始まりのダイブ/フォール①

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「……んぇ?」


 我ながら間抜けな声が出た。


 自分で自分の声の間抜けさに驚いたのが半分、その声を出す原因に対する興味が半分で、アネモネはその場で歩みを止める。


 自分が、双子の妹に比べれば落ち着きが無くて頭が良くないという事は知っている。けれどそういう事は基本的に他人から指摘されるものであって、自覚した事はあんまり無い。


 とは言え、今のは本当に、かなり間抜けな声だった。今更ながら片手で口を覆って誤魔化そうとしてみたアネモネだったが、直ぐ隣に居たアネモネの双子の妹は、そんなアネモネのささやかな抵抗なんか一切気にしない様子で、直ぐさま聞き返してきた。


「どうかしましたか、姉さま?」


「ん。んー……」


 ダンジョンは今日も今日とて薄暗い。石造りの通路に、石造りの広間が組み合わさっているだけの簡素な遺跡には窓やその類の“外”に繋がる要素が一つも無く、光源と言えば等間隔に設置されている松明の光だけだ。通路の道幅は狭かったり広かったりと安定しないが、天井は何処の通路も一貫して低い為、何処に居ても閉塞感を覚える。広間、通路に関係無く、壁や天井に一定の規則性を以て刻まれている目のような彫刻も、そんな閉塞感の一因だろう。


 アネモネとその双子の妹が居る通路も、その例に漏れない。胸を締め付ける閉塞感を吐き出すつもりで一旦息を吐いてから、アネモネは妹の質問に答えた。


「なんか、呼ばれた気がした。リオルは聞こえなかった?」


「否定。リオルには、何も」


 いつもの如く、リオルは冷静だ。答える声は涼やかで、アネモネを見るその表情にも感情の動きというものが全く見受けられない。アネモネとリオルは双子で、年や体格、それから顔の造り自体は全く同じだ。が、勉強家でクールなリオルはいつも冷静で大人びているから、アネモネと間違われる事は全く無い。造りは自体は同じでも、配色が全く異なる目や髪の色にも原因はあるのだろう。だってアネモネが金髪赤眼なのに対し、リオルは銀髪蒼眼だ。いかにもって感じでクールな色である。


 アネモネ達の周囲には誰も居ないし、そもそもこんな場所には普段アネモネ達が接している友達や知り合いは絶対に来ない。だからアネモネが誰かから呼ばれるなんて事は起こりえない訳で、リオルからすれば周囲に誰か居るかを探すより、アネモネの耳か頭を疑う方が手っ取り早い筈なのだ。けれど彼女はそうやって決め付けるような事はせず、黙って静寂に耳を傾けてみせた。


 オトナだ。オトナな対応だ。リオルもアネモネと同じで実年齢は十かそこらの筈なのに、彼女は下手すると周囲の大人達よりもオトナに見える時がある。


 そんなオトナなリオルには、アネモネはずっと助けられてきた。もしも彼女が傍に居なかったら、アネモネは素直に自分の夢を追い掛ける事をとうに諦めて、今この場に居ることも無かっただろう。


「……やはり、リオルには何も聞こえません。気になるようであれば、時軸索敵を実行しますが?」


「いや、いいよ。多分、どっかのパーティがゴーレムと遭遇しちゃったんじゃないかな。戦ってる音が、たまたまそれっぽく聞こえただけなのかも」


「肯定」


 言いながら、アネモネは無意識の内に耳を澄ましていた。もしかしたら喋っている内にまた聞こえる事を期待していたのだが、残念ながら聞こえるのはアネモネとリオルの喋り声だけだった。いっそ本当にでも、それはそれで実力をアピールする良い機会だったのだが、世の中そんなに上手くはいかないらしい。


 そもそも、“冒険者試験”に参加出来さえすれば後は全て上手くいく、なんて考えが甘いみたいなのだ。


 他の参加者達は皆アネモネ達の姿を見るや、微笑ましいものを見るように笑うか、馬鹿にしたように嗤うかのどちらかで、マトモにアネモネ達の相手をしてくれようとする者は一人も居ない。だからアネモネとリオルは開会式が終わっても、試験が始まっても二人きりで、“後衛二人組”という非常にバランスが悪い編成のまま、試験会場であるダンジョンの中を彷徨っている。しかもそれは、今回に限った話ではないのだった。


「静かだね」


「同意」


「行こっか」


 食料やら何やらが入った背嚢を背負い直し、アネモネは中断してしまっていた探索を再開する為に歩き出した。このダンジョンに潜るのは三度目だし、潜った上でやる事も毎回変わらない。このダンジョンは既に所有者である王様の調査隊が徹底的に調べ尽くしていて、冒険者試験用のダンジョンとして管理されている。受験者はこのダンジョンの中に複数隠されている“宝玉”の内の一つを見つけ、スタート地点で待ち構えている試験官にその宝玉を渡す事で、「ダンジョンを探索・踏破する力」がある事を認めて貰うのだ。


 今回は、アネモネ達はまだ“宝玉”を見つけられていない。この辺りはまだ最深と入口の中間辺りで、“宝玉”はダンジョンの深部に隠されている事が多い。もうちょっと奥まで行かなければ、見付ける事は出来ないだろう。


「“宝玉”、今回はどの辺にあると思う?」


「“枯れ噴水の間”、“ひび割れ通路”、“蜘蛛の巣広間”辺りではないでしょうか? 何にせよ“巨像の間”に安置されているのは確実ですが……」


「そっか。じゃあ、この先は直進した方が早そうだね。取り敢えず最速で進んで、“巨像の間”を目指してみよっか」


「肯定。リオルに異議はありません。が……」


「が?」


に直面したら、姉さまはどうするつもりですか?」


 ダンジョンの中に本来設置されていた罠の類は全て調査隊の手によって解除されているが、代わりに試験用の罠があちこちに仕掛けられている。それらを専門に扱う“ダンジョンウォーカー”のスキルを持っているヒトビトならばともかく、それを持っていないアネモネ達にとっては注意するべき代物だ。喋っている間も、決して気は抜けない。


 リオルの言葉にアネモネが直ぐに答えなかったのは、丁度前方に罠っぽいものを見つけたからだった。床の石畳の中で一つだけ、他のものとは不自然に色の違うものがある。それをやや大きく脇に避けて、リオルがそれに倣うのを確認してから、アネモネは漸く口を開いた。時間にしてみればほんの少しの空白だったけれど、多分、いつも通りの笑顔を作る事は出来ていたと思う。


「前回は、たまたま運が悪かったんだよ」


「……」


 リオルは答えてくれなかった。それきり彼女は口閉ざし、それ故アネモネも口を開く理由も無くなって、二人は黙々とダンジョンの中を歩く。


 喋る声が響かないと、ダンジョンの中はとても静かだ。時々、爆発音やヒトの叫び声みたいなものが聞こえてくる時もあるけれど、幸か不幸か、今日はそのどれもがとても遠い。罠と同じで、このダンジョンの中には試験用のゴーレムが放たれ、術者が意図した通りに徘徊している。命を奪ってくる事こそ無いけれど、舐めて掛かると本職の冒険者も不覚を取る事がある結構な強敵だ。前衛が居らず、守って貰う事が出来ないアネモネ達からすれば、なるべく遭遇したくない相手である。


 だから別に、アネモネ達が黙って歩くという状態は別に変な事ではないのだ。話し声は敵を呼び寄せてしまうし、またアネモネ達がその接近に気付けない要因にもなる。寧ろ接近戦だけは避けなくてはならないアネモネ達にとって、探索中の私語は「やっちゃいけない事」の一つに含まれるだろう。こうやって二人揃って黙りこくっているという状態は、本来あるべき姿なのである。


「……ねぇ、リオル?」


「はい、姉さま」


 但し、それは一般的且つ合理的なスタイルなのであって。


「私は、間違っているのかな?」


「……否定」


 アネモネとリオルの普段のスタイルとは、全く異なるものなのだけれど。


「赤の他人が幾ら莫迦にしようと、リオルは姉さまを嗤いません。他人の夢を馬鹿にする権利は彼等のものですが、他人の夢を利用し、阻む権利は誰にも無い筈です。少なくとも姉さまは、彼等の悪行に関して口を閉ざす事で彼等の夢を守った。姉さま自身はそこまで考えがが至らないおk……愛嬌のある人物だったとしても、リオルは、感覚でその選択を取った姉さまの気高さを誇りに思います」


「ん……ん? 今、私しれっと馬鹿にされなかった?」


「否定。気の所為です。“気高さ”や“誇りに思う”という言葉の、一体何処に馬鹿にしている要素があるのですか?」


「う、うーん……?」


 飽くまでも無表情は崩さないまま、淡々と言葉を紡ぐリオルの言葉は、一体何処までが本気なのかアネモネには分からない。けれど無表情でも、無感動でも、リオルの紡ぐ言葉には氷のような冷たさは一切無い。だからアネモネは、最終的に彼女の言葉で笑ったり、安堵したり出来るのだと思う。


 話しながら、警戒する。笑いながら、探索する。それがアネモネ達のやり方だ。重苦しい雰囲気も、再び会話が始まってしまえば何処かに飛んで行ってしまった。


 昨日の晩ご飯や最近気になっている甘味処について話しながら、“巨像の間”に続く最短のルートを選んで歩く。リオルが淡々とかました冗談にアネモネが笑いながらも罠を避け、逆にアネモネがリオルに対しておどけてみせながらも、過去に“宝玉”が置かれていた事があるポイントを確認する。今回は本当に運が良くて、徘徊している筈のゴーレムとは一度も遭遇しなかった。代わりに“宝玉”を見つける事も出来なかったから、ある意味釣り合いは取れていたのかもしれないけれど。


 特に名前が付けられていない通路をさっさと通過し、“枯れ噴水の間”へ。何の為にあるのか分からない枯れ噴水の中を覗き込んで“宝玉”が無い事を確認してから、その先の“ひび割れ通路”に。通路全体に広がっているひび割れの中でも“宝玉”を隠せる大きな割れ目を三カ所全部確認してから、更にその先の三叉路を直進する。ここまで来れば、このダンジョンの最深部である“巨像の間”は目と鼻の先である。


 それまでずっと静かだったダンジョンの中が急に騒がしくなったのは、まさにその時の事だった。


 爆音。悲鳴に、怒号。これまでも度々遠くに聞いていた、戦闘の音。これまでと同じで未だ少し離れているけれど、これまでとは違って正確な位置を簡単に予測することが出来る。“巨像の間”には確実に“宝玉”が安置されているが、それと同時に、他とは違ってその場に居座り続けるボス的なゴーレムが配置されているのである。この付近で戦闘が起こると言えば、“巨像の間”と見てまず間違い無いだろう。


「ありゃ、先越されちゃってるね。結構早めに進んできたと思ってたのに」


「……」


 アネモネの呟きに、リオルは答えてくれなかった。けれどその理由は、アネモネにも直ぐに分かった。戦闘音に紛れて聞こえてきた、新たな別の音。だんだんと大きくなっていくそれは、複数人が走る足音と乱れた息遣いだ。


(逃げてきた……? でも戦闘音は未だ聞こえてくるから……もしかして離脱? それとも……)


 アネモネが素早く思考を巡らせるのと、進行方向の角から、人影が二つ飛び出して来るのはほぼ同時。


「ひぃ……ヒィィ……!!」


「もうやだぁ……っ!!」


 鉄製の鎧兜に戦斧を装備した若い男のヒトに、アネモネと同じ魔術師のローブと杖を装備した若い女のヒト。若いと言ってもアネモネやリオルよりはずっと年上なのは間違い無いが、そんな二人はアネモネとリオルには目もくれず、顔を涙やら鼻水やらでグシャグシャに濡らして一目散に通り過ぎて行った。その様はなんだか異様で、何があったのか聞こうと思って口を開きかけていたアネモネは、咄嗟にどうする事も出来なくて固まってしまう。その隙に二人の男女はバタバタと駈け去って行き、やがて通路を曲がって見えなくなってしまった。


「逃げてきた……んだよね?」


「肯定。表情パターン、聞こえた言葉により、彼等を支配していた感情は恐怖である事が推定されます。予測される状況は、この先のゴーレムに恐れをなして逃げ出してきた、と言うものですが……」


「“巨像の間”のゴーレムって、そんな強かったっけ?」


「姉さまとリオルは慣れているだけです。初挑戦の方には十分な強敵かと」


「あんな風に泣くほど?」


「……」


 ごお、と吼え声のような音が聞こえた。直後、爆音のような音が聞こえてきて、遅れて誰かの悲鳴が尾を引いて聞こえてきた。


 アネモネが知っている限り、試験用のゴーレムと戦って逃走した、と言う話は聞いた事が無い。試験用のゴーレムは受験者の命を取らないよう調整されている。だから戦って負けてしまう事はあれど、受験者はそもそもゴーレムから逃げる必要なんて無いのである。ましてや、アネモネ達よりもずっと年上のお兄さんやお姉さんが、見栄も外聞もかなぐり捨てて、一目散に逃走する必要なんて。


「……行こう」

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