当たり前の顔をして、アナタは

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「姉さま」


 リオルの声は平静だった。彼女は直ぐ近くに居る筈なのに、その声は何処か遠くから聞こえてくるようだ。


「姉さま」


 嗚呼、変だな。


 リオルの声はちゃんと聞こえているのに、アネモネはその声に返事をする事が出来ない。より正確に言うのなら、返事をしようという気が起こらない。今まで、こんな風になった事は無かったのに。何だか胸の内がモヤモヤして、上手く思考を纏める事が出来ない。


「怒っているのですね」


「……?」


 怒ってる?


 ……ごめん、よく分からない。


 だって、怒るような事なんて何も無いし。そもそも事態は切迫していて、怒っているような余裕なんて無い。ホムラは一人で行ってしまって、"巨像の間"からは咆哮や轟音が聞こえ始めていて。こんな時にアネモネは魔力切れで役立たずで、でもホムラは、それを


「……」


 あの、表情。


 今、魔術を使えない事を、あの表情。優しく教え諭すような彼の表情なんて、。今、こうして思い出しただけでも、胸の奥のモヤモヤが加速する。加熱される。


 苦しい。


 苦しくて、何だか思い切り叫び出したい。


「肯定。その気持ち、リオルにも良く良く理解出来ます。ホムラは傲慢です。彼にとって、彼以外の全ては所詮守る対象に過ぎないのです」


 守る。


 前衛は後衛を守り、後衛は火力や補助などの支援で前衛を支援する。それはホムラとアネモネの関係にそのまま当て嵌まる事で、だからホムラがアネモネを守る事は、別に間違いじゃないと思う。


 でも、それはという意味では決してない。ホムラがアネモネを守ってくれた分、アネモネはホムラに返さなければならないのだ。前衛と後衛は対等であるべきで、だからホムラとアネモネも対等であるのが、本来の関係であるべきだ。


 なのに。


 なのに!


 ホムラはアネモネが役に立たないのを、当たり前のように受け入れたのだ! 怒りも失望も無く、と言わんばかりの、優しい表情で!!


「所詮、彼も頭の固い大人の一人だった、と言う事でしょうか、姉さま」


 リオルの声は、冷静だ。アネモネが怒りを自覚した瞬間を予め見越していたかのように、するりと意識の中に滑り込んでくる。


「でも、奇妙ですね。姉さま」


 夜のように穏やかながら、鋼の剣のように無視する事を許さない。


 クラウスの咆哮が”巨像の間”から響き渡ってくる。大質量を叩き付ける轟音が迷宮そのものを連続して揺るがす。でも、それらは、どれも遠い。リオルの声の方がずっと近くて、大きい。


「姉さまは、でしょう?」


「……」


 嘘吐きおとな


 誰にも言った事は無いけれど、確かにアネモネは彼等に対して一種の不信感を抱いている。どんなに優しそうな顔をしていても、どんなに親身になって話を聞いてくれても、彼等は息をするように嘘を吐く。


 初めて冒険者試験を受けた時、”宝玉”を騙し取られた。相手は親切そうな大人の受験者達で、冒険者になりたいと思うアネモネの話を親身になって聞いてくれた人達だった。三回目の試験の時は、パーティを組んだ相手から、最後の土壇場で仲間外れにされた。アネモネ達の取り分になる筈だった”宝玉”は、パーティを組んだ大人達と仲の良い別のパーティのものになった。抗議したアネモネに、パーティを組んだ大人は、親切な表情かたちだった顔を、悪意に歪ませて言い放ったのだ。


『――クソガキが調子に乗ってんじゃねーよ』


 彼等は順調に、冒険者の道を歩んでいるという。アネモネは暫くベッドから出る事が出来なかった。


 全ての大人が非道い訳じゃない。身寄りの無いアネモネとリオルを引き取ってくれたシアねぇとか、時々ご飯を奢ってくれる王城の衛兵アーロンとか、良い大人だっていっぱい居る。


 でも、そうじゃない大人だって世の中には確かに居るのだ。どんなに親切そうに見えても、親切にしてくれても、見ず知らずの大人に。それが、アネモネが出した結論だった。


 そう、結論を出した筈だったのに。


「――リオル」


「はい」


 ホムラ。


 多分、これまでアネモネが見てきた大人達の中でも、とびきりに奇妙な人だった。


 アネモネの夢を否定しない大人は、これまでにも何人か居た。


 アネモネを守る為に戦ってくれた大人――彼等は、その後アネモネを裏切ったが――も、何人か居た。


 でも、アネモネと戦ってくれた大人は、きっとホムラ一人だけだ。アネモネの火力を期待して時間を稼ぎ、リオルの奇跡を信じて敵を押し留め、彼はアネモネやリオルと"冒険者"をしてくれた。


 してくれた、筈なのに。


「……こんなの、イヤだ」


 何も期待していない、と言わんばかりのあの背中。バカだか男だか知らないが、全ての危険を当たり前のように背負っていく彼の背中。


 あの瞬間、彼の背中は今までのどんな大人よりも遠かった。


 ああ、勿論本当は分かってる。アネモネがどんなに駄々を捏ねようと、ホムラは大人でアネモネは子供だ。分かってる。その現実はどうしようもなくて、やっぱり大人でしかないホムラはアネモネを子供としか見られないだろう。今回のように土壇場になれば、アネモネを信頼のおける仲間としては認めてくれないかもしれない。


 でも。


 それでも、アネモネは。


「私、こんな、こんなの、イヤだ……!」


 他の大人は、どうでもいい。


 でも、ホムラには、ホムラにだけは、アネモネは絶対に置いていかれたくない。対等な、仲間として、認められたい。


「――肯定」


 リオルは、余計な事は何も言わなかった。アネモネが言う事が予め分かっていたかのように、殆ど考える間も無く言葉を紡ぐ。


「なら、此処で素直にホムラの言う事を聞く訳にはいきませんね。ですが姉さま。ここで焦るのは禁物です。先ずは待機を。魔力の回復に専念して下さい」


「え」


 アネモネの知る限り、リオルの言う事が間違っていた事は無い。どのみち、魔力を回復させて術が使えるようにならなければ、アネモネは何も出来ないのだ。


 それは間違い無い。間違い無いのだが、このタイミングで”待機”は肩透かしと言うか、焦れったいと言うか。


 表情に出ていたかも知れないし、或いはリオル特有の察しの良さで感じ取ったのかも知れない。何にせよ、リオルは直ぐに次の言葉を紡いだ。


「お辛いでしょうが、最高の仕事の為に我慢です、姉さま」


 淡々とした声は却って自信に満ちているように聞こえて、アネモネは思わず反論を呑み込んだ。その事すら見越していたように、リオルはと視線を滑らせて、それまで放置していたマリオンを見た。


「貴女も、今は待機を。今飛び出して行っても邪魔になるだけですよ」


「……何で、アンタにそんな事言われないといけないの」


 一見して(一聞して?)、怒っていると分かる声。アネモネは反射的に首を竦めてしまったが、リオルは全然怯まなかった。


「あの魔物が貴女にとって大切なように、あそこで戦っているのは姉さまとリオルにとって大事な仲間だからです。装備が無い貴女が闇雲に突っ込んで、それを庇ったホムラが死亡するパターンだってあるんですよ。本当は一々言わなくても分かってますよねつべこべ言わずに黙って協力しろ正直この手のパターンは一番面倒臭いんですよ」


 怯まないどころか、若干イライラしているようだった。静かながらも鬼気迫る剣幕に、マリオンは思わずといった様子で黙り込む。アネモネに至っては、正直震え上がっていた。


 こんなリオル、今までで一度も見た事無い。それだけ、彼女も真剣に考えているという事だろうか。


「――安心して下さい」


 頭に血が上り始めていると、自覚したのだろうか。


 それまでの矢継ぎ早な口調を意識的に緩めた様子で、リオルは気持ちを入れ替えるように大きく息を吐いたのだった。


「お二人の見せ場は、その内直ぐにやって来ますから」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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