第37話 マスケラ

「初々しいお話しだね」


 意外にも朱里あかりは茶化すような様子は見せない。時折頷きを交えながら、俊平しゅんぺいの独白に真剣に聞き入っていた。人のダークサイドを覗き見ることを嗜好としながらも、思い出話に水を差すような無神経ではない。


「思い返すと少しだけ恥ずかしいけど、あの頃は毎日が本当に輝いていて。大袈裟でもなんでもなく、人生最良の日々だったと言い切れる」

「デートしたりもしたの?」


「春休みを利用して何度か。遠出する時はよく手作りのクッキーを持ってきてくれてさ。甘い物はどちらかというと苦手なんだけど、芽衣めいさんの作るクッキーは本当に美味しくて。勧められて飲んだ、彼女の好物のヨーグルト飲料だけは、最後まで慣れなかったけど」


 照れ臭そうに俊平は頬を掻くが、口元は真一文字に結ばれている。まるで、必死に悲しみを押し殺しているかのようだ。


「春休み中に俺がもっと芽衣さんと向き合っていれば、あるいは悲劇を止められたのかもしれないな」

「どういうこと?」


「俺は芽衣さんを、とても強い大人びた女性だと思っていた。だけどそれは大きな誤りだった。あの人は、本当は誰よりも繊細で脆い人だったんだ。中学時代も、俺と付き合ってからも、彼女は繊細な自分を押し込めて、皆が理想とする橘芽衣を演じ続けていた。その頃の俺は、まったく気づいていなかったけどな。言い訳にもならないけどさ、当時の俺は今よりもずっとガキで、憧れの先輩と付き合えた嬉しさばかりが勝って、深いところまで全然考えが及んでなかった」


「当時中学二年生の男の子だもん。憧れの人と付き合えることになったら、舞い上がっちゃうのも無理ないと思うよ」

「フォローしてくれるなんて、素の朱里ちゃんも意外と優しいんだな」

「人の内面を覗き見るのは大好きだけど、だからといって別に私、ドSってわけでもないから」

「なるほど」


 苦笑顔で頷くと、俊平は再び言葉を紡ぐ。


「春休みが空けて、状況は大きく変化し始めた。交際は続いていたけど、通う学校も別々になって、特に芽衣さんの方は、新たな環境でのスタートだ。忙しさも手伝い、顔を合わせる機会が激減した」

「うちの高校と俊平先輩の通っていた中学、けっこう距離も離れているから尚更だね」


「電話やメールでやり取りは続けていたけど、入学から程なくして、芽衣さんの様子がおかしくなってきた。よく弱さを見せるようになったんだ。想像することしか出来ないけど、中学時代から被って来た、理想的な橘芽衣の仮面を高校でも被り続けることは、想像以上にストレスだったんだと思う。知り合いの少ない環境なら、もしかしたら高校デビューではっちゃけるなんて選択肢もあったかもしれないけど、藤枝ふじえだを始め、同じ中学から進学した同級生も少なくない。生来の真面目な性格も災いして、仮面を外すという選択肢は持てなかったんだろうな。

 我ながら情けないが、当時の俺は月並みな言葉で励ますことしか出来なかった。そういう意味では、俺も理想の仮面を強いていた一人なんだろうな」


 全ての事情を知り、以前よりも少しだけ大人になった今の自分のまま当時に戻れたらどんな良いだろうと、そう思わずにはいられない。

 あの頃の俊平は今よりもっと未熟で、対する橘芽衣は、悪い意味で大人びていた。芽衣は芽衣でもっと素直に俊平に弱さを曝け出せていたなら、未来はまた違ったものになっていたかもしれない。


「四月の半ば、芽衣さんにまた一つ大きな変化が起こった」

「藤枝との交際だね」

「俺もついこの間までは、相手が藤枝だとは知らなかったけどな。とにかく、芽衣さんは俺以外の男と関係を持つようになったようだった……」

「俗な言い方になっちゃうけど、二股ってこと?」


「そうだな。あまり言いたくはないが、事実だけを見れば芽衣さんは俺と藤枝に二股をかけたことになる。藤枝の告白から芽衣さんの返答まで一週間あったそうだから、悩み抜いた末の決断ではあったんだろうな……そう信じたい」


「どうして俊平先輩というものがありながら、藤枝との交際を受け入れたんだろう?」

「身近に、心の支えになってくれる人が欲しかったんだろうな。中坊で、学校も別で普段はなかなか会えない俺と、中学時代からの友人で同級生、おまけに、少なくとも当時は正真正銘の優等生だった藤枝。どっちが頼りになるかと言われれば、それは後者だろうから」

「先輩からしたら、酷い裏切りだよね」

「その件に関しては、藤枝もな。あの人も二股をかけられているなんて知らなかっただろうし、一応は被害者だ」

「意外だな。藤枝をフォローするなんて」

「藤枝のことは軽蔑しているが、それはあくまでも一連の女性関係の問題に関してだ。二年前の出来事については、確かに別れ際に芽衣さんに吐いたっていう暴言には心中複雑だけど……俺にはあの人を責める権利はない」


 ここに来て、それまで表面上は平静を装ってきた俊平が、初めて感情に声を震わせた。

 いよいよ確信に触れようかという頃合い。当事者として、激しい後悔と自己嫌悪を感じずにはいられない。


「……芽衣さんが自殺する、前日の話をしようか――」


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