暗澹

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


 力の無いクラウスには、長い刀身の剣を振り回す事は出来ない。だからクラウスの剣は刃の幅が狭く、刀身の長さも短く、全体的に軽いのだ。けれどそんな剣を抜いた所で、この戦いの役に立てる訳が無い。剣が折れるか腕が折れるか、或いは何も分からない内に死んでいるのがオチだ。


 力の無いクラウスには、重い鎧や盾を装備する事は出来ない。だからクラウスは身体への負担が少ない革鎧を身に纏い、小盾バックラーで身を守っている。けれどそんな装備で前に出た所で、前線を保てる訳が無い。熱で焼き殺されるか巨体に轢き潰されるか、或いは何も分からない内に死んでいるのがオチだ。


 つまりクラウスがまだ十にも届いていなさそうな子供の横で、特に何もせずに立っているのは、仕方の無い事だったのだ。視界の先ではホムラが、神話にでも出て来そうな人面獣身の獅子像と当たり前のように一騎打ちを演じている。鎧も身に付けず、身の丈程もあるとは言え刀一本で、よくもまぁあんな化物と対峙する気になれるものだ。


 クラウスには理解出来ない。只の凡人でしかない、クラウスには。


「……」


 では、クラウスには何が出来るのか。


 クラウスが出した答えは、”後方の警戒”だった。ホムラもアネモネも、人面獅子に掛かりきりだ。例えば今この時に背後から、つまりクラウス達がこの広間に入って来た通路から石像兵達が増援として現れたら、戦況は一気に悪くなるのではないだろうか。いざ本当にその時が現れても、クラウスは弱いから戦力的には期待出来ないかも知れないが、少なくとも奇襲を防げれば、彼等の役に立ったとは言えるだろう。


 言える、筈だ。……言えるよな?


 何度も何度も自問を繰り返しながらも、クラウスはその迷いを振り切るように背後を向いた。幸い通路は静かなもので、増援がやって来る気配は無い。九割九分の安堵に溜息を吐きつつも、クラウスは後方の見張りを続行する。


 アネモネとリオルの詠唱や指示を飛ばす声に、人面獅子の咆哮、ホムラの戦哮。前線の派手な戦場音楽に心奪われぬように心を保つのが大変だったが、ここで自分が仕事を疎かにした所為で前後から挟み撃ち、なんて事になったら、悔やんでも悔やみきれない。


 自分の仕事は、自分に唯一出来る後方の警戒。前線の事を気にした所で自分には何も出来ないし、そもそも自分は感覚に優れている訳でもないから、全神経を後方の通路へと集中させる。少なくともその時はそれが最善だと思っていたし、それが自分に課せられた自分の役割だと本気で思っていた。



「――クラウス!!!!」



 どうして、そんな馬鹿げた事を本気で考えていたのだろう。


 仮にも戦闘の場に立っているなら、例え意識の半分でも、状況把握に向けているべきだったのに。


「何をしていますか! 離脱を――!」


 リオルの叩き付けるような叫び声に、クラウスはハッとして背後を振り返った。真っ先に見えたのは、此方に向かって猛烈な勢いで飛んでくる炎の塊。


 否、それは大口を開けた人面獅子の頭だ。四肢も胴体も、見えない。激しく燃え盛る炎そのもののたてがみを振り乱し、そいつは頭だけで突っ込んで来て、クラウスに喰らい付こうとしてくる。僅かな時間の間にあまりに多くの情報が詰め込まれていた筈なのに、その全てを知覚する事が出来たのは、死の予感に脳がフル回転していたからだろうか。


 何らかの理由で頭だけになった人面獅子が、頭だけで突っ込んで来た? 一体どうやって? どういった事情で? クラウスには分からない。から。だからアネモネもリオルもその場から離脱したのにも気付かないで、一人で死地に取り残されたのだ。


 炎の大口が、迫る。


 クラウスの剣では、切り抜けられない。それは目の前の巨頭に対して、あまりにも小さい。クラウスの鎧や盾では、防ぐ事が出来ない。それは目の前の巨頭に対して、あまりにも弱い。


 クラウスには、どうしようもできない。だってクラウスには腕力も身軽さも無くて、



「あ――」



 ”冒険者としての才能なんて欠片も無いから”。



「ぅあ――」



 身体は動かない。焦げる程の熱気を感じるのに、身体の芯は痛くなる程に冷たい。心臓が縮み上がるのに合わせて手足までもが硬直し、ただただ木偶人形のように突っ立っている事しか出来ない。


 どこか遠くで、アネモネとリオルが何事かを叫んでいる声が聞こえた。


(死――)


 ドン、と横合いから凄まじい衝撃が来たのはその時だ。咄嗟にそっちを見た……のではなく、たまたまバランスとか何やらの影響で視線が其方を向いて、クラウスは自分を突き飛ばしたモノが何なのか、知る事が出来た。


「よし、間に合」


 ホムラだった。


 どうやら走って戻って来て、動けないクラウスを突き飛ばしてくれたらしい。突き飛ばした瞬間に何事かを言ったようだったが、クラウスには聞き取れなかった。


 失望の声かもしれない。怨嗟の声かも。


 ああ、だってあの目。クラウスを見る、あの目。


 あれはだ。だ。だってクラウスが役立たずだから。クラウスの所為であんな状況に陥ってしまって、


「ホムラさ――」


 ガチン、と巨大な顎が噛み合わさった。


 クラウスの目の前を炎の巨頭が猛スピードで通り過ぎて行き、クラウスが見張っていた通路脇の壁にぶち当たって派手な音を立てる。割と強い力で突き飛ばされたクラウスが尻からするのと、勢いを失った炎の巨頭が地面の上をゴトリと転がるのはほぼ同時。


「……」


 クラウスが我に返って真っ先に行ったのは、ホムラの様子を確かめる事だった。


 視線を正面に戻し、さっきまでそこに居た筈のホムラを探す。現実から逃げるように思い描いた、朱い衣服の黄金の国ジパングの民の姿は、けれど何処にも見当たらなかった。右を見ても、左を見ても、彼の姿は何処にも無い。朱い衣服や、特徴的な大剣すらも見当たらなかった。


 ガチン、と巨大な顎が噛み合わさるあの音が、耳の奥で未だに反響していた。


「……………………」


 本当は、分かっていた。噛み合わさった人面獅子の大口が、あの時何を呑み込んだのか。ついさっきまで居た筈のホムラが、一体何処に行ってしまったのか。


 視線を巡らせ、クラウスは轟々と燃え盛る人面獅子の頭を見る。


 ホムラが居るとすれば、間違い無くあそこだ。


「……俺、の……」


 俺の所為だ。


 轟々と燃え盛る人面獅子の頭を茫然と眺めつつ、クラウスはそんな事を考える。アネモネが悲鳴のような声で呪文を唱え、燃え盛る炎の鎮火に掛かる。リオルが熱気や冷気にも気にせず現場に急行し、火勢が落ち着くや否や人面獅子の巨頭の口に飛び込んで行くのが見えた。


「……俺、が……」


 クラウスは、見ていた。ただ、見ているだけだった。


 本当は、何処も見ていなかったのかも知れない。


 アネモネがリオルの後に続き、リオルと一緒になって黒い何かを引っ張り出す。それは力を込めるとボロボロと崩れるらしく、アネモネが何度も力加減を誤って泣きそうな声を上げた。幸い、ではなく衣服の方だったのでまだマシだったが、アレでは、本体の方だってどれくらいやられているか分からない。十中八九、死んでいるだろう。


「ホムラ、ホムラ! 目を開けて! 目を開けてよ……!!」


「――Θαρηυο 」


 黒焦げの人型の手を握り締め、アネモネが必死な様子で声を掛ける。その隣ではリオルが光翼を展開し、”奇跡”の準備に取り掛かっている。


 彼女達は立派だ。年齢に関係無く、ああいう人物が冒険者の資格を得て、やがて大成していくのだろう。


 それに引き替え、クラウスはどうだ。突き飛ばされて尻餅を突いた格好のまま、何もしないでただただ三人を見詰めている。自分の所為だ、自分が死ねば良かったのだと暗いヒロイズムに酔いしれるばっかりで、ホムラを助けようともしないし、双子を手伝おうともしない。


「う……」


 何が「出来る事を精一杯やる」だ。肝心な時に何も出来ない自分なんて、やっぱり何の価値もありもしないではないか。


「ぐ、ぅ……ッ」


 分かっている。


 嗚咽が漏れるのは、涙が溢れるのは、自分を可哀想がっているだけだ。そもそもこんな自己分析をしている暇があるのなら、今すぐ三人の下に向かうべきなのに。今からでも三人の下に馳せ参じ、彼等からの糾弾と弾劾に耐えながら、何か自分に出来る事はないか探すのが筋というものだろうに、自分はそれをしようとしない。出来ないのだ。所詮クラウスは自分が可愛いだけの、矮小で、醜い、屑だから。


「ぐぅ、ゥ……ッ」


 涙を零す自分自身が、恥ずかしい。いっそ、この場で死んでしまいたい。けれど涙と嗚咽は止まらずに、自分の身体は動かない。


 その事実がまた情けなく、クラウスは自身の内側がドス黒く染まっていくのを感じるのだった。


 

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