第40話 ダークサイドへようこそ

「……芽衣めいさんが亡くなったのは、その翌日のことだ」


 語り終えた瞬間、俊平しゅんぺいは俯いており、その表情を伺い知ることは出来なかった。


「何が彼女の心を一番傷つけたのか、それは彼女自身にしか分からない。藤枝ふじえだの暴言が尾を引いたのかもしれないし、己の中の罪悪感が許容できないレベルまで膨れ上がったのかもしれない……突き放すような俺の態度が、ぎりぎり此岸に踏みとどまっていた芽衣さんの背中を押してしまったのかもしれない……それら全てが芽衣さんの命を奪ったのかもしれない……いずれにせよ、芽衣さんの死の原因の一端、いや、その大部分は俺にもあるんだ」


「話を聞く分には、誰も俊平先輩を責められないと思うよ。むしろ悲劇的でさえある。酷い裏切りにあって感情的に突き放してしまうのは当然だよ。それなのに俊平先輩は、彼女が亡くなった今でも、彼女のことを愛している」


「……悲劇なんて言葉、俺みたいな人間には勿体ないよ」

「悲劇か喜劇か、それは観客一人一人の感想だよ。先輩の物語は私の目には悲劇的に見えた。ただそれだけのことだよ」

「人の過去を物語が呼ばわりか。悪趣味なことで」

「自覚してるよ。だって私『深層しんそう文芸部ぶんげいぶ』の部員だもの」

「違いないな」


 肩を竦めて俊平は苦笑する。

 悲劇と称したのは、朱里あかりなりの遠回しな優しさだったのか、

 あるいは非難を望む俊平の感情を読み、望まぬ慰めの言葉をかけてやったのか、

 トリックスターの真意を読み取ることは難しい。


「俊平先輩はどうして繭加まゆかちゃんの調査に協力することにしたの? 一般論として、罪悪感のある出来事の調査に首を突っ込もうとするかな? もちろん、藤枝ふじえだのこととか、俊平先輩も知らなかった事実が明らかになったことも事実だけどさ」


御影みかげとの出会いそのものは偶然だけど、放ってはおけないと思った。御影が俺の存在へ辿り着く可能性があるわけだからな。疑惑が俺に向かないように、近くで調査の進捗状況を把握しようと思ったんだ。もちろん、君の言うように、俺の知らない真実を知りたいという思いもあった。

 芽衣さんと交際していたのが藤枝だと知った時は流石に驚いたけど、結果オーライ。芽衣さんの死に関する疑惑は全て、藤枝が被ってくれた。あいつの悪印象も手伝って、良心はちっとも傷まなかったよ」


 腕を大仰に広げて、俊平は映画の悪役を意識するかのように狂気的に笑って見せたが、


「やっぱり、俊平先輩は優しい人だね」

「今の俺の話聞いてた? 優しい人要素は皆無だったと思うけど?」

「そうやって自分を悪人に見せようとするあたり、本当に先輩って善人だよね」

「……空気を読んで、俺は悪人って体で終わらせてくれればよかったのに」

「私ね、映画はエンドロールまでしっかりと視聴するタイプなの」

「俺もだ。映画に限っては、だけど」


 朱里は想像以上にしつこい。本気で最後まで本音を吐き尽させるつもりらしい。

 すでに事情に見当をつけた上で、最終確認として本人に語らせようとしている辺りがまたいやらしい。


「全て、橘芽衣さんの名誉のためなんでしょう?」

「将来は探偵にでもなったら?」

「一応進路の候補には入っているよ」


 小悪魔チックに朱里は微笑む。


「橘芽衣さんの最初の仮面は、妹のような存在である繭加ちゃんにとっての、理想的なお姉ちゃんでいること。彼女の死の原因は藤枝からの暴言にあるという形で幕を引いて、彼女の二重交際の事実を葬り去ろうとした。そうすれば、繭加ちゃんの中の橘芽衣さんは、永遠にかっこいいお姉ちゃんのままでいられるから」


「……俺が悪人であることに変わりはないよ。芽衣さんがずっと外したがっていた優等生の仮面を、俺は死後も被り続けることに強いたんだから」

「ううん。先輩はやっぱり、悪人気取った善人でしかないよ。だって悪人なら、橘芽衣さんと繭加ちゃん、二人を同時に気遣うような真似はしないもの」

「……本当に全てお見通しなんだな」


 大きく息を吐き出し、俊平は今度こそ観念した。

 ダークサイドを覗き見ることを嗜好としている以上、朱里の観察眼はとても優れている。中でも最も観察する機会が多かったのは、友人である繭加のことだったはずだ。


 俊平ですら気づけた繭加の脆さに、朱里が気付いていないはずがない。


「過程はどうであれ、橘芽衣さんの死は、彼女が長年被り続けてきた優等生の仮面に大きく関係している。彼女が仮面を被るきっかけとなったのは、妹のような存在であった繭加ちゃん。全ては繭加ちゃんから始まったこと。もちろん繭加ちゃんには何の責任もない。全ては橘芽衣さん自身の問題。だけど、繭加ちゃん自身がそう捉えるかは分からない。いいえ、繭加ちゃんの性格を考えればきっと、自分を責めちゃうよね。私のために付け始めた仮面が、大好きなお姉ちゃんの首を緩やかに締め続けていたんだって」


「御影が全ての真実を受け止めるだけの覚悟を持っているなら、俺も正直に全てを打ち明ける覚悟が出来たかもしれない。だけど今の御影にはきっと、その覚悟は出来ない。あいつと一緒に行動していく内に、それがよく分かった」


 趣味嗜好と言いながらも、結局は繭加のダークサイド探求は全て中途半端。酷な言い方をすれば、都合のいい真実しか見えていない。

 彼女の探求には、朱里と比べて本気度が足りない。表層たる真相を知るだけで満足し、その奥深くにある深層を覗き見るという行為を知らない。


「あいつはきっと、根が優しすぎるんだ。悲劇の構図は何時だって、悪人と被害者によって成り立つと信じている。だから、真相のさらに深い部分に気付くことが出来ない。白木しらき真奈まなの件や、芽衣さんの死の真相に関しても、表面上の真相を知っただけで納得してしまっている」


 俊平が繭加の探求が不十分なものであると確信したのは、初めて部室を訪れた際に開示された白木真奈のデータが、信用に足る物かどうかを独自に調査していく過程でのことだった。

 幸せそうに笑う友人の吉岡よしおか麻衣子まいこのことが許せず、秘密裏に恋人を寝取って別れさせた。その上で本人にはそのことを悟らせず、今でも友人関係を続けている。


 白木真奈の自白を収めた音声もあり、繭加はそれが真実だと結論づけたようだったが、実際には、当事者たる白木真奈自身も知らなかったであろう真実が隠されている。

 俊平でさえも気づけた事の真相に、本来、繭加が気付けぬはずはない。被疑者白木真奈、被害者吉岡麻衣子の構図に納得し、それ以上の調査を行わなかった、興味を失ってしまったのかもしれない。


「あのダークサイドには驚いたよね。まだ裏があるなと思って、私も繭加ちゃんには黙って独自に調べてみたら、何と全て、被害者だとばかり思われてきた吉岡麻衣子の仕組んだことだったんだもの」

「高校入学を機に新しい環境や友人に適応し、自分への興味が薄れてきた白木真奈の気持ちを繋ぎ留めるため、愛してもいない男を恋人にし、白木の興味を引いた。二転三転する事実に、俺も目が回りそうになったよ」


 あの一件は、全て吉岡麻衣子の壮大な自演であった。

 吉岡麻衣子は交際していた市村いちむら一弥かずやへの愛情は一切なく、交際自体が白木真奈の興味を引くための餌であった。そういう意味では市村が一番の被害者な気もするが、麻衣子の目論見通り簡単に白木真奈に傾いた状況を見ると、端から軽薄な人間であった可能性も否定できない。

 友人の少ない麻衣子は白木真奈へ執着を抱いていた。自分は真奈の引き立て役に過ぎないと理解した上で、それでも真奈の近くにいれればそれだけで幸せだと、歪んだ愛情を宿していた。


 高校入学を機に新たな環境に順応し、真奈は交友関係を広げていく。そんな中、麻衣子は真奈の中で自身の存在が小さくなっていくことに恐怖を感じていたのだろう。

 結果、真奈が最も嫌うであろう、自身の引き立て役である麻衣子が自分よりも幸せそうにしている状況を作り上げ、再び自身へと関心を向けさせる計画を練った。

 麻衣子の目論見は見事に成功し、真奈は麻衣子の恋人を寝取る程のアグレッシブさを発揮してみせた。恋人と別れたことを、麻衣子は涙ながらに真奈へ相談。真奈は誇らしげに相談に乗って見せたようだが、その実、心の中でガッツポーズを浮かべていたのは被害者だとばかり思われていた麻衣子の方だったはずだ。


 一方が加害者で一方が被害者だと決めつけていたら、この深層には絶対に辿り着けない。

 この件に関しては渦中の女子生徒二人ともが心にダークサイドを宿し、それぞれの思惑があって大胆な行動を開始した。それこそが正解だ。

 

「御影の情報収集能力があれば、この程度の真実に辿り着くことは容易かったはずだ。芽衣さんの自殺の件だって、少しでも芽衣さんの側に非がある可能性を疑えば、真実に辿り着けた可能性は十分にあった。もちろん、芽衣さんの件に関しては身内だし、疑いたくない気持ちは理解出来るが、その点を差し引いても、御影には真相のさらに奥を覗き込む、真の意味でダークサイドと向かい合う覚悟が出来ていないということになる。そんなあいつが芽衣さんの死の真相を知ったら、きっと潰れてしまうよ」


「真実がいつも優しいとは限らない、か。今回の場合繭加ちゃんにとって」

「そういうこと」

「橘芽衣さんの名誉のため、繭加ちゃんを傷つけないため。俊平先輩は二人の女性を守るために、今回の筋書きを描いたってことなんだね」

「……筋書きなんて大そうなもんじゃないが、そういう意図があったのは事実だ。というわけで、このことは御影に内緒にしておいてもらえると助かる。君が口を滑らせたら、俺の目論見は全て水の泡だ」

「最初からばらすつもりなんてないよ。だってその方が面白そうだもの」

「怖い怖い。だからこそ説得力があるが」

「私も、こうして弱みを見せてるわけだしね」

「大した弱みに見えないよ」


 朱里が素の自分で接触してきたことは、本性という自分の秘密を共有し、発言に説得力をもたらす意味もあったのだろう。

 朱里はきっと、自分の本性が繭加に露呈したところで痛くもかゆくも無いのだろうが、一応形だけは、お互いに弱みを握り合う状況を作り出したわけだ。身も蓋もない話だが、所詮は雰囲気作り以上の意味合いは持たない。


「純粋な興味で聞くけどさ。いつか繭加ちゃんが、自らの意志で橘芽衣さんの真実に辿り着いたら、その時俊平先輩はどうするつもり?」

「御影が俺の下へ辿り着いたなら、その時は包み隠さず真実を明らかにするよ。その時は、こう言って御影を出迎えやるさ――」


 まさか自分がこのような台詞を発する機会があるかもとは、繭加と出会った当初は思いもしなかったが、お互いにとって最も相応しい台詞であることは間違いないだろう。


「ダークサイドへようこそ、ってな」


 話は済んだと、俊平は朱里を残し、一足先に公園を後にした。

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