許されている殺人を良しとしなかった。いうなれば『義務殺人』以前に敷かれた人間としてのルールだ。

 二つ目は不信感。本当に殺人をしても、言われたとおりの報酬を貰えるとは限らない。殺したところであの赤ペン先生なら「え、本当に殺しちゃったの? 馬鹿だなあ、冗談に決まってるでしょ」とか言いかねない。確証が無いからこそ、二の足を踏む。

 そして最後に、おそらく赤ペン先生が言いたい要因。それは、範囲だ。いったい何が殺人なのか、殺人を知らない人には分からない。赤ペン先生が指す『殺人』の内容が、刺殺なのか圧殺なのか撲殺なのか毒殺なのか絞殺なのか殴殺なのか銃殺なのか爆殺なのか、あるいは他の何かなのか。『殺人』とは言われたけど、僕たちはその内容を聞いていない。

 そういう不審と不安が重なって、僕たちは人を殺していない。

「ここで発表しちゃおうかな。先生の指す『殺人』ってやつを。ズバリですね! 自分がやったってバレなければ殺人ですよ! 完全犯罪! それが先生の求める『殺人』です」

 な、なんだそれ……………………。

 赤ペン先生の自信満々な口調とは裏腹に、僕たちは戸惑った。そりゃそうだ! 「バレなければ犯罪じゃない!」とは聞いたことがあっても、「バレなければ殺人だ!」なんてスローガンは聞いたことが無い。

「分かる? 分かっちゃうかな? 難易度の問題なんだよ君たち」

 難易度? レベル。赤ペン先生はそういえば、入学式の日もそんなことを言っていた。あ、いや、それは僕が自分で勝手に訂正した話で、先生はその時『レベル』ではなく『リスク』と言っていた。

「バレバレの状況で人殺したって、レベルが足りないですよ! 君たちの望みどおりに進学とか就職させるの、どれだけ大変だと思ってるの! それをダラダラしてただけの君たちが、ただの人殺しで受けれるなんて、どうして思えるのかね?」

 言っていることは無茶苦茶だ。でも、入学式の日の説明と通して、一貫性がある。難易度。そういう話だ。

 『自発的な行動』は、普通の行動では簡単すぎる。ならば人殺しだ。しかも、誰にもバレない完全犯罪。

 それなら赤ペン先生が何故『レベル』ではなく『リスク』という言葉を選んだのかも、納得いく。リスクとリターン。その関係性が、先生の頭の中にあったんだ。

 『自発的な行動』。殺人という自分が犯人だと発覚したら十八歳以下の僕たちでさえただでは済まない罪を犯すという『リスク』に対し。

 『環境の整備』。自由に進学先、就職先を選べるという美味しすぎる『リターン』。

 これが、『義務殺人』の全て。

「ちょっと待て」

 その声は、御手洗くんのものだった。平坦な落ち着きのある声だったけど、それは心なしか作られた声のような気がする。彼も内心では、動揺しているみたいだ。

「先生…………そのことを、犯人は知っているのか? もし知らなかったら、後出しにもほどがある。これほど綿密にプログラムを立てた先生たちにしては、疎か過ぎないか?」

 御手洗くんの疑問はもっともだけど、彼はそれをさほど疑問とは思っていないらしい。ポーズとして疑問の形で聞いているだけであり、本当は結論が出ているようだ。

 だって、分かりきった話じゃないか。

「その辺はご安心を。犯人の生徒さんは既にこういうルールを、先生に確認してまーす。だから遠慮なく」

 これから殺人を犯そうとするやつが、その程度のルール確認を怠るとは思えない。

「…………じゃあ、後は警察の人に任せるしかないわね」

 その言葉は、阿比留さんのものだった。パニックからは何とか脱して、リーダーらしく必要な確認をしようとしている。まだ声は多少震えていても、その気丈さには舌を巻く。

「数日はかかるでしょうし、その間学校はどうするの? ていうか、その連絡のために集めたんじゃないの?」

「え? 警察? 何のことですか阿比留さん」

 またしても、赤ペン先生はクラス全員の度肝を抜いた。先生は合成音声ながら至極真面目そうな声で、そんなことを平気で言った。

「やだなーもう。警察の人が調べたら誰がやったかなんて一発だよ。それじゃ難易度高すぎでしょ。先生だってそこまでは要求しませんよ」

「は、はあ? じゃあ、誰が捜査するのよ!」

 阿比留さんは赤ペン先生に詰め寄らんばかりで叫んだ。暗いから見えていないだけで、本当に詰め寄っている可能性もある。

 でも阿比留さん。少しは自分で考えた方が良い。そうしないと、またしても驚く羽目になるから。

「無論、君達ですよ」

「ええっ!?」

「他に誰がいるのかな?」

 それもそう、なんだよな。警察に任せられないとなると、難易度的には素人に任せた方が丁度いいのかもしれないし、下手に当事者を増やすと情報が流出する危険度が上がる。そうなると結論はひとつ。

 僕たち以外にいないのだ、適任が。

「それでは犯人を決める『緊急HR』は三時間後にしましょう。捜査スタートです! あ、視聴覚室に行く前にみんな、体育館の出入り口にある『デバイス』を忘れないでね!」

 体育館の灯りが点く。ステージには既に、赤ペン先生の姿がなかった。先生の声が大音量になった時点で、たぶんどこにいても先生は声を体育館中に届ける方法に切り替えていたのかもしれない。案外、僕の想像した方法は取られているのかも。

「捜査………………か」

 それが今、僕にできること。悲しめなかった代わりに、手縄くんの死に対してできる、ただひとつの行為だ。

 ならば僕は、やるべきだ。おそらくこの中でもっとも死体に動揺しない僕こそが、おそらくこの中で唯一殺人という行為に両手を染めた僕こそが、手縄くんの死が誰によって与えられたものなのか調べるべきだ。

「……迷いが無い分、楽な仕事だ」

 何をすべきか、まったく分からなかった三年間よりは、よっぽど楽だ。

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