第21話 来訪者

 誰も居ない、二人だけの室内。

 少女と青年は、テーブルを挟んで向かい合っていた。

 後ろの棚には、とても貴族の部屋とは思えない奇妙な調度品がずらずらと並んでいる。

 多くは漫画やライト・ノヴェルに登場する美少女キャラクターを模ったものだ。

 壁に貼られたポスターも同じ。

 ここ一ヶ月の間に、この部屋のあるじがあちこちで買い集めた物である。


「――あなたにとっても、悪い話ではないはずです」


「…………」


 来客ともあれば、机の上にはお茶の一杯も載っていて然るべきだろう。

 しかし、この部屋は少女の物ではない。

 あくまでもあるじの留守中に借りているだけだ。

 来客たる青年もそれをわかっており、青年自身がお茶を遠慮していた。


「強制はしません。あなたの自由意志で決めてください」


「そ、そんな! 困ります……」


「ただ、一つだけ言える事は」


 青年はそこで言葉を切ると、少女の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「現状の維持だけでは、あなたの望みは決して叶う事はないでしょう」


「わ……私は何も……。これ以上、何も望む事なんて」


「本当ですか? いずれあのお方は、どこかのお貴族さまと結ばれる事でしょう。王立学院というのは、半ばそのために存在しているのですから。あなたはそれを指を咥えて眺めているだけ。…………あなたの方が、よっぽどあのお方の事をわかっているというのに」


「…………」


「確かに。あのお方にとって、あなたは無くてはならない存在でしょう」


「だったら……」


 少女の言葉を遮り、青年はかぶりを振る。


「でも。……身分違いなんですよ」


「……だから……どうだと言うのです」


 青年の根本的な言葉が、少女の胸をナイフのように抉る。

 何一つ反論できない。何一つ。


「私たちは平民です。使い捨ての消耗品です。この意味がわかりますか。あのお方にとって、使用人などいくらでも替えが効くのです。あなたとあのお方が結ばれる事など、決して有り得ない」


「……べ、別にそんな事……の……望んでなんか……」


「望んでいませんか? 本当に?」


「…………」


「あなたは、それで良いのですか? 本当に幸せなのですか? それがあなたの望みなのですか?」


「……………………」


 青年の問いに、少女は何一つ答える事ができない。

 決して長い時間ではない。しかし、永遠にも思える時間。

 少女の流す涙は、よく磨かれた床の上で幾つもの水滴となって揺れている。


「失礼。泣かせるつもりはありませんでした。これ、よろしければお使いください」


 青年の差し出したハンカチを少女はひったくるようにして掴むと、思い切り鼻をかんだ。


「ここだけの話ですが……これは、あのお方のためでもあるのです」


「……!」


 少女が顔を上げると、青年は唇をきつく結んだ。


「例の事件のせいで遅れてはおりますが、いずれ誘いが来るはずです。あなたのあるじを守れるのは、あなただけだ」


「私が……」


「ええ。あなたが真にあるじを想うのであれば、今が最後のチャンスでしょう。いやむしろ――」


 青年はソファから立ち上がると、ジャケットの襟を直す。

 仕立ての良い高級品からは、僅かにオーデコロンの香りが漂う。


「あのお方の破滅をお望みならば、別でしょうけどね」


「…………」


「もっとも」


 青年は爽やかな笑みを少女に投げかけた。

 女の子であれば誰もが視線を奪われてしまう、極上の笑みだ。


「そうなるかもしれないし、そうならないかもしれません」


 少女は膝の上に置いていたハンカチを、きつく握りしめる。


「そのハンカチは差し上げますよ。良いお返事を期待しています。では、失礼」


 青年を見送った少女はハンカチでもう一度鼻をかむと、洗面所に向かい、洗面器に水を溜める。

 鏡の中には、目もとを腫らした少女が一人。


「…………」


 少女は氷のように冷たい水で顔を洗うと、自らの頬を思い切り平手で叩いた。


「…………大丈夫……きっと、大丈夫なのです」


 もうすぐ少女のあるじが帰ってくる。

 情けない顔を見せる訳には行かなかった。


 ◆ ◆ ◆


「お前、魔法を外したのはわざとだな?」


 叱りつけるような口調ではなく、優しく諭すような。そんな口調だった。

 ボールドウィン侯爵の視線は、正面をむいたまま。


「…………いいえ」


 答えてから、オズワルドは自分の声がどことなく声が上ずっているのに気付く。

 そんなはずはない。そんなつもりは無かった。そのはずだ。


「あの高度で風船に火が付けば、間違いなく死ぬ。焼け死ぬか転落死かはわからねぇがな。だからお前は魔法を外した。お前が嘘をついていないのであれば、無意識に外したんだろう」


「…………」


「構うこたぁねぇ。お前は、それでいい。誰だって人殺しなんかしたくねぇ。当たり前だ。だからお前は……そのままでいい」


「………………」


 侯爵はそう言うと、わざとらしく伸びをして首をコキコキと鳴らす。


「やれやれ。オレも本当は自動車でススス~っと帰りたいんだがな。高くてなかなか買えないぜ」


「えっ?」


 あまりにも意外な言葉であった。

 てっきり『自動車なんて軟弱者が乗るものだ!』と言うと思っていたのだ。


「意外そうな目をするな。オレは戦時中は輜重兵しちょうへい、つまり輸送部隊でな。自動車の運転は得意だ。運転免許は宝物だぜ」


「そうなのですか!? 僕はてっきり……」


「前線で魔法ブッ放してると思ったか? 無い無い。オレはな、元々平民として生まれたんだ」


 公爵位が存在しないエイプルでは、王家を除いて最も偉いのが侯爵だ。

 しかし、先代のボールドウィン侯爵が王家と対立してお家取り潰しとなり、爵位と領地を失ってフルメントムに追放されたという。

 そこで出会った農民の女性と結ばれ、生まれたのがカーター・ボールドウィンだそうだ。

 父は事故死、母も過労で亡くなり、孤児院で育ったのだという。

 寄付で運営される孤児院はいつもお金がなく、大陸戦争の勃発によって発足した志願兵制度にボールドウィン少年は飛びついた。

 自分を育ててくれた孤児院に、銅貨一枚でも多くの寄付をするために。


「大陸戦争の末期に配置転換があってな。司令部で司令官を守ってた。オレは防御魔法を使えるからな。前線で敵と直接戦ったのは、そう多くはねぇ」


 多くの人とすれ違いながら、侯爵はかつての戦いの日々を訥々と語った。

 親友とも呼べる戦友。

 散っていった仲間たち。

 そして、王女との出会い。


「そういえば、閣下は去年のクーデター制圧の褒美としてアパルトメントを王家から下賜されたとか……」


「おうよ、その王家の末裔ってのが……うん? 何だありゃ」


 気が付けばアパルトメントの前。

 響き渡る自動車の警笛クラクションに会話は中断する。


「あれは……バージニアの自動車だ」


「おや、これはこれは、ボールドウィン閣下にオズワルド様。お帰りなさいませ」


 バージニア・リッチモンドの専属執事、デビッド・ペイジが今まさに自動車へ乗り込もうとしている所だった。


「やあ、デビッド。僕に何か用?」


 デビッドは一瞬だけ口角を歪ませたようにも見える。


「いいえ、大した用ではありません。グリーンバーグさんに少し話が合っただけです」


「ナオミに?」


「ええ。お互いに王立学院生の使用人同士、色々情報交換をしておくに越した事はありませんから」


 確かにオズワルドは最初の一日しか学院に行っておらず、現在の学院がどうなっているのかさっぱりわからない。


「なるほど、助かるよ」


「恐れ入ります」


 デビッドは深々と頭を下げると、自動車のドアを開け乗り込んだ。


「私はこれから学院にバージニアお嬢様を迎えに行かなければなりませんので、失礼いたします」


 時計を見れば、もうすぐ学院の授業が終わる時間だ。

 自動車であればものの数分で学院まで行けるだろう。

 重厚な排気音とガソリンの燃える匂いをまき散らし、デビッドは走り去った。


「ま、平民には平民の世界があるって訳よ。お前にもいつかわかる日が来る……かもしれないし、来ないかもしれん。じゃあな、今日はゆっくり休め」


 意味深な事を言って侯爵はトレーニング・ルームへと消えていった。


「さすがボールドウィン侯爵だ。言う事が深いな……うん?」


 半ば無意識に郵便受けに手を入れると、中に封筒が入っているのがわかる。

 郵便物の受け取りは本来使用人がするべきだが、ここ最近はそうも言っていられない状態が続いていたので仕方が無い。


「こ、これは……」


 見覚えのある封筒に、今ではあまり使われない真っ赤な封蝋。

 震える手で封筒を開け、手紙を開く。

 オズワルドに宛てたその手紙の差出人は、あろうことか巷で話題の大怪盗その人である。


『親愛なるオズワルド・ノートン閣下。近日中に、現在貴公の手許にある『賢者の石』を頂戴に参上する。 ――シルバー・ピジョン』

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