am00:26~

   am00:26


 裏門守衛所の脇にセダンが停車し、浜崎純也が警備員に身分証明書を提示した。

 だが、十分ほど前に発生した緊急事態に警備体制は厳重警戒状態に移され、明朝七時まで出入り禁止とされた。

 しかし基本的に警備員の間では、一応上の人間である研究員に逆らってはいけないという暗黙の了解があり、浜崎純也がうまく話をつければ、折れる可能性は十分にあった。

 しかし浜崎純也たちにとって運の悪いことに、裏門には警備主任の高永大介が居合わせていた。

「浜崎さん、困りますなぁ。今、厳重警戒態勢なんですよ。ここを通すわけにはいきません」

 慇懃無礼にして高圧的な態度で通過許可を出さない。

 懇願する浜崎純也を、見下して嘲笑しているのがありありとわかる。

 内通者として疑っているのではなく、わざともったいぶって焦らし優越感に浸っているだけなのだ。

「どうしてもデータを取りに行かなければならないんだ。頼むよ、通してしてくれないか」

「チッ、しかしねぇ」

 おちょくっているのか、舌打ちすると顎をしゃくらせて首を回して見せる。

 酷く下劣で不快感を与える仕草に、浜崎純也が唖然とする。

 警備主任はまた一つ優越感を満足させた。

 この類の動作をすると、相手は大抵沈黙するのだ。

 それは俺の大きな器にビビってしまうのだと考えており、礼節を知らない者への軽蔑から来る沈黙であると気付くほど頭は良くない。

 助手席の遺伝子工学博士が対応を変わる。

「失礼。では車を調べてみればどうかな。それで問題は解決すると思うのだが」

 提案を断る理由が思いつかず、警備主任は舌打ちする。

 いつもは頭を下げるだけの相手に、俺たちの苦労というものをじっくり教えてやりたかったのだが、しかしこれ以上渋って、後で所長に報告されてはかなわない。

 誠実な勤務態度を、苦労を知らないエリートは不快に感じるものなのだ。

「良いでしょう、念入りに調べさせてもらいますよ」

 警備主任は二人を車から降りさせ、距離を取らせ、他の警備員に調べるよう命じ、自分も調査に加わる。

 だが本当に不審な点があるとは考えておらず、ただ無駄な時間を費やさせるための嫌がらせでしかなかった。

 警棒を玩びながら、時折車体を小突く。

 音でチェックしているのだという弁だが、真実かは大変疑わしい。

 しばらくして調べ終り、異常や不審な点は発見されなかった。

「なにもありませんでしたな。いや失礼。ゲートを開いて差し上げなさい」

 警備主任の慇懃無礼な言い回しに、守衛は開門のボタンを押した。

 ゲートは音を立てて左右に開き、外への道が通じた。

「ありがとう、警備主任」

 どうしても皮肉を禁じえない声で浜崎純也は礼を告げて、セダンに乗り込もうとした。だが張りのある女性の声が制止した。

「待ちな!」



   am00:30


 均整のとれた肉体を誇示する皮製のライダースーツを着用した、脱色した長い金髪の女性が研究所一階の窓から直接外に出ると、裏門へ走った。

「ちょっと待ちな、あんたに少し聞きたいことがある」

 緊急警備に加わることになった№42・奥田佳美は、研究所内を巡回中、偶然見かけたセダンと二人の研究員に胡散臭いものを感じて、詰問することにした。

 研究所の見学に来たという遺伝子工学博士は、取立て不振な点があるわけではなく、また研究所内に堂々といるのだから、セキュリティチェックをクリアしただろう。

 しかし二人は、搬出入庫で確か所長たちと一緒にいた。

 ならばその所長たちが実験体に入れ替わった時の前後状況を知っているかもしれないし、この二人がすり替えた犯人である可能性もないわけではない。

 そう考えて、奥田佳美は質問をしようとした。

 見学に来たという遺伝子工学博士は、冷静に悠然と構えている。

 遺伝子工学博士という肩書が偽物だとしても、そう簡単に化けの皮は剥がれそうにない。

 だが、浜崎純也は明らかに精神的な安定を崩し、明らかに動揺している。

 額から玉のような汗を出し、焦燥感もあるようだ。

 少し質問するだけで、虚言は簡単に剥がれるだろう。

 しかし奥田佳美が質問をする前に、警備主任の高永大介が威圧的に押し止めた。

「待て! これはおまえの仕事ではない。籠の中に戻っていろ!」

 現場を他の誰かが仕切るのが許せない、無自覚で幼稚なプライドが働いたためだろう。

 だが、奥田佳美がこのような低能に怯むことなどありえず、逆に不適に笑みを浮かべて掌の火球をかざしてみせた。

 威張るだけしか能のない雑魚など物の数ではない。

「退きな。火傷したいのかい?」

 炎の力に恐怖を覚えたのか、警備主任は後退り、だが不快感に顔を歪めて聞こえよがしに呟く。

「モルモット風情が」

「なんだと」

 あからさまに悪し様に言われて、眉目を怒気で吊り上げた。

 殺すわけには行かないが、少しばかり身の程と謙虚という言葉の意味を病院で考える時間を与えてやろうかと、本気で考え始めた。

 唐突に始まった仲間割れの隙に、遺伝子工学博士が目配せして、浜崎純也が助手席に乗り込み、続いて遺伝子工学博士も運転席に乗ろうとする。

 気が付いた奥田佳美はそれを止めようと叫んだ。

「待てって言ってるだろ!」

 パンクを起こそうとタイヤに意識を集中しかけて、中断した。

 運転席に遺伝子工学博士を名乗る男が乗り込む直前、胸ポケットのボールペンを軽く放り投げた。

 高永大介も警備員も、何気ない行為の意味を疑問に思っただけだったが、奥田佳美は直感的に危険を察知して即座に飛び退いた。

 警備主任の足元に転がったキャップの外れたボールペンは、警備主任が常日頃愛用している、蹴りの威力を数段上げる金属板仕込みの安全靴の爪先に触れた瞬間、爆発した。

 気化性の刺激薬が周囲に充満し、すぐに拡散するが、催涙ガスをまともに被った高永大介は、視覚と耳鼻の機能を奪われ、焼け付くような激痛に絶叫する。

「ひぁああぁあ!!」

 ボールペンを投げた男は即座にセダンのペダルを踏み込み、開け放たれたままのゲートを難無く通過した。

「待ちやがれ!」

 奥田佳美が走ってゲートを越えて、急速に速度を上げる車に向かって爆撃を開始した。

 分子運動を加速させた圧縮空気は固体物質との接触で拡散し、同時に内包している大量の熱エネルギーを瞬間的に周囲に撒き散らす。

 つまり爆発する。

 車体の脇で爆発が発生し、爆風で車体はよろめくが、速度は落ちない。

 さらに数回火種を飛ばすが、周囲の空気中にまだ残留している微量の薬霧が眼を刺激し、うまく狙いを定められない。

 感情や意志とは無関係の、生理現象による涙を拭い、標的を目測しようとする奥田佳美は、離れて行く車体から突き出された銃口を、涙で翳む視界で辛うじて判別した。

 まずい!

 咄嗟に研究所に引き返し、裏門の柱に身を隠した。

 だが警備主任が入れ替わりに外へ出てしまう。

「喉が、目が、眼がぁ」

 視覚を奪われ呼吸機能が一時的に低下し、体調の急激な変化に対応できずに錯乱している。

「このバカ!」

 奥田佳美が叱責し、腕を伸ばして強引に引きずり戻そうとしたが、それより早く銃弾の洗礼に晒された。

 彼女の右腕が弾かれ、警備主任が奇妙な踊りを舞う。

 激しいドラムミュージックはすぐに収まり、警備主任は前衛的なダンスのフィニッシュに、祈りのように膝を地に付けて空を仰ぎ、最後に冷たいアスファルトに情熱的な口付けをし、そして永遠に動かなくなった。

 生涯最高のダンスを披露した高永大介に、アンコールも拍手もないまま、数秒してから、奥田佳美がゲートから窺った時には、車体の姿はもう見えなかった。

 他の警備員たちは、程度の差はあれ眼と呼吸器をやられていたが、ようやく回復して落ち着いてきたのか、今頃になって警備室に連絡し始めた。

「クソッタレ!」

 毒づいた奥田佳美の右腕から血が滴り落ちた。



   am00:32


 男は窓から突き出した拳銃を懐に戻して、車の速度を安全な領域に落とし、後ろの二人に声をかける。

「もう良いぞ」

 後部座席の背凭れが倒れ、トランクルームから春日歩と南条彩香が現れた。

 トランクは前後に二重構造になっており、窮屈な思いはするが、子供二人ならばなんとか隠れることができる。

 這い出てきた二人は背凭れを元に戻し、助手席から浜崎純也が手を伸ばして手伝った。

「大丈夫かい?」

 浜崎純也の問いかけに沈黙しか返ってこなかったが、しかし様子から見ると、今の騒動で怪我をした様子はなさそうだった。

 少年は薬物の副作用のためか、相変わらず力が入らない様子だったが、少女が労わるように少年を後部座席に座るのに力を貸した。

「なんとか、外に出られましたね」

 二人を出してから、改めて浜崎は安堵の息を付く。

「さっきの爆発、あれは研究成果の一つか?」

 男の質問に浜崎純也は答えた。

「はい。№42・奥田佳美、発火能力者。戦闘試験段階です」

 彼は説明を吟味するかのようにしばらく沈黙し、やがて独り言のように呟いた。

「……本物だった」

 浜崎純也は意味が汲み取れずに聞き返した。

「なんですって?」

 しかし男は質問を繰り返さなかった。

「なんでもない」

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