#25 誘いと餞別

 顛末を話し終えたリーは、グラスに残っていたわずかな酒を一気に飲み干した。ふぅ、と息をつき、「うん、美味いな」と呟いた。


「なるほどね、諭されたはずの司令官は残って諭したリーが飛ばされたわけだ。この国もなかなかやるねぇ。いや、軍の上層部か。昔っから変わらないもんだ」


「それで、貴方はなぜここにきたんです?」


 ワンが身を乗り出して聞いた。


「あぁ、まだそれを言っていなかったかね。というのもだ、さっきの話を聞いて分かってるかもしれないが、私は現在の人民解放軍の体制が気に食わない。なんなら国の体制にもだ。上の奴らは自分らに不都合のある人物を消したがる。下の奴らはその恐怖に束縛されて、自らの正義を貫くことができない。中国はかつての列強の支配に反発するかのごとく建国された。にもかかわらず一党による政治が続き、結局は支配から逃れることができない」


「それで?何が言いたい?」


 ヤンが素っ気なく言った。


「かつて、中国は幾度となく旧政権を屈服させ、新政権を立ち上げてきた。言うなれば中国は下克上の国だ。私は軍人のため国民のため、真の自由を勝ち取るんだ」


「なんだか変わってしまったね、リーは。で?どうやるつもりなんだ?」


「興味を持ったかね。チョーたちは私の協力者だ。それでもって彼らは最新鋭艦の乗組員だ。こいつでクーデターを起こす」


「おお、それはすごい。自分が聞いていいことかわからないけど」


「そうか。せいぜい頑張ってくれ」


「他人事ではないよ、ヤン。私は君を誘いに来たんだ。この作戦にね」


 リーは立ち上がり、ヤンに手を差し伸ばした。ヤンはリーの手に自分の手を近づけ、そして彼の手を掴み、下ろした。


 リーは狐につままれたような顔をした。ヤンは彼に一言、「すまない」とだけ言った。


「……なぜだ。なぜ誘いを断る」


「面白いことを聞くな。君は何かを勘違いしている。私は反乱に興味はないし、軍人に戻るつもりもない。呼和浩特フフホト号事件のときに私は誓ったんだよ。もうこれ以上、仲間を撃つつもりはない」


「その仲間のためだぞ」


「君はその仲間を裏切ろうとしている!!」


 店内が、初めて聞く店主の怒声で震えた。思わず、リーは一歩退いた。今までになかった旧友の怒りを感じたからだ。


「仲間を救う。さっきの話が本当なら同志に誓っていたはずだ。命運尽き果てるまで守らんじゃないのか。仲間を殺そうとしているんだぞ。仲間を敵に回すんだ、それがどういう意味か、呼和浩特フフホトにいた君なら分かるはずだ。上層部だけ狙うつもりかもしれないが、そこには死ぬべきではない仲間がいる。最も、死ぬべき人間なんていないがね。軍人は大義を、正義を持って国を守るという名目で人を殺すことができる職業だ。その反乱は大義を持ってなされるのかね。どうだっていいことだが、もし、それが君の、君たちの独りよがりで仲間が、国民が死ぬことがあるのなら、私は君を止めるよ。残念ながら君もまた、仲間だからね」


 両手をカウンターについて淡々と語るその口調には静かな怒りが混じっているように思えた。


「お代はもういい。今日は店じまいです。ワンさんすみませんね。ちょっと用事を思い出しまして。店を閉めます」


「え、あぁ、はい」


 目の前の出来事に理解が追いつかないワンはなんとか返事をし、荷物をまとめた。しかし、リーはその場にずっと佇んでいた。


「聞こえなかったかい。店じまいだ」


「……君がなんと言おうと、私はやり遂げる」


 そう言ってリーは足早に店を出た。


「あ、あの、ちょっと待って!」


 彼を追ってワンもすぐに店を出ていった。


 店の外でリーが車に乗り込もうとしていたところをワンは彼を呼び止めた。


「あ、あの!協力できることってあるんですか」


 リーは虚ろげな眼差しをワンに向けたが、すぐに微笑んだ。


「手伝ってくださるんですか。それは有難い」


「自分は商人をやってるんで、その辺りならできます」


「それはそれは。とても嬉しいことだ。ぜひ手伝っていただきますよ。詳細は追って連絡しましょう。連絡先は?」


 連絡さが交換したあと、ワンはリーに気になっていたことを尋ねた。


「あの、呼和浩特フフホト号事件で何があったんです?」


 リーはその質問を聞いて嫌気な顔をしたが、しばらく悩んだあと、その質問に答えた。


「彼の1番の親友とその一派が、艦内でクーデターを起こした。当初、ヤンもそれに従っているように思えたが、しばらくしたあと、親友を射殺し、一派の何人かを拘束した。ほかの逆らった奴も射殺したんだ。彼1人でね。その後彼は勲章をもらったが、軍を去った。勲章は彼の宿舎から見つかったよ。砕かれていたそうだ。その後、彼はバーを開いた。人が多くないところでね」


 リーは、それ以降口を噤んだ。ワンもそれ以上は詮索せず、軽い別れの言葉を言って、リーとひとまず別れた。


 1人になった店内で、ヤンはカウンターを片付けようと、2人がいた場所に目を落とした。リーがいた場所には明らかに3人で飲んだ分より多い紙幣が置かれていた。彼なりの餞別なのかもしれない。


 ヤンは、先ほどまでのグラスに酒と氷を注ぎ、カウンターの内側から出て、先ほどの紙幣を気にすることなくリーがいた席に腰かけた。グラスを持ち上げるとそこには自分の姿が映っていた。しばらくグラスを眺めたあと、一気にグラスの中のものを飲み干した。そして、グラスを勢いよくカウンターに置いた。グラスと氷が甲高い音を立てて、その下に置いてあった紙幣が挟まれ、濡れた。結露だけが原因ではなかった。

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