#36 黒柳楓

「車動きませんね、社長」


 隣の席に座っていた秘書の真美がぼやいた。楓たちはアメリカでの会議のため、成田空港へ向かっていた。しかし、下道を走っている途中で渋滞にはまってしまったのだ。


「そうね、真美。間に合うかしら」


「大丈夫ですよ。ちゃんとそれを見越して早く出たんですから」


「お、さすがね。頼りにしてるわ」


「いえいえ、私なんてまだまだですよ。これからです、これから」


 そういって真美は外に視線をやった。何かに気づいたのか目を凝らしている。


「どうかしたの?」


 楓が聞く。


「あ、いえ。またなんか抗議活動みたいなのしているなぁと」


 見ると、外では何かプラカードを掲げて叫んでいる団体がいた。よく見ると、プラカードには『真の自由を!』と書かれていて、翼のような模様で縁取られていた。


「あれは……確かムクタね」


「ムクタ?」


 真美が首をかしげる。


「そ、ムクタ。なんでも自由を手に入れることを目的として全世界で活動している、最近勢力を強めてきた組織らしいわ。政治家にもいるみたいよ。ムクタの中にはよくわからない宗教も混ざってるみたいで。それに、今は日本も戦争に巻き込まれているからそういう団体の活動が活発で……ってニュースでもやってるけど知らないの?」


「す、すみません。ちょっと難しい話は苦手で」


 あはは、と真美はバツが悪そうに笑った。よく秘書になれたものだと言いたくなるが、そもそも雇ったのは自分自身で、尚且つやる気と実直さを見込んで秘書になってもらったのだ。文句は言えないし言うつもりもない。


「あ、動きましたよ社長。私アメリカ行ったことないんですよね。ちょっとワクワクします」


「いろんな企業のお偉いさんと会うんだから頼むわよ」


「大丈夫ですよ。たぶん」


 静かにはしゃぐ真美越しに、ムクタの活動に目をやる。


 自由を!自由に栄光を!真の人権を!


 自由……か。彼らの言う真の自由は分からない。昔は自分のやりたいことを自由気ままにやっていた。けど、夢や何かに縛られて生きるのも悪いことばかりではないんじゃないだろうか。


「……長、社長?起きてください。着きましたよ。空港」


 うっすらと目を開けると真美が楓の体を揺さぶっていた。どうやら眠ってしまっていたらしい。


「お疲れみたいですね。頑張っていきましょう!」


 真美の育ち盛りのような元気に気圧されながらもなんとか目を覚まし、車から降り、運転手に指示をして飛行機に向かった。


 ニューヨークへの到着予定時間は現地時間の10時だった。


「にしても、戦争中の飛行機ってこんなにも怖いんですね」


「どこにいたって怖いものは怖いわよ。車だった船だって。私も昔はいろんな危なくて怖いところにいたなぁ」


「そうなんですか?」


「昔の話よ」


「怖い話と言えば私、最近彼氏と別れたんですけど、そいつ1人や2人どころじゃないくらい浮気してて、その上束縛激しくて、もう気持ち悪くなって思いっきりひっぱたいたんですよね。あのときはなかなかでした」


「やるわね」


「若気の至りですよ、若気の至り」


 どこかで聞いたような話に楓は頬をほころばせ、前に向き直した。そしてパソコンを取り出し、仕事をはじめた。真美も同じくパソコンを取り出して作業を始めた。


 タイピング音とエンジン音に包まれて、約13時間のフライトを終え、アメリカに降り立った。興奮しているのかきょろきょろと辺りを見渡す真美とともに荷物を受け取り、黒いコートとパンツスーツに身を包み外に出て、迎えの車に乗ろうとした。


 すると、車の前に1人の男が佇んでいた。


「よ、カエデ。元気だったか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る