第18話 魔人ベリオール



 生きた魔人がいる。骸骨の言葉はレーベの、そしてメルですら言葉を失わせるに十分な衝撃だった。


『儂の名はエイリーク。魔人達と戦い続けた騎士じゃ。まあ、今はただの骨でしかないがの』


 ガハハと笑うエイリークのおかげで少し驚きが和らいだ二人は自己紹介をする。エイリークは冒険者という職業に疑問を抱いたが、詳細を聞いて自営の傭兵や警備兵の類と勝手に納得した。彼の時代には冒険者はまだ無かったのだろう。


「私達はここに来た同業者が帰ってこなかったから捜索に来たの。そこであのヘルハウンドが居たから色々調べてたのよ。でもまさか、魔人が居るとは思わなかったけど」


『儂も驚いたぞ。儂が生きた時代からもう四百年も経っていたとはのう。しかも当時の戦いが、ただのおとぎ話扱いされておるとは』


 彼は落胆とも安堵ともつかない溜息を吐く。無理も無い、己の生きた時代は確かに真実だった。それをおとぎ話扱いとなれば色々と複雑に感じるのだろう。

 だが、メルはそんな過去の男の感傷に深く付き合う気は無い。彼の言う事が真実なら、まだ危険は過ぎ去っていないのだ。少しでも多く彼から情報を引き出したい。


「この施設に結界が張ってあるけど、魔人が外に出る危険は?」


『無いと言いたいが、何百年も経った今ではどれほど昨日するか分からん。お嬢ちゃんたちがここの階層に居るという事は、所々施設が老朽化しているんじゃろ。どんな物でも人でもいずれ朽ち果てる』


 骸骨の言葉にメルは同意する。人も物も永遠には存在しない。いずれ朽ち果てて土に還るものだ。

 おそらくあの三人の冒険者がゴブリン討伐中に偶然ここを見つけて、不用意に何かしら触れてしまい魔人や眷族を呼び起こしてしまったのだろう。傍迷惑にも程がある。彼女はどうしてこう後の事を考えない輩ばかりなのかと苛立つ。


「このまま放置は出来ないわね。ここは魔人を捕らえている施設だけど、もう一度捕らえ直すか、倒す事は出来る?」


『捕らえるための装置が無事なら良いが、魔人が怒って壊していたら無理だの。それと、倒すのは可能だぞ。魔人は魔神と違って不死身でも不滅でもないからの。かく言う儂は仲間と共に何体も魔人を屠っておる。ここの下にいる羊頭魔人『ベリオール』は儂等が散々に痛めつけて研究用に捕らえた魔人じゃ』


 不幸中の幸いと言うべきか。傷付かない、殺せない相手ではないのなら、やりようは幾らでもある。おまけにかつて戦った経験者がこの場に居るのは望外の幸運だ。


「なら、貴方も協力して。ここで最期を遂げたって事は、その魔人に対して色々と思い入れがあるって事でしょ?見届ける必要があるんじゃないかしら」


『まあ…の。じゃが、ごらんのとおり儂はただの骨じゃぞ。お嬢ちゃんにはなんぞ良い方法でもあるのか?』


 メルは竜牙兵を呼び、何かの呪文を唱えた。すると、エイリークの霊魂が骨から離れ、竜牙兵の方に引き寄せられて中に吸収されてしまった。


「お…おう。なんぞ変な感覚じゃが、思い通りに骨が動く。これなら自由に動けるわい。まるで魔人の呪法じゃ」


 カタカタと竜牙兵は顎を鳴らす。そして何度か腕や足を動かして調子を確かめていた。横に置かれていた剣を取って鞘から引き抜く。不思議な事に剣は数百年放置されていても錆び一つ無く、金属とも魔法生物の骨や角でもない、見た事も無い色と質感の刀身をしていた。


「またお前を握って戦う事になるとはのう。頼むぞ」


 竜牙兵には表情など無いのでエイリークがどんな想いで剣を握っているのかは声からしか分からないが、レーベにもそこに込められた想いが想像も出来ないほどに重い事は容易に察せた。


 同行者が一人増えた一向は広間に戻って、入口から一番奥の扉の前に立つ。扉は勝手に開いた。


「ここは元々一部の者しか入れない区画じゃ。横の装置に札をかざさないと扉が開かない仕組みじゃが、長い時が経ってそれも壊れてしまった」


 開いた扉の先はまた降りる階段だった。昔の人間はどうして地面の下に行きたがるのだろうか。階段を降りながらレーベは疑問を口にする。


「馬鹿と煙は高い所が好きなら、賢い者は地面の下が好きって事かしら?人はね、大事な物も、見たくない物も、誰かに触れてほしく無い物も、そして死体も全部埋めて隠してしまえば良いと思う物よ」


「お嬢ちゃん、随分ひねくれておるのう。まあ、お嬢ちゃんの言う通り、人目に付くと良からぬ事を考える物がおるから、こうした研究施設なんかは地下に建てて隠すのが習慣みたいなもんじゃ」


 階段を一番下まで降り切った一行は、一旦お喋りを止めて戦いの準備を整える。レーベは武具を点検し、手持ちの回復薬や解毒剤の数を改めて数えておく。メルも手持ちの魔法具や薬をいつでも使えるように準備した。エイリークも慣れない竜牙兵の身体と数百年ぶりの実戦に些か不安を感じているが、そこは己の半身である剣と持ち前の経験で補う気だった。

 施設を良く知るエイリークが盾を構えながら扉を開け、それにレーベとメルが警戒しながら続いた。

 そこは瓦礫の山だった。元は何かの研究用の装置だった物、机、本棚、柵。どれもかろうじて原型が分かる程度に壊されてから無造作に山と積まれている。そして、その山の頂上に寝転がる捩じれた双角の羊の頭に黒い体毛の人型。無造作に投げ出した脚は人のそれでは無く、羊の脚と酷似していた。羊頭魔人とは言い得て妙だ。


「久しい顔じゃ。生きていた頃は何度も見たが、死んでから再び見るとは思わなんだぞ。あの時は大義の為に殺せなんだが、今度は息の根を止めさせてもらおう」


 竜牙兵エイリークは魔人ベリオールに剣を向ける。それに応えるように魔人は起き上がり、手近に転がっていた金属とも陶器とも違う質感の長い棒を手に取った。

 ―――大きい。レーベは立ち上がったベリオールをそう表した。立ち上がった魔人は3メード近い。その上筋肉隆々、見る人によっては羊の頭がやや愛嬌を感じさせなくも無いが、却って昏い威圧感を感じる。

 魔人は空いた左手を顔の前にかざし、親指と人差し指を立てて不気味な声を紡ぐ。それは人では決して出せないおぞましい音の羅列だ。


『phngluimglwnagh』


 次の瞬間、虚空より大量の飛蝗が顕れて、レーベ達に殺到する。


「ファイアグレイブ!」


 しかし蟲達はレーベ達に到達する前にメルの火の薙刀に焼き払われた。ベリオールはその炎に度肝を抜かれたような反応を見せる。その隙を見逃すはずの無いレーベとエイリークが左右から挟み込んで、魔人の両脚を斬り付ける。膝を着いて苦悶の声を挙げるが、咄嗟に棒を振り回して一人と一体を威嚇する。そして棒を振り回すたびに瓦礫が礫として飛来し、盾で防がねばならない。

 礫のお返しとばかりにメルが石魔法ストーンスマッシュにより、敵の頭上に幼児ほどもある石を生成、落とした。頭上からの攻撃は完全に不意打ちだったが、魔人には大して効かなかったらしい。首を二、三度曲げて調子を確かめてから歯を見せた。まるで子供の悪戯を嘲笑うかのような仕草に、メルは少しばかり気分を害する。

 そして本物の攻撃がどういう物か教えてやると言わんばかりに、魔人はまた奇妙な声の詠唱を唱えた。


『iaia!hastur!iaia!hastur!』


「風の刃が来るぞ!盾で防げ!」


 エイリークの言葉に従いレーベは火鱗の盾に身を隠す。メルは間に合わないと判断したエイリークは彼女の元に跳び、身と盾を使ってベリオールの風の刃から護った。強靭な骨で構成する竜牙兵の身体だからこそ出来る挺身だ。

 部屋全体を切り刻んだ風の刃が収まった時、一番早く駆けたのはレーベ。彼は盾を捨て、寝かせたミスリルの剣を両手で構えながら腰だめに突撃して魔人の右腕に深々と突き刺した。そしてそのまま横に引いて肘から先を切り落とす。棒を握ったまま落ちた腕を見た魔人は怒り狂って残る左腕でレーベの額を殴りつけた。


「ぐはっ!げほっげほ…くそっ!」


 凄まじい力で殴り飛ばされたレーベは壁に叩き付けられたが、頭から血を流しながらも咳き込んで立ち上がる。相手が無理な体勢からの拳打だったのと、額に着けたオリハルコン製のサークレットの防御力。そして自分から後ろに跳んで衝撃を半分逃がしていたのが命を救った。


「回復を急いで坊や!エイリークは邪魔して時間を稼いでっ!私は魔法で牽制する!」


「心得た」


 エイリークは脚の傷を無視して立ち上がろうとする魔人の脚を再度斬り付けて邪魔をする。怒る魔人は左腕を振り回して追い払う。彼は元から止めを刺すのではなく、軽く斬って注意を逸らすのが目的だったので都合が良い。離れた所で今度はメルが雷撃を加えて、数秒ベリオールの動きを止める。さらにその隙を突いて再び脚を斬り付けた。

 仲間が時間を稼いでいる間にレーベは小瓶の回復薬を飲んで傷を癒やす。まだ頭がフラフラするが、頭と背中の痛みは和らいだ。そして捨てた盾を拾い直し、戦線に復帰する。

 再び一人と一体に纏わり付かれた魔人はイライラしながら残った左腕を振り回すが、回避優先のレーベ達には当たらない。さらに仲間が離れればメルが魔法で牽制して呪いを使わせないように妨害する。

 その繰り返しで次第に魔人は怒りを募らせ、遂には爆発した。


『GAAAAAAAAAAAAAA』


 それはただの咆哮だった。しかし、力を持つ咆哮は全てを破壊する。見えない力により瓦礫が砕け、床には罅が入る。レーベとメルは肌が裂け、至る所から血が滲む。竜牙兵の全身の骨にも罅が入り、一部崩れた骨もある。


「くそっ!まだピンピンしてる。エイリークさん、あれ本当に倒せるんですか!?」


「あれでもまだ弱ってる方じゃぞ。今の咆哮も腕力も昔より破壊力が落ちてるからの。じゃが生命力は中々衰えておらんわ。こりゃ早々に勝負に出んとこっちが根負けするぞい」


 手数と速さはこちらが上、耐久力は向こうが有利。後は攻撃力だが、レーベの渾身の一撃なら四肢を切断出来るのは分かっている。エイリークも乗り移った竜牙兵の膂力なら多分同じ事は出来る。


「奴は人と違って心臓の位置をころころ変える。殺すなら首じゃな。それか体全部を潰せば死ぬわい」


 言うは易いが事を成すのは難しい。ただでさえ魔人は3メードの巨体、おまけに立ち位置は瓦礫の山と、極端に首を狙いにくい。今は脚を斬って膝を着いているが、それでもレーベやエイリークでは剣が届かない可能性がある。それに狙いが分かっていれば敵も対処しやすい。下手にレーベが身体を掴まれたらそのまま握り潰される。やるとしたら元から死人のエイリークか。

 覚悟を決めたエイリークだったが、その前にメルが考えがあると言って引き留めた。


「潰す手段ならあるわよ。準備に時間が掛かるし、下手をすれば巻き添えになるかも知れないけど、首を狙うよりは易いと思うわ」


「お嬢ちゃんの呪法か?」


「魔導師の魔法よ。多分源流はあいつら魔人の物だったんでしょうけど。まあ良いわ、とにかく時間を稼いで。それと詠唱が終わったらすぐに離れなさい」


 暴れ回る魔人と同様、レーベ達も戦意に衰えは無かった。


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