第2話 メトロポリスの駄菓子屋

「なあ、ナオミ。荷物……持とうか? 僕のトランクのほうが、まだ軽いだろ」


 ナオミは額に汗を浮かべ、少し息を切らしていた。

 仔牛ほどもある巨大なリュックサックは、見た目通りに重い。

 中身は聞いていないが、どれも『必要なもの』だという。

 対照的にオズワルドの荷物は、数日分の着替えと洗面用具のみ。

 王都は商業が発達しており、必要な物は現地調達ができると踏んでいたからだ。

 しかし、ウバスを出た事がないナオミの知識では想像が及ばなかったらしい。

 リュックサックから飛び出た金属棒は、フライパンの持ち手である。


「……そ、そんな! ナオミこそオズワルドさまの荷物を持つべきなのに、申し訳ございません!」


「ムリしないで。少し休もう」


「も……申し訳ございません……」


 二人は荷物を置き、一息ついた。

 ナオミはポケットからメモを取り出し、目的地を確認している。

 徒歩で行けるはず、ということではあった。

 しかし、正直を言えば今どこに居るのかもわからない。

 王都に初めて来るナオミに先を歩かせるのは、いささか不安があった。


「――あっ」


「どうした?」


「い、いえ、何でもありません」


 ナオミの視線の先にあったのは、ゴチャゴチャと商品を店先に並べた小さな店だった。

 カラフルなキャンディ、ラムネ菓子。ビスケットにキャラメル。

 派手で安っぽい玩具も賑やかな駄菓子屋だ。


「…………」


 ナオミは視線を逸らしつつも、時折駄菓子屋の方に視線が向いていた。

 ウバスにはこんな店はない。

 そもそも商店じたいがほとんど存在せず、必要なものは行商人から購入していたのだ。

 ジョージ王が現れて以来、過去に例のない画期的な品が増えたものの、数は少なめで値段も高かった。

 とても平民のメイドが買える金額ではない。

 週に一度現れる商人が持ってくる数々の品は、遠い都会への憧れをかき立てるのにじゅうぶんだったのだろう。

 オズワルドとて同じ事で、王立学院への進学を決めた理由の中にそれが全くないとは言えない。


「入ってみようか」


「いえっ、別にナオミは!」


「僕が行きたいんだ。それなら良いだろう?」


 オズワルドが駄菓子屋の軒先をくぐると、しわくちゃの老婆がカウンターで安楽椅子に腰掛け、新聞を眺めていた。


「いらっしゃい」


「ここは……菓子を売る店か?」


「そうさ。デカい荷物だねぇ。引っかけると困るから、店に入るならそこのベンチに置きな。見ててやるから」


「わかった。僕はウバス伯爵ノートン家の次男、オズワルド。品物を見せてもらおう」


「ウチは伯爵様が来るような店じゃないけどねぇ。……いや、そうでもないか。ま、好きにしな。支払いは現金のみだよ」


 ナオミを伴って店内に入ると、先客がいた。

 腰まで伸ばした黒髪。夏物のワンピースにゴムぞうりを履いた小学生くらいの少女だ。

 両手にお菓子を山と抱えている。


「おばちゃーん。これちょうだーい」


「あいよ。いつもありがとうねぇ。いま計算するから、ちょっと待ってておくれ」


 老婆が慣れた手つきで弾いているのは『ソロバン』と呼ばれる計算機だった。

 出入りの商人が近年使い始めたのを見たことがある。

 これもまた、ジョージ王の発明とされていた。

 ナオミは手持ち無沙汰の少女に声を掛ける。

 人見知りの激しいナオミにとって、老婆よりは話しやすいからだろう。


「ねぇ、キミ。この辺の子かな? ここ、どこだか分かる?」


 少女はナオミが差し出したメモに目をやると、珍しそうにくるくると回しながら少し考えているようだった。


「すごいなー。羊皮紙なんて、まだつかってたんだなー」


 羊皮紙は現在ではほとんど使われておらず、工場で大量生産された木材パルプ紙があらゆる所で使われている。

 それは本の値段を数百分の一に押し下げ、発行される量も数千倍、数万倍にも押し広げた。

 そして、ついには毎日の出来事を人々に伝える『新聞』まで登場したのだ。


「えっ、私の田舎じゃまだ使ってるけど……」


 しかし、それもあくまで都会の話。ウバスは違う。


「そうなんだー」


 少女は真っ黒な瞳をナオミに向けた。

 黒い瞳でかつ黒髪は珍しいと言われる。

 しかし、ナオミの母親もそうだし、今は亡きジョージ王もそうだったという。


「あのさー。これ北口からいかないとだめだよー。ここ駅の南口だから、逆だよー」


「え、そうなの? ……あっ、本当だ」


 ナオミはオズワルドに向き直ると、深々と頭を下げた。


「申し訳ございません。方角を間違えていたようです……」


「まぁ、不慣れな道だ。やむを得ないさ。君、そこにはどう行けばよいか、わかるかい?」


「地下鉄のれるー?」


「え? チカテツ? ……ああ、地下鉄ね。うぅん……」


 聞き慣れない言葉だったが、事前情報として出発直前に聞いていたのを思い出す。

 王都の地下にはトンネルが掘られ、そこを電気で動く列車が走っているのだ。

 各方面に伸びており、初心者には敷居が高いとされる。


「むずかしいー? ……んー。じゃー、これあげるー。これがさすほうが北、だからねー」


 少女が差し出したのは、糸で吊した釘だった。

 方位磁針の代わりだろう。

 今では地磁気を発見したのもジョージ王と言われる事もあるが、実際には数百年前から羅針盤が実用化されている。


「いいのかい? ありがとう」


「にしし、たいした物じゃないよー」


 確かに、これを使えば方角を見失うことはない。

 王都は碁盤の目状に区画整理されており、住所と方角が分かればどこにでも行けるのだ。

 慣れれば、の話だが。


 そうしているうちに、金額の計算が終わったようだ。

 老婆が少女に声を掛ける。


「はいお待たせ。銅貨二枚だよ」


「んー、まけてよー」


「だめだめ、他のお客さんに悪いからね」


 少女が銅貨を老婆に渡すのを見て、オズワルドは衝撃を受けた。

 お菓子は紙袋に詰められたが、その袋は少女の顔ほどもある。


「何ということだ……あれだけ買って、銅貨二枚……だと?」


 オズワルドは手近にあった笛の値段を聞いた。


「――な、なぁ店主。これはいくらだ?」


「銭貨五枚さね」


 銭貨といえば、エイプル銅貨の十分の一。日常使うことはまず無い。


「……買おう。それと、メイドが適当に菓子を選ぶから、それの支払いも一緒に」


 頷く老婆からナオミに視線を移すと、目をキラキラと輝かせていた。


「か、かしこまりました!」


 ナオミが菓子を選び始めると、少女は紙袋を抱えて店を出て行く。


「じゃーねー」


「ありがとう。君も気をつけて帰るんだよ」


 見送りがてら店の外に出ると、少女はヒラヒラと手を振りながら雑踏の中へ消えていった。思わず感心してしまう。


「都会の子は逞しいなぁ。おや、あれは……」


 スーツ姿のサラリーマンが路肩に停められた自動車に乗り込んでいた。

 運転手は別にいて、自動車の屋根には行灯が据え付けられている。

 辻馬車ならぬ辻自動車、すなわち『タクシー』であった。

 タクシーが走り去ると、買い物を終えたナオミがご機嫌な様子で戻ってきた。


「お待たせしました! ……どうなさいましたか? オズワルドさま」


「……そうか! タクシーを使えばいいんだ!」


 ナオミは目を見開くと、必死の形相でオズワルドの腕を掴んだ。


「そ、そんな、タクシーだなんて! オズワルドさま、もう少し慣れてからのほうが! 私たちはたった今、……たった今着いたばかりなのですよ!」


 ナオミの言う通りである。

 正直を言えば、この時点でオズワルドは自分の発言を軽く後悔していた。

 見れば、タクシーの他に馬車も行き来しているから、馬車に乗るという選択肢もあっただろう。

 しかし、むしろ男が軽々しく発言を訂正するべきではないと覚悟を決める。

 いつまでも避けては通れない道だ。


「いいか、ナオミ。いずれはウバスにも自動車が来るだろう。その時、僕たちまで驚いていては示しが付かないんだよ。僕は領主の息子なのだから」


 ナオミの頬を涙が伝った。

 しばらくの間メイド服のエプロンを握りしめていたが、やがて凜とした顔を上げる。


「今のオズワルドさまを旦那さまと奥様が見たら、どれだけお喜びになるでしょう」


「ナオミ……」


「……わかりました。ナオミもノートン家に仕える者として、お付き合いいたします! オズワルドさまの勇姿を、この目に焼き付けたく思います!」


「よし! 僕に任せろ!」


 オズワルドは胸を叩くが、どうやってタクシーを停めるのかがさっぱりわからなかった。

 結局、恥を忍んで通行人に使い方を聞き、タクシーに乗ったのは十分後。

 手を挙げる。ただ、それだけだった。


 ◇ ◇ ◇


 運転手にメモを見せると、ものの数分で着くという。

 振動もほとんど無いうえ、馬車の何倍ものスピードだった。

 これが自動車。科学文明の生み出した次世代の乗り物だ。

 初めての自動車は、思っていた以上に快適だった。

 本音を言えば分解して構造を調べたい所だが、そうもいかないだろう。


「結果的に釘は使わなかったな。でも、記念に取っておこう」


 オズワルドは釘をしばし眺めた後、鞄に大切にしまい込んだ。

 今は必要なくても、いずれ役に立つ日が来るかもしれない。

 少なくとも、本物の方位磁針を買う日まで捨てる理由はない。


「すごぉい……」


 ナオミを見ると、窓に顔を押しつけるようにして外を見ていた。


「いいか、ナオミ。あそこの柱に三色の明かりがあるだろう」


「は、はい。ございます。さっきから気になっていたのですが、あれはいったい……」


 振り向いたナオミの額には、ガラスの跡が赤く付いていた。


「あれが『信号機』だ。車も人も、青で進み、赤で停まる。ああ、赤になる前に黄色になるぞ。あれがあることで、人や車が事故を起こさずに済むんだ。貴族も平民も、大臣だってあれには従わなければならない。よく覚えておくんだよ」


「は、はい。覚えました。……あの、オズワルドさまは以前からご存じだったのですか?」


「ああ。『モチのロン』さ」


 嘘だった。出発の直前に、父に覚えさせられたのだ。

 しかし、運転手が何も言ってこないので、これで合っているはずだ。

 ナオミは瞳を輝かせ、尊敬の眼差しを向けてきた。


「うはぁ……さすがです、オズワルドさま! 何でもご存じなのですね……その……ステキです……」


 ナオミは頬を真っ赤に染めると、俯いてしまった。


「ははは、これくらい普通だろ?」


 ミラー越しに見える運転手の表情が呆れているように見えたのは、きっと気のせいだろう。


「オズワルドさま、あれは何でしょう?」


 ナオミの指差す先には、奇妙な男が踊っている。

 白く塗った顔に唇と目の周りに赤い化粧をし、水玉模様の派手なつなぎを着てお手玉をしていた。


「あれは……道化師だね。お店の宣伝とか、サーカスで芸をしたりする人だよ」


「ウバスで宣伝しても、全く意味ないですからね! さすがオズワルドさまです、すごいなぁ……」


 やがて信号が変り、車は再び走り出す。

 数分走った後、運転手は車を停め、こちらに顔を向けた。


「あー、その。到着ですよ、お客さん。ここが『マッスル・アパルトメント』です」


「うん、『バッチグー』だ」


「は? バッ……何です?」


 運転手はなぜか目を丸くしていたが、オズワルドは構わずに車を降りた。


「ナオミ、支払いを頼む。チップも忘れずに」


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