第4話 弟子にした理由



 椅子に座ったまま眠ってしまったレーベが目を覚ましたのは日の落ちた頃合いだった。

 扉を叩く音で起こされたレーベは目を擦って朦朧とする意識をはっきりさせる。そして未だ扉を叩き続ける者を迎えるために扉を開けて腰を抜かした。

 部屋の外にいたのはランプを持った骸骨だった。混乱するレーベに骸骨は一枚の紙を差し出す。流されるままに紙を受け取ると、何か書いてあったので、少し冷静になって文を読む。


『夕餉の準備が整いましたので食堂までお越しください。骸骨は眠気覚ましに最適かと思われます』


「――――うん。全くもってその通りだよ」


 差出人はあの人形メイドだろう。何もかも見透かしているのはいい気はしないが、確かに目は覚めた。からかわれているような気はしたが、それで臍を曲げるのは子供だと自ら認めるような物だったので、レーベはぐっと堪えて立ち上がり、骸骨に導かれて食堂へと歩き始めた。


 食堂には既に屋敷の主である師メルが座っていた。今は外で着ていた黒のローブを脱いでおり、青い簡素なドレスに着替えていた。


「お待たせしましたメル先生」


「構わないわ。むしろ、お腹を空かせた坊やを待たせてしまったかしら?」


 くつくつと笑うメルは余裕を見せる。そういえば、この女性が笑うのを見たのは初めてだった気がする。オークを倒した時も、ギルドで拒絶の姿勢を見せた時も、空で震える自分に呆れていた時も、彼女は笑っていなかった。

 彼女に突っ立っていないでさっさと座れと言われ、先導した骸骨とは別の骸骨がメルの斜め隣の椅子を引いたのでそこに座った。


 出された食事はどれも手の込んだ一流の料理人の手による美味なる物ばかりだった。季節の野菜を使った新鮮なサラダ。よく煮込んである味わい深いスープ。適切な処置を済ませて塩辛さの微塵も無く、香草をふんだんに使って臭みの無い肉料理。焼きたての柔らかいパン。デザートには蜂蜜漬けのカットフルーツ。

 給仕を務めてくれた自動人形のムーンチャイルドの仕事も完璧。料理を運ぶ骸骨が目に入らなければ、実家の食事に匹敵、あるいは凌駕する夕餉にレーベは満足する以上に困惑した。

 食後のコーヒーを無音で啜る少年の頭の中はあらゆる疑問で埋め尽くされている。その疑問を解消する為に、まず何から尋ねてよいのか、それすら上手く考えが纏まらない。


「色々と考え事をしているわね。そんなに気になる事があるのかしら?いえ、この屋敷には気にならない事の方が少ないわ」


「――――そう…ですね。何から聞けばいいのか。それすら上手く言葉に出来ません。ただ…」


「ただ?」


「僕と先生以外の人間がこの屋敷にいるのでしょうか?」


「居ないわ。屋敷にはそこの毒舌人形と私が死霊術で作った単純作業用の骸骨だけ」


 九割方予想していたので、その返答には特に気持ちを動かされたりはしない。レーベはこの屋敷に来てからメルを除いて、ただの一度も人間を見ていない。中も外も全て骸骨だらけだった。屋敷の中で掃除をしているのも骸骨。外で農作業をしているのも骸骨。案内役も骸骨。厨房から料理を運ぶのも骸骨。骸骨、骸骨、骸骨、骸骨、骸骨、骸骨、骸骨、骸骨。何の冗談かと思うぐらい、ここには骨が溢れていた。

 それらの主であるメル師。彼女の言う死霊術ならそれも可能だろうが、まともな神経の持ち主なら行使はしないだろう。ここまで骸骨に囲まれて平然としているのも、常軌を逸していると言われても反論出来まい。

 『死霊術』文字通り、死を司る外法に限りなく近い魔術。死体であれ、ただの骨であれ、術者の魔力を込める事で仮初の命を与えて使役する魔法。国の法では禁止されていないが、宗教や宗派によっては異端や外法扱いとなって迫害される恐れのある、極めて特異かつ習得の難しい魔法だ。

 この魔法を用いてメルは、レーベの倒した三体のオークを支配下に置いて残る七体のオークを同士討ちさせて全滅させた。おかげでレーベは今こうして夕餉の後のコーヒーを飲む事が出来た。


「死体を弄ぶ外道と思うかしら?それとも、そんな外道に命を救われ、弟子入りした己の無力さを恥じる?」


「そんなこと思ってません。だって、先生は僕を助けてくれました。外道なら助けたりせずに放って置きます」


「たまたまオークが必要だったからよ。そうでなかったら、坊やなんて死んでも構わなかったわ。ギルドでも他の冒険者が言っていたでしょう、私はただの悪い魔女よ」


「純粋な感謝を向ける童貞少年に、いい年して悪ぶってる女がタジタジですね。レーベ様、もっともっと攻めてください」


 外野のムーンチャイルドが煩い。しかし、レーベにとってもやはり気になるのが童貞と言う言葉だ。幼くともレーベも男。そんなに性経験が無いのを連呼されるのは良い気分ではない。

 だから、勇気を出してメルに、何故そんな事を聞いて弟子入りを許したのか尋ねた。が、そこに辛辣メイドのムーンチャイルドがすかさず口を挟む。


「そんなもの決まっています。まだ幼く清い童貞少年を性的に食べたくなったからお持ち帰りしただけです。つまりレーベ様は悪い魔女のマスターにとって今夜のメインディッシュなのですよ」


「アイスコフィン」


 メルが片手を振るうと、そこには氷の塊に閉じ込められた毒舌メイドのムーンチャイルドがいた。人外の美しさを備えた女性が氷漬けになっている光景はこの世の物とは思えぬほどに幻想的であり、見る者の目を奪う。

 しかし、そんな光景も長くは続かず、中のメイドは動き出して氷を自力で破壊して自由の身になった。砕かれて飛び散る氷がシャンデリアの光を反射して美しいとレーベは感じた。


「マスター、酷いですよ。私でなければ死んでいます」


「貴女は元から死ぬ事が無いのだから構わないわ。話が進まないから黙っていなさい。えっと、どこまで話したかしら」


「その、僕が童貞なら先生に何か利益があるのでしょうか?」


「ああ、そうだったわね。それなりにあるわよ。昼間、私が身分を明かしたのを憶えているかしら?」


 レーベは考え込んで、昼間の出来事を思い返す。最初に師と会った時、彼女は冒険者を兼業する研究者と言った。冒険者ギルドに所属しているのも、薬の材料が欲しいからとも言っている。事実、オークの体の一部を切り落として屋敷に持ち帰っている。

 つまり、自身を薬の材料と思っているのだろうか?そこまで考えて、レーベの顔から血の気が引いた。


「早合点はダメよ坊や。別に昼間のオークみたいに切り刻んだりしないわよ。少なくとも痛い思いはさせない事は、今この場で約束するわ」


「じゃあ、どうして?」


「坊やの精子が欲しいの」


 食堂に妙な沈黙が流れる。この場にいる人間二人は黙り込み、メイドは黙っていろと命令を受けて沈黙中。壁際に居た骸骨達はせっせと氷を片付けている。


「精子よ精子。精液とか子種とかのほうが分かりやすいかしら?若くて生命力に溢れた童貞の精子は優れた錬金材料になるの。だから、坊やがその一物から出す精液が欲しいのよ。もしかして、まだ精通が来てないの?」


「き、来てますよ!来てますけど、その、そんな理由で僕の師事を了承したんですか?」


「私にとっては結構大きな理由よ。何せ植物のように育てる事も、オークのように狩って手に入れる事も出来ない。性経験をしてしまえば手に入らないし。不服なら、弟子入りの話は無しよ。今日一日ぐらいなら泊めてあげるけど、明日街まで送り届けてお別れよ」


 レーベは確信した。この究極の二者択一を今この場で選ばねばならないと。ある意味、男として、一人の人間としての尊厳を売り渡してでも冒険者を続けるか、それとも拒否して夢破れて泣く泣く実家に帰るかだ。

 性の自由を売り渡す、性処理奴隷にも等しい扱いを受けるのは相当に抵抗感があるが、それを我慢すれば夢を実現する大きな手助けになるのは間違いない。

 永遠とも思えるような葛藤の末に、レーベは断腸の思いで己の貞操の自由を悪い魔女に売り渡した。彼女は恐ろしいほど喜悦に富んだ笑みを浮かべた。


「契約成立ね。安心しなさい、私は己の意思で取り交わした契約は死んでも遵守するわ。今後、坊やが逃げ出すか、童貞を卒業しない限りは最大限の助力を惜しまない」


「――――はい。ありがとうございます先生」


「早速、今日から精子を提供してもらうわね。道具が必要なら何でも言いなさい。そこのメイドが用意してくれるし、いざとなったら手伝わせるから。穴にさえ入れなければ問題無いわ」


「ふつつかものですが今宵よりよろしくお願いいたします。ポッ」


「いらないです。一人で何とかなりますから」


「そんな遠慮しなくても良いんですよ。手でも足でも口でもご自由に使って頂ければ。ああ、腋でも髪の毛でも滾ると言うのでしたらそれでも構いません」


 なおも言い寄る変態美女メイドから逃げるように風呂に直行。全てを洗い流す様にさっぱりした。


 そして風呂から出て部屋に戻ると、テーブルにはガラス容器と手紙がそっと置かれていた。読んでみると溜息しか出なかった。


『この容器に出して蓋をしておきなさい。後でムーンチャイルドに取りに行かせるから。出なかったらメイドに手伝わせるように命令しておくわ』


 レーベは泣きたくなったが、言われた通りにした。取りに来たメイドは残念そうだった。


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