この径は何処へ向かって行くのか。

高騎高令

第1話 認知機能低下。

 2018年春先、妻ユリ子は声を失った。

 ある朝、隣のベッドで目覚めた妻ユリ子は、普段、声美人と言われるほどの高く通る若い声でなく、喉を引っ掻くような乾いたしわがれた声で、「声が出ない」手ぶりを交えて訴えた。


彼女の顔は、訳の分からない不安な表情で、深い疑問を浮かべていた。

「えっつ、声が出ない、風邪でも引いたかい」私はそんな返事で受けた。


取り敢えず、最寄りの耳鼻科へ妻ユリ子を連れて行く。

診察の結果、声帯が荒れているようだが、他に悪いところとか病気も無い。大きな病院の診察を受けるようにと、近くの労災病院の耳鼻科を紹介された。

労災病院においても、何ら変わる診断も無く、暫く、無理に大きな声など出さず、静かにしていれば云々。

 処方された薬は、神経安定剤。


日常の夫婦間の意思の疎通は、ぼそぼそ言う妻の声と手ぶりで、加齢による難聴気味の私、互いに意思がなかなかツーカーと言う具合にはゆかず。

妻は、もどかしさと不安とで、強いストレスを重ねて行った。


永年、頭痛に始まって、極度の腰痛、その上に前年受けた痔の手術後に痛みが残り、耳鼻科の医師からは心療内科医の診察を受けるよう示唆され、PCで検索したりして近くの同科の医院へ通院するも、結局、腰痛の際に処方された安定剤を処方されるだけで、妻はかえってストレスと不安を抱えたに過ぎなかった。


猛暑の夏を、ストレスの中で過ごしていた妻は、8月の13日の朝、目覚めと同時に、急に、右腕が震えを伴って動くと訴え、不安をさらに強く抱えた。


PC上で「勝手に動く腕}と検索、色々の原因と状態を検索しプリントアウトして、妻はその内容を読み、却ってマイナス面に神経を集中したようだ。


そんな状況を、普段掛かりつけの外科内科の医師、私の中高大学の後輩でもあり、馬術の後輩でもあるので、妻の状態を相談した結果、東京の松沢病院の医師を紹介の上、診察の予約を取ってくれた、

しかし、予約の診察は一か月先と言う事で、私も不安を持った以上に、妻は不安を重ねたのだろう。


止む無く、ネットで調べた、近隣の精神科専門の日吉病院へ通院するが、芳しい効果は無く、時には通院を嫌がって、無理やりタクシーで通院と言うこともあった。


その頃から、妻は、排尿排便のコントロ-ルが乱れ、深夜、トイレに起きて用をたすようになるのだが、その際、スムーズに用が達せず、苛立ちで、トイレのドアや壁を拳で叩き、苛立ちを紛らわせるようになって、集合住宅に住む私らは、近所迷惑になるのを防ぐため、私が妻を静止しようとすると、それに抵抗し、一時、無理やり寝かせていたが、次第にそんな状態が、毎晩のように続き、遂に、9月17日の深夜から早朝にかけては、私のパジャマの袖口を掴み、力任せに引きちぎり、手近にあった紙屑入れを放り出し、部屋中紙くずを散らし、眼が吊り上がって抵抗し、手に負えなくなり、アドバイスを受けていたことに従って、110番に救助を頼んだ。


その結果、横浜市の、高齢者心の相談室に指示によって、緊急処置入院することになった。

入院搬送先は、神奈川県立精神医療センターと言う病院で、芹が谷に在った。


芹が谷の県立病院から、一週間ほどで、その間は面会謝絶の状態だった。

次に横浜みなと赤十字病院の神経科へ転院することになった。


みなと赤十字病院に入院中は、回復の様子も見られた。


しかし、この病院も長期入院は出来ず。横浜市の指示によって、現在の精神科専門鶴見西井病院へへ転院することになった。


みなと赤十字病院の、神経科担当医師下田先生より。

転院前の県立病院では、「小脳変性脊髄症」と診断されたが、要した検査等からその病状では無いとのことだった。


現在の西井病院の担当医師の診断は、認知機能の低下が進みつつあるので、機能向上の薬等によって様子を見るとのことであった。


妻の現在の症状などから、妻が永年服用した鎮痛剤、ブロック注射や、硬膜下への何度かの注射等による副作用の結果かと私は思っている。


妻は、どちらかと言うと、物事を深く気にする傾向があり、気分の転換が上手では無く、どちらかと言うとマイナス思考が強い方だ。心配性とでも言うべきか。

楽天的ではない。そんな性格からもストレスを重ねてきた結果、ストレスの重さに抗しきれなかったのだろう。


4人部屋の病室は、個室に居るのと同じように、妻は同室の患者との会話も無く、一人横になって孤独の寂しさを我慢しているようだ。


見舞いに行くたび、満面の笑みと、寂しさからの悲しみの涙を流して迎える。

唯々、帰りたがる。自由の効かない苛立ちも有るのだろう。


つまらないものでも、所有したがり、制しも聞かず私の帽子のメーカーのラベルを引きはがし、自分のパジャマのポケットに仕舞いこんだ。


病院側では、患者の私物等を持たせないようにしているので、妻は自分の心のよりどころとして、何か自分の物として、謂わば自己主張のささやかな表れか、不自由への抵抗の表れか、自宅で淹れたコーヒーを持参したポットを欲しがり、パジャマの下に隠し持とうとして、取り上げるのに看護師とひと騒動だった。


以前はそんなことは無かったが、少し前から、私の身に着けていたものを、帽子のラベルを剥がして所有したり、ボールペンを欲しがったり、それは、物を使う目的では無く、私との繋がりを確かめる縁の積りと思い、私はかわいそうで胸が詰まる思いが込上げ、自然涙がにじみ出る。


週に2度の割で病院へ見舞いに行くが、状態が好転している気配は感じられず、幻覚からの妄想を話すことがあったり、唯、自宅に帰りたいと訴えるのみ。

私とて、妻が帰宅することを誰よりも願っているが、正常ではない妻の精神状態を、どのように受け止め対処できるか自信も無い。

別れ際の悲痛な表情に涙をこらえるのも容易ではない。


一進一退、なんていう様態では無く、次第に認知症の深みへ進んで行くようで、気持ちが落ち込む。

そんな妻を残して、息子と娘が居るとは言え、私には妻を残して先に逝く訳に行かない、そんな気持ちが絶えず思いの中に在る。

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