監視塔の番人③

「――がふぅぅぅぅ……」


 着地する。


 体内で燻っていた熱を呼吸と共に吐き出しながら、ホムラは担いでいたクラウスを肩の上から投げ落とした。やや乱暴だったとは言え、一応は足の先から落ちるように配慮したつもりだったが、クラウスは綺麗に着地出来ずに地面の上を転がっていた。ちょっと乱暴過ぎたか。


「すまねぇな。生きてるな?」


「……」


 地面に転がったままの状態で肩で呼吸し、爛々と目を輝かせながらも虚空を見詰めているクラウスは、どうやら未だに熱に囚われている様子だった。下手に話しかけると、斬り付けられそうだ。彼の事は暫く放っておく事にして、ホムラはアネモネとリオルの姿を探す。


 先にこの場所に辿り着いている筈の彼女達は、どうやら上空でホムラ達を待っていたらしい。ホムラが彼女達を探し始めたそのタイミングで降りてきて、ホムラの背後で待機する。


「無事だったか。蝗の連中に襲われなかったか?」


「みんな楽しそうな方に行っちゃったよ。お陰で私達はすんごく楽だった」


「肯定」


「そうか」


 どうやら、勤めは果たせたらしい。


 ホッとして胸を撫で下ろしたホムラの耳に、不快な虫の羽音が届く。近付くモノは鏖殺するつもりで大太刀を振り回していたにも関わらず、向こうはまだまだ数に余裕が有るようだ。最初は少なかった羽音は僅かな時間でその数を増していき、やがてホムラ達を取り囲み、塔の屋上を満たすまでになる。光源といえばアネモネが展開している鬼火の光くらいしか無いのでその全ては見通せないが、闇の中に相当な数の蝗が犇めいているのは嫌でも分かる。


「……一応聞くが、此処から上へと逃げる道は?」


「否定。申し訳有りませんが、見付かりません。足元の――」


 言いながら、リオルは軽く音を立てて自らの足元を踏んで見せた。注意喚起に引かれて素早く視線を走らせると、そこには何かの紋様が刻まれているのが見えた。


「この、魔方陣が怪しいように思われますが。こう敵が多くては調べようが」


「調べてくれ。敵は俺が何とかする」


「えっと、私は……?」


「アネモネはリオルの手伝いに回ってくれ。短時間なら、防衛は俺一人でも何とか――」


 ズン、と。


 闇の向こうから震動が響いて来たのは、その時だった。どうやら、も追い付いてきたらしい。


「……やっぱり、アネモネは俺の援護を頼む」


「うん」


 巨大な掌が、闇の向こうから現れる。塔の縁を掴んだそれは、一本だけに留まらない。二本、とその数は増えていき、その重みに耐えかねたように塔の最上階がミシミシと悲鳴を上げる。


、か」


 やがて闇から滲み出してくるように、そいつが全貌を現した。神に祈る敬虔な聖女のような、白く、美しい女の顔立ち。薄く閉じられた目元を縁取る睫毛は長く、色素の薄い唇は儚くも強い信仰心いしを感じさせる。例え人を見下ろす程に巨大なものでも、女神の顔だと言われれば信じられるくらいには美しく、荘厳な有り様だった。


 但し、それは飽くまで頭部だけだ。首から下は芋虫のようなぶよぶよした肉塊の身体になっていて、その身体からは人の手足が百足か何かのように大量に生えている。あの手足を使って塔の外壁にしがみつき、よじ登り、時にはホムラ達を攻撃してきた訳だ。


「確かにあれは、そんな感じがするな」


 薄く閉じられた双眸が、ほんの僅かばかり開かれる。複数の瞳が集まって一つの瞳になっている目がホムラを捉え、観察するようにホムラを見据える。背後でアネモネが聞き覚えのある呪文を唱え始めるのを聞きながら、ホムラはゆっくりと大太刀を構える。



――AAAAAAAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾aAAAaAAAAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾aaaAAAAAAaaaaaaAAAA痾痾痾痾痾痾痾痾痾痾……!!!



 その声を、どう表現すればいいのか分からない。おぞましい、とにかくおぞましい声だった。幾多の人間の声を寄り合わせ、無理やり蟲の断末魔に寄せたかのような、そんな声。


 背中が嫌悪に粟立つのを感じつつも咄嗟に大太刀を振るったのは、その声から背後で呪文を唱えているアネモネを守りたかったからだ。直感でしかないが、この声は魔術師が呪文を唱えている時の"集中状態"に良くない気がしたのである。


 実際にそうだったかは分からない。そもそも、ホムラの振るった大太刀が、"声"に対して何か効果をもたらしたどうかなんて分からない。普通に考えれば、剣で音をどうにか出来る訳が無いのだから。


 だが、少なくとも。


 次の瞬間、アネモネは滞り無く唱えていた呪文を完成させていた。


「――Арё!!」


 先程も見た閃光の魔術。一瞬だけこの場を塗り潰したその光は、芋虫女の咆哮を合図に一斉に襲い掛かってこようとしていた蝗達の視覚を潰し、その悉くを地面の上に叩き落とす。


 普段であればこの機に乗じ、周囲の敵にトドメを刺して回っている所だが、今回ホムラは逆に守りを固めた。それともと言うのも視覚を潰されたのは蝗だけではなかったからだ。


 ――Gi忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌忌iiiiiiIIIIIIIIIIII忌忌忌忌忌忌忌IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIiiiiiiiiiii!!!!


 幾つもの巨大な掌が、塔の最上階を叩いて回る。巻き込まれた蝗達がホムラ達の周辺で文字通り叩き潰され、湿った音と共に血と肉を撒き散らす。閃光に目を灼かれたのは、芋虫女も同様だったらしい。視覚を潰されてホムラ達を見失い、しかしそれでも殺す事を諦めなかったようだ。可哀想なのは蝗達だったが、同情している余裕はホムラには無かった。結構な頻度で、芋虫女の掌はホムラ達にも振り下ろされていたからだ。


「――こぉぉ……」


 擦り上げた大太刀で真上から振り下ろされた掌をやんわりと受け止め、身体全体を使って脇に逃がす。即座に刃を翻し、間髪入れずに降って来た別の掌を迎え撃ち、その軌道を書き換える。膨大な質量に桁違いの膂力に全身の筋骨が悲鳴を上げ、周囲から飛んでくる衝撃と血肉の破片が集中を刮げ取る。けれど、ホムラは動かない。気紛れに次々と落ちてくる巨人の掌を次々と受け止め、流し、時には自分でもどうやっているか分からないままに弾き返して、背後のアネモネやリオル、クラウスを守り続ける。


 無茶な事をやっているのは百も承知だ。ホムラ独りなら足を止めて敵の攻撃を受け止め続けるなんて選択肢、絶対に取らなかっただろう。正直、こうやって実際にやってのけるまでは、自分にこんな事が出来るなんて思っていなかった。ホムラが無い知恵を絞るより先に、身体が勝手に動いていった感じだ。


 普通に考えれば無茶苦茶だ。自分の数十倍もデカい相手の一撃を、幾ら特別な得物を使っているとは言え、正面から受け切れるものじゃない。


 だが、ホムラの身体は勝手に動く。それは可能だと、なんならですら可能なのだと、ホムラを死線に引っ張っていく。


 最早、。己の恐怖を誤魔化す為の虚勢を張る為に。そして、ホムラを信じて自分達の仕事をこなしている、背後の仲間達の為に。


「――ホムラ!」


 リオルが声を上げ、殆ど同時に辺りに光が満ちる。チラリと視線を走らせれば、足元の魔方陣が穏やかながらも目映い白い光を放ち始めていた。


「一〇秒後に転移が始まります! あと一〇秒! 一〇秒です!」


「でかした……!」


 叫びながら、大太刀を一旦構え直す。視線の先では視覚を取り戻しつつあった芋虫女が、左右から挟み潰さんと二本の腕を大きく開いている所だった。


(やベぇ……!)


 ホムラ一人なら受けずに跳んでいただろう。跳んで挟み潰しの範囲外に逃れ出て、相手の腕の上にでも着地して悠々と反撃に出ただろう。


 だが、今は背後に守るべき者たちが居る。相手の攻撃は、止めなくてはならない。だがホムラの身体は一つしか無いのだ。どちらか一方を止めたとしても、もう一方の掌が容赦無くホムラ達を挟み潰すだろう。


 考え付いたのは、一旦戦線を放棄して背後のアネモネやリオル達を担ぎ、挟み潰しの範囲から皆一緒に逃れ出るという案だった。全然賢くない力業だが、ホムラに出来る皆が生き残れる方法と言ったらそれくらいだ。


(仕方ねぇ……!)


 即座に踵を返し、ホムラは背後を振り返ろうとする。


 が、ホムラが自らの案を実行するよりも、アネモネが呪文を完成させる方が早かった。


「――Арё!!」


 次の瞬間、爆発たいようが生まれた。


 アネモネの頭上ではなく、芋虫女の眼前に顕れたそれは、今度は「目を灼く」どころでは済まさない。熱と爆風、物理的な破壊作用を持ったそれは芋虫女の顔面の目玉と鼻先、その周辺の肉を皆纏めて吹き飛ばし、整っていた顔を無惨なモノに変えてしまった。これは流石に堪らなかったらしく、芋虫女は顔を大きく仰け反らせ、挟み潰しを中断して自身の顔を覆った。


「七! 六! ……」


 リオルがカウントする声が聞こえる。


 その声を頼りにしつつ、ホムラはその場から飛び出した。アネモネが大きく仰け反らしたとは言え、あと五秒近くもある。その間に、芋虫女がこの塔そのものを破壊する可能性もある。だからホムラはより徹底的に芋虫女の体勢を崩す。具体的には、この塔の頂上から叩き落とす。


 今なら可能だ。芋虫女が大きく身体を仰け反らせ、腕の力のみを頼りに塔にしがみ付いている今なら。


 あれだ。ホムラから見て、右斜め前。塔の縁を掴むあの一本が、今の芋虫女の体勢の"芯"だ。


「四……!」


 先程は、その肌の表層に切り傷を付けるので精一杯だった。只でさえデカいのだ。常識的に考えれば、爪楊枝にも満たないホムラの剣が、巨人の腕を潰すなんて土台無理な話だろう。


 だが、その時のホムラには確信があった。根拠など無い、けれどホムラ自身の身体が全力で叫び立てている、奇妙な確信が。


「――……!」


 その瞬間の事は、ハッキリと覚えていない。何もかもが一瞬で、ただ、身体の何処かで全てがカチリと嵌まった感覚があった。身体の中心に呼吸が収束し、巡り巡って身体の隅々まで行き渡る。ホムラは、目当ての腕を間合いの内に捉えた瞬間に、その巡りを弾けさせた。


 嗚呼、きっと。


 その時漸く、ホムラは


「哈……ッ!!」


 一閃。


 ホムラが振り抜いた大太刀の刃を傾けて、掌で刀身に付いた血を払い落とすのと。芋虫女の腕の手首部分に、幾つもの血の珠が浮き上がったのは直後の事だった。血の珠は互いに手を伸ばして赤い線を形作り、ホムラはそれを見届けてから踵を返す。


 あと二秒で転移が始まる。悠長にカッコ付けている場合では無かった。


「ホムラ、早く早く……!」


 前方からは気が気でない様子のアネモネの叫び声。その声に引っ張られるように魔方陣に辿り着いたホムラが背後を振り返ると、丁度、バランスを崩した芋虫女が、塔の縁の向こうへと消えていくのが目に入った。


 ――ooOooo怨怨怨怨怨oooooooooo……!


 芋虫女の叫び声が聞こえる。急速に離れていくその声は、何処か怨めしげだった。どうか、そのまま地上まで真っ逆さまに落ちていって欲しいと思う。しぶとく生き残って、追い掛けて来られても困る。


「……ふー」


 魔方陣がより強い輝きを発し始める。どうやら、転移が始まったらしく、ホムラはこの場を乗り切った事を確信した。安心したら力が抜けて、思わずその場に座り込んでしまった。思えば、戦いながら塔の階段を駆け登り、そのまま巨大な敵との戦闘だ。酷使され続けた身体も、悲鳴を上げようと言うものだ。


「疲れた疲れた。何とか生き残れたな」


「肯定。お疲れ様でした」


「今回は無茶しなかっただろ?」


「うん」


 アネモネが笑う。丁度良い位置にホムラの頭が来た故か、手を伸ばしてぎこちなく頭を撫でて来た。恐らく、彼女自身がそれをされるのが好きなのだろう。されるがままになりながら、ホムラは彼女に対する対応を心の内に留め置く事にした。


「漸く脱出か。長かったな」


「否定。まだそうと決まった訳ではありません。油断は禁物です」


「でもきっと、確実に前には進めてるよ」


「……肯定」


 光が満ちる。


 何も見えなくなる。


 慣れない感覚に若干の緊張を覚えつつも、ホムラはそれに身を委ねるべく目を閉じたのだった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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