第29話 言葉の暴力
「
「……確かに僕は
「何もタイミングだけであなたを疑っているわけではありません。あなたの人格込みで、芽衣姉さんの心を傷つけた可能性があると言っているのです」
「人格否定は流石に失礼じゃないか? 僕を侮辱するな!」
この状況で上っ面など不要と判断したのだろう。普段の穏やかな印象からは想像もつかぬ、荒々しい口調で藤枝は反論する。
客観的に見れば確かに、人格に問題があると指摘する繭加の態度は不遜ではあるが、藤枝の悪行の裏付けを取っている以上、藤枝の豹変は正当な反論というよりも、本性の一端が垣間見えた印象の方が強い。
「裏付けは取っています。あなたの女癖の悪さも、関係を持った女性を隠し撮りし、別れた後に自分の悪評が広まらないように工作していたことも、私たちは全て知っています」
「……証拠でもあるのかい?」
見苦しいと心の中で呆れつつ、この質問には
その方が藤枝の受けるダメージも大きいだろう。
「確固たる証拠はありませんが、何か問題がありますか? 俺達は警察でも裁判所でもない。重要なのは証拠の有無ではなく、俺達が納得しているかどうかです。あなたが幾ら否定しようとも、俺達は確信を持って、こうやってあんたに仕掛けている」
「暴論だ。
「俺らしさって何ですか? 先輩に一切の疑念や反感を抱かない、従順な後輩であることですか?」
「……僕に対してそんな台詞を吐くとは、随分と変わったね。それとも、僕が気付いていなかっただけで、以前からそういう面はあったのかな?」
「俺だって出来ることなら、あなたとこういう形で相対したくはなかった……少なくとも俺は、あの頃と何も変わっていませんよ。変わったというのなら、それはあなたの方だ」
「……何も知らないくせに」
「だったら教えてくださいよ。あなたという人間を、あなたの心の闇を」
「……心の闇なんて」
俊平は静かに藤枝へとにじみよっていく。
気まずさから、藤枝は視線を逸らそうとするが、
「どうせ逃げ道なんて無いんだ。先輩らしく、せめてどっしり構えていてくださいよ」
そう言って、俊平は藤枝の目線に合わせてしゃがみ込む。
後輩からの厳しい言葉に思うところあったのか、藤枝もゆっくりと視線を戻し、無表情の俊平を見据える。
「俺達の掴んだ情報によると、あなたの女性関係が荒れ始めたのは二年前の夏休み頃からだ。少なくとも橘先輩と付き合っている頃のあなたは、俺もよく知る
いつの間にか主導権を握っていた俊平の発言に、藤枝はもちろんのこと、繭加も呆気に取られて目を見開いている。立ち会わせてくれとは言っていたが、ここまで積極的なのは想定外だ。
「あなたを変えるきっかけは、橘先輩との交際にあったんじゃないですか?」
「……それは」
「正直に話してください。あなたの悪行は軽蔑するが、だからといってこれまでのあなたとの思い出が全て消えてなくなるわけじゃない。先輩のあなたを尊敬していた俺の気持ちは本物だ。これ以上、思い出を汚さないでください。後輩の俺に、真実を話してください」
熱意の乗った俊平の訴えは、かつて共に笑いあった先輩の心を確かに刺激したようだった。やさぐれた表情を浮かべてた藤枝の表情が微かに緩み、かつての先輩のような、少しだけ穏やかな表情を浮かべている。
「……橘さんは僕の初恋の相手だった。中学の頃から、女の子から告白される機会はあったけど、思いを寄せる人がいるからと、誠意を持って全て断ってきた。今の僕が言っても説得力はないと思うけど、僕は橘さんに一途だったんだ」
「信じますよ。俺のよく知る藤枝耀一はそういう人です」
中学生時代、たまたま藤枝が後輩の女子生徒に告白されている場面を目撃したことがあったが、その際の誠意ある対応は、一人の男として尊敬できるものであった。今がどうであれ、当時の藤枝が一人の女子生徒に対し、一途な思いを抱く正純な人物であったことを否定するつもりはない。
「……高校進学を機に一念発起して、橘さんへの思いを打ち明けることにした。考える時間が欲しいと言われて、一週間後にOKの返事を貰えた。あの日は僕にとって人生最良の一日だったと言ってもいい……なのに……」
「長くは続かなかった?」
俊平の言葉に、藤枝は沈痛な面持ちで頷きを返す。
もう戻れないあの日々。どうしてあのまま、平和な日常は続いてくれなかったのだろう。
そんな後悔が滲んでいるのかもしれない。
「……そうだよ。今になって思えば、彼女には最初から笑顔は無かった。付き合い初めて僅か二週間、一緒に楽しく過ごせると思っていたゴールデンウイークの半ば、唐突に彼女の方から別れを切り出して来た……」
「理由は何だったんですか?」
問い掛けたのは繭加だった。ホストに主導権を返そうと、俊平は再び一歩引いた位置から状況を静観している。
「……ただ、あなたとは別れたいと言うばかりで、彼女はその理由を一切口にしなかった。もちろん僕の方は納得なんて出来ない。彼女に必死に理由を問い詰めたさ。僕に何か悪い所があるなら矯正する。君の理想の男性になれるよう、努力するからって……彼女は終ぞ、別れの理由を口にすることは無かったけどね……」
「その後、どうなったんですか?」
「……彼女にさんざん酷い言葉を浴びせた。だって理不尽だろう? 少なくとも当時の僕には自分の非に思い当たる節はない。理由を問うても答えてもらえない……僕は感情を爆発させて捲し立てたよ。確証も無いのに浮気を疑って、ビッチだ淫乱だ、普段なら絶対に口にしないような暴言を吐いた……流石に手を上げるような真似はしなかったけど、自制が利かずに言葉で暴力を振るい続けた……正直なところ、暴言の全てを僕自身も覚えてはいない。一つだけ確かなのは、最後に一際強い語気で……『君なんて死んでしまえ』と叫んだことだ……」
懺悔するかのように、藤枝は息も絶え絶えに声を絞り出した。
改めて当時の自分の攻撃性を省みたことで、内心には激しい畏怖と自己嫌悪とが入り乱れていた。発言や振る舞いについては、彼なりに自責の念があるのだろう。
一途に恋慕していたからこそ、藤枝にとって橘芽衣から交際解消を申し入れられたことは、惨い裏切り行為であった。
なまじ周囲に愛され、慕われて生きてきた藤枝だからこそ、必要とされない、距離を置かれるという行為に対する耐性がまるでなかったことも事態を悪化させた。
藤枝は周囲から、年齢の割に成熟した大人びた人間だと思われていた。橘芽衣もその一人だっただろう。少なくとも、感情的に暴言を吐いてくる幼稚な人間だとは思われていなかったはずだ。
しかし、周囲かの印象と当人の心境との差異は大きい。
10代の少年相応に、あるいはそれ以上に、藤枝の心は繊細かつ複雑であった。
本気で恋した相手だ。決して傷つけることは本意ではなかっただろう。それでも、予期せぬ感情の決壊は止められない。
刹那か永劫か、その瞬間を本人がどう感じていたかは定かでないが、藤枝が我に返った時には、暴言を吐き尽した後であった。
「……言うだけ言って、僕は彼女の前から去ったよ。彼女が屋上から身を投げたのは、それから二日後のことだ……橘さんの自殺の原因は、僕ということになるんだろうね」
「……そう……ですか」
「御影」
平静を装ってきた繭加もこの時ばかりは辛そうに目を伏せ、声と体を微かに震わせていた。繭加の体を支えるように、俊平は優しくその肩へと触れる。
人のダークサイドを探求することを嗜好とする繭加。普段なら趣味と割り切れるソレも、コト身内の話となれば平常心でいることは難しい。
気丈にも平常心を保とうと踏ん張っている。繭加のこういう人間臭いところが見られて、俊平はどことなくホッとしている部分もあった。
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