第26話 喉に絡み付く泡沫の恋
「ハンナ、ただいま!」
部屋で寝転がっていた僕の耳に飛び込んできたのは、アリンちゃんのハキハキとした声だ。
「ただいま。エリーゼからは何か言われた?」
「エリーゼさん、忙しかったみたいでちょっと話せなかったよ。」
多分彼女は嘘をついている。でも、彼女の気分が城で会った時の、いっそ殺気を感じるような偽の笑顔からは幾分も和らいでいるのは間違いない。それが何故かは分からないが、敢えて聞く必要も無いだろう。
「ハンナ、遅くなった理由だけど……これを作っててさ。」
彼女が持っているのは東国の文字が刺繍された美しい藍色の布袋だった。中には硬いものが入っているようだ。
「これは……一体?」
「東国のお守り。袋は私が作ったんだ。大事にしてくれるかな?」
「うん。大事にするよ。中に入ってるのは?」
「それは秘密。」
外から中のものに触ってみると、何かのケースが入っているようだ。振ってみるとカラカラと音がする。
「そっか、じゃあ聞かない。」
僕はそれをポケットにしまった。こうしてアリンちゃんと接していると、いつ死んでも可笑しくない状態とは信じられない。
「あ、そうだ。さっきローシャから聞いたんだけどね、今日この後全員で飲みに行くから兵団本部の玄関まで来いってさ。」
「へぇ、楽しそうね。いつから?」
「えーっと……6時だからそろそろ出た方が良いな。」
僕達は、すぐによそ行きの服装に着替えた。アリンちゃんは緑色の着物、僕は紺色のドレスを着てお互いの姿を見た。
「可愛いよ……ハンナ。」
アリンちゃんは僕の鼻を横から撫でるように手を伸ばした。しかし、彼女は顔を少し曇らせて手を引っ込める。片目が見えないからだろうか。僕は彼女がさっき伸ばした左手を優しく掴んで僕の顎の下に持っていった。
「こうしたかったんだよね?」
彼女の顔は少し赤くなって、そっぽを向いてしまった。
「ご、ごめん。」
「こら、そんな事気にしないの。もっと僕の事頼ったって良いんだからさ。」
僕はアリンちゃんを抱き寄せて首筋に軽くキスをした。
「さ、みんなの所に行こう。」
「うん!」
僕がアリンちゃんの手を握ると、彼女は細くしなやかな指で握り返す。結ばれた手を引っ張るようにして、僕は町へと繰り出した。
「お待たせ、みんな!」
「おっ、来た来た!相変わらず仲良いねぇ。」
アリンちゃんが呼びかけると、ローシャが僕達の方に向かってきた。
「ははは……茶化さないでよローシャ。」
「悪い悪い。全員集まったし、行きましょっかエリーゼさん!」
「言われなくてもそうするって。」
エリーゼに連れられて、僕達は街の小さな酒場に入った。
気付けば、全く飲んでいない僕以外は少し酔ってきているようだ。少し顔を赤くしたカインが珍しく口を開いた。
「にしても……とりあえずは皆元気そうで良かった。」
「そうね。元気があれば何でも出来るってもんよ!」
「アリン、お前はもう少し自重しろよ。どれだけ心配されてるか自覚が足りん。」
少しカチンと来たのか、アリンちゃんはカインから顔を背けてこちらを見た。
「まぁ、ぶっちゃけ否定出来ないなぁ……」
「えっ。ちょっ……ハンナまで……」
カインの肩を持ったのがまずかったのか、酔ったアリンちゃんが僕の首に絡み付いて来る。それだけなら良かったのだが、彼女は僕を抱き寄せて向かい合うように体の上に乗せようとしてきたのだ。緩んだ表情と薄く赤く染まった綺麗な顔が僕を興奮させたが、僕はシラフなのでなんとかこらえる。
「あの、アリンちゃん?ここ酒場だよ?寮まで待ってくれない?」
「えーっ……仕方ないなぁ。」
「はっはは……順調みたいで何よりよ、二人とも。」
エリーゼにはそう言われ、少し恥ずかしかったが何故か嬉しかった。どうにか自分の席には戻ったが、アリンちゃんは相変わらず僕にじゃれてくる。それを軽くあやしながら、僕はローシャとカインの会話に聞き耳を立てた。
「カイン。いつも思うが、お前だって言い過ぎるのは良くないぞ。」
「本当の事言ってるだけなんだがなぁ……」
「それが問題なんだよ、いい加減気付け。性格自体は悪くはねぇんだから……」
「……それ本当か?」
「うん、本当。アタイらの事を守ってくれるのには感謝してるし、師匠の怪我の事もどうしたら治せるか調べてくれてるみたいだし!」
「お、お前!?確かに不治の怪我に対する治療については調べたが、あれは……」
「『ローシャ』って書いた栞付けてたのにか?また謙遜しちゃって。」
「まぁ、お前の為だからな……教えて過剰に期待させるのも良くないかと思って隠してたんだ。まだ調べ終わってないが、待っていてくれよ、ローシャ。」
「カイン……」
僕が見ている雰囲気では、この二人の関係も良好みたいで安心した。僕はふと、エリーゼさんに気になった事を聞いた。
「エリーゼさん。そういえばなんで皆で飲もうって言い出したんですか?」
「そういうのを聞くのは野暮ってもんよ。でも良いわ。私達、いつまで一緒に居られるか分からないからね。仮に全員が生きていたとしても、それぞれが同じ道を歩む事は多分無いでしょうから。」
僕はイマイチこの現実を直視出来ていない。
「そうですね……」
それ以上の事は言えなかった。喉元で膨張し、僕に何も言えなくしているのは我が儘な弱く醜い心だ。でも、それは最早僕にはどうしようも無かった。
寮に帰った僕は、武器の手入れをしてからアリンちゃんの隣に寝転がった。初め僕は、彼女は寝ているかと思っていた。でもアリンちゃんは目を開けて僕に抱きついてきた。
「遅いよぉ……ハンナぁ……」
どうやら彼女は泣いているらしい。酔うと泣くタイプなのだろうか。
「大丈夫?」
「大丈夫なわけ無いでしょ!この責任は取ってもらうからね。」
いつになく大きな声で言うと彼女はそのまま転がって、僕が彼女の上にのしかかるような状態にした。彼女が“やって”欲しい事を、僕はこの一瞬で悟る。
「ハンナ、さっきだって本当はシたかったんでしょ?思いっきり発散させようよ。」
悪戯に笑う彼女の顔を見て、僕は少し彼女を虐めてみたいと思った。僕は彼女の首を覆うように右手を置く。少しキョトンとした彼女の顔とは対照的に僕は笑みを浮かべてこう言った。
「分かったよ。思いっきり発散させる。」
僕達の夜の交わりはアリンちゃんが倒れ込むように寝て終わった。びっくりしてアザのついた彼女の首に手を触れ、脈と息を確認する。それが正常なのを確認し、安堵すると僕も目を閉じた。
首を締められて苦しそうな顔をしながら可愛らしくも色っぽい声を上げて乱れるアリンちゃんを思い浮かべると、中々寝付く事が出来ない。今夜はあまりにも楽しかった。
彼女の生き死にも、快楽も、同時に僕が握っている。本当に感じるべき感情は違うのだろうが、僕は笑いが出そうな程の凄まじい愉悦を感じるのだ。今が楽しくて仕方がない、同時に失いたくなくて仕方がない。こうして僕はだんだん狂っていくのだろうか。
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