深層編

第34話 暗躍者

 その日の放課後。

 足早に高校を後にした俊平しゅんぺいの姿は、とある喫茶店の奥まった席にあった。

 ここは以前、情報収集の際に繭加まゆか桜木さくらぎ志保しほとお茶をした喫茶店だ。

 俊平の顔(というよりもリアクション)が強く印象に残っていたようで、壮年のマスターはやや緊張した面持ちでカウンターから俊平の様子を伺っている。

 あの時の俊平はコーヒーの味に不満を抱いていたわけではなく、藤枝について考えていたため険しい表情となっていたのだが、事情を知る由もないマスターには未だに誤解されたままである。


「待たせてごめんなさい」

 

 私服のプルパーカーとスキニーデニム姿の少女が一人来店。

 顔見知りのマスターに会釈すると、俊平と相席し、向かい合う形で席についた。


「気にしないでくれ、俺も今し方着いたばかりだ」


 待ち合わせ相手を俊平は快く迎え入れる。

 相席したのは藤枝ふじえだの被害者の一人であり、砂代子さよこらの友人。本日は学校を欠席していた桜木志保であった。


「藤枝、処分される方向で話が進んでいるようね」

「それだけの行いをした。当然の報いってやつだよ」


 俊平は落ち着き払った印象だが、桜木の方はやや緊張しているのかそわそわしている。落ち着くきっかけを欲するかのように、マスターにアイスティーを注文した。


藍沢あいざわくんには感謝しているわ」

「俺は大したことはしていない。最終的に藤枝を追い詰めたのは、奴を告発する決断をした君達の勇気だ」

「……きっかけを与えてくれたのはあなたよ。あなたの用意してくれた藤枝の音声。証拠を手にいれたことで、私は行動する勇気が持てた」


 そう言って、桜木はポーチからシルバーボディのボイスレコーダーを取り出した。このボイスレコーダーは二日前に、俊平が桜木志保へと譲渡したものだ。

 記録されている音声は、先日の藤枝との屋上でのやり取り。自分や繭加たちの存在が第三者に露見しないよう、藤枝の証言部分だけを切り取ってある。証言の場に繭加たちがいたことは桜木には知らせていない。あくまでも藤枝の知人であった俊平が、彼の悪行を知り単独で問い詰めたということになっている。


 あの日、藤枝の言葉を記録していたのは繭加だけではない。俊平もまた、ズボンのポケットにボイスレコーダーを忍ばせていたのだ。

 現在の展開を見越して、予めボイスレコーダーを用意しておいた。ボイスレコーダーは高見たかみとファストフード店で会合した直後、駅通りの家電量販店で購入したものだ。


 俊平の工作は音声の録音だけではない。実はあの日の夜、繭加たちにも内緒で独自に藤枝と再接触。ボイスレコーダーを交渉材料に、これまで藤枝が撮りためてきた被害者の画像を、目の前で全て消去させた。音声を使って藤枝を告発しようとも、自暴自棄になった藤枝が被害者達の画像を拡散でもさせたら本末転倒だ。その可能性は排除せねばならなかった。

 俊平からの要求は呑んだ。これで今度こそ全て終わりと藤枝は安心しきっていただろうが、それで終わらせるほど俊平は優しい人間ではない。最終的には被害者側へと音声を提供、現在の状況を招いた。


 学校側からの処分を待つ今の藤枝は、地獄に墜ちたような心地だろう。


「藍沢くんは、どうして私達にここまでしてくれたの?」


 桜木と俊平は、共通の友人こそいても直接の繋がりはなかった。他の被害者の中にも俊平の関係者は見当たらない。それどころか、被疑者は中学時代から親しかった藤枝ふじえだ耀一よういちなのだ。遠慮をして見て見ぬ振り、ないしは忖度してしまう可能性だってあった。

 証拠をもたらしてくれた恩人にこのような考えを抱くのは失礼と承知の上で、桜木は俊平の真意を測りかねていた。


「純粋な正義感故の行動かな。悪行を知って見て見ぬふりが出来る程、俺は器用な人間じゃない」


 淡々とそう告げると、俊平はコーヒーを一口含んだ。


「立ち入ったことを聞くようだけど、藍沢くんを動かしたのは本当に正義感だけなの?」

「というと?」


「ごめんね、決してあなたを疑っているわけではないの。ただ、こんな大胆な行動を、正義感の一言で片づけられるものなのかなって思っちゃって。少なくとも私なら無理。もっと個人的な恨みとか、そういった感情が絡まないと行動に移せない気がするの。もちろん考え方なんて人それぞれだし、自分に当てはめることに意味なんてないとは分かっているんだけど……ごめん、今の私、凄く失礼なこと言っている。本当にごめん。藤枝とのこともあって、ちょっと人間不信気味なのかも……」


「謝らないでくれ。君は一度酷い裏切りにあってるんだ。警戒してしまう気持ちは理解出来るし、機嫌を損ないはしないよ」

「藍沢くん……」

「さっきの言葉は俺の紛れもない本心だ。事情を知った以上、例え仲の良い先輩だろうと藤枝のことを許せないと思った。独自に証拠を掴み君に提供したのは、正義感故の行動だよ」


 一切の圧を感じさせない、穏やかな語り口と笑顔が桜木へと安心感を与え、彼女の緊張感を解きほぐしていく。

 藤枝の裏切りを受けたこともあり、今の桜木は相手の感情の機微にとりわけ敏感だ。そんな彼女が安心感を覚えたのは一重に、俊平の言葉が飾りっけのないありのままの感情であるからに他ならない。嘘を吐かない真摯な姿勢が、発言に大きな説得力を与えていた。


 ――そう、に関しては、純粋な正義感故の行動。


 多くの女性を悲しませ、口封じのための策まで講じる卑劣感を許してなどおけない。反省は口にしていたが、一度染みついた習慣というのはそう簡単に抜けきるものではない。新たな被害者が生まれる可能性もある以上、野放しにしておくという選択肢は俊平の中には存在しなかった。

 橘芽衣の件と、女性達への悪行は完全に。だからこそ音声の録音や画像消去に関しては、純粋な正義感ゆえの行動だったと断言できる。

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