第5話 やらずに逃げたらもっと負けなの!

──状況を整理する。

 御堂筋アキハが男子生徒五人に囲まれてこの物置にやってきた。

 彼らはアキハを自分たちの論隊に入れたがっている。

 しかしアキハは残酷なまでに明確に拒絶する。

 すると男は入らないのであればいつか打ち負かしてやると挑発する。

 アキハはあっさり挑発に乗り背理を巻き込んで『縛接闘議』を仕掛ける。

 以上。

 ついでに言うと背理は缶コーヒーのせいで尿意が限界に近い。

「たった二人でボクたちと戦おうというのかい? 笑わせてくれるね」

 男たちのリーダーである翼丸誠治は人を小馬鹿にした歪んだ笑顔を披露してくれた。一本一本定規で長さを測って切りそろえたかのような整いすぎた前髪を七対三にわけてピッチリと固めてある。結び目が完全に左右対称になっているネクタイ。ナイフも刺さらなそうなほどノリで固めたYシャツ。清潔感のバケモノのような男だがオーラは邪悪。右手の小指につけた指輪には専権が順接であることを示すブルーの議具が取り付けられている。

「そう言ってるでしょ」

 アキハは冷え切った目で睨む。教室ではいつも無表情だったが、少しだけ怒りが見え隠れする。内心ではキレまくっているのだろうが。

「ひょっとして『縛接闘議』のルールを忘れたのかい? たった二人では言いたいことをうまく言えないかもしれないよ」

「ハンデにはちょうどいいわ」

「ちなみにボクの序列は順接で39位、統合で200位だ。キミほどではないがこの時期の一年にしては稀に見る数字だよ。そして他のメンバーもクラス内では序列の高い者を揃えている」

「それが何? これで負けたら恥ずかしいわよ」

 そういえばこれが春樹が語った序列重視で組んでいる論隊だ。と思い当たる余裕を背理は持ち合わせていない。

「だからちょっと待てって! 勝手に俺を巻き込むなって言ってんだよ! 俺はやらねえからな!」

 トイレに行きたいし、『縛接闘議』もやりたくない。しかも無様に負けるのが目に見えている。いくら相方がアキハとはいえ、こちらは転換だ。

「しつこいわね。いいから手伝いなさいって言ってるでしょ」

 アキハはこちらに目を向けることもなく、翼丸を睨みつけたままで言い捨てた。

「ボクからも少し冷静になるようにお願いしておくよ。キミは明らかに間違った選択をしている。そこのカレの、拝島君の専権を知っているのかい?」

「……アンタ何?」

 やっぱり翼丸を睨んだままで背理に尋ねる。そして背理が答えるまでもなく翼丸が邪悪な笑顔を添えて答えてくれた。

「転換だよ」

 その言葉を聞いてアキハは今度こそ背理の方を振り向いた。それもとても勢いよく。

「何ですって!?」

 猛烈な怒りもほとんど顔に出なかった彼女だったが、目も口も限界まで開いて驚愕している。

「アンタ転換なの!?」

 再度確認するほど衝撃的だったらしい。

「そうだよ! 悪いか! つーか、なんで知らないんだよ!」

「他人の専権なんていちいち覚えてないわよ!」

「言っとくけど、お前以外の全員がバッチリ覚えてくれてるぞ! そんで無視してくれてるんだよ! 俺は落ちこぼれの拝島背理だ! よろしくな!」

「……!」

 アキハが絶句するとクックックと翼丸の気取った笑い声が聞こえてくる。

「さて、もう一度聞くが本当に君たち二人でやるのかい? ただでさえ二人じゃ心もとないのに一人が転換じゃあね。『しかし』と『ところで』だけでまともな議論ができるとは思えないが」

「俺もそう思うぞ、御堂筋。無茶は止めろ。俺を解放してくれ。トイレに行きたいんだ」

「クックック。行ってきたまえ。負ける戦いはしない方がいい。落ちこぼれでも引き際はわかるようだ」

 小馬鹿にされた気がするが構っていられない。引き際に迷うどころか最初からこちとら引き一択の決心だ。あとトイレに行きたい。

「まあボクとしては少し残念かな。確実に勝てる場面だ。御堂筋君、キミを打ち負かす意義は大きい。ボクがクラス一位になるチャンスだったのになぁ」

 翼丸は背を向けて、取り巻きを引き連れて立ち去ろうとした。しかし、

「……いいえ、やるわ」

 アキハの凜とした声が翼丸の背中に突き刺さる。

「……正気かい?」

 翼丸は歩みを止める。

「いや、待て御堂筋! 何度言ったらわかる! 無茶だ!」

「確かに簡単じゃないわ。でも負けたくない」

「だから、やったら負けるんだよ!」

「やらずに逃げたらもっと負けなの! アンタも、逃げ腰だから転換なんかになっちゃうのよ!」

 逃げ腰。確かに普段はそうかもしれないが、逃げるべきタイミングというのもある。今がそうだ。どうせ無様に負けるだけ。役立たずだと思い知るだけ。メリットは一切ないのだ。あと、トイレに行きたい! 

「よく考えろ。一度論隊を組んだら俺たちは離れられなくなる。お前は三年間、転換っていうお荷物を背負い込むんだぞ」

「私、お前って呼ばれるの嫌いなんだけど」

「あぁもう! 全然話通じねぇ! お前絶対議論とか向いてねえよ!」

「何ですって!? できるわよ! 今から見せてやるわ! 上等よ、転換の一人や二人負担でもなんでもない!」

 教室での印象からもっと落ち着いた奴だと思っていたが、実はものすごく直情的で負けず嫌いだった。そして見境なく無茶をする。

「まあまあ、拝島君。良い機会じゃないか? 誰とも論隊を組めそうになくて困っているだろう? 御堂筋君ほどの実力者と組めるなんて奇跡のようじゃないか」

 もっと押せば勝負ができると踏んだ翼丸が今度は背理を懐柔しようとする。

「アンタ困ってるの?」

 背理ではなくアキハに引っかかった。

「……そりゃそうよね、転換だし。誰も相手にしてくれないのね。教室では皆誰と組もうか探り合ってるっていうのに、それに混ざることすらせずこんなとこにいるなんて。もはや足掻く気力すらないくらい諦めきってる。そうでしょ?」

 一瞬で正確に状況を読まれてしまった。さすが頭の回転は早いらしい。

「私と組みましょう。私がいれば他の隊員も集められる。アンタの悩みは綺麗さっぱり解消よ」

「…………」

「どうせ転換の出番はほとんどないわ。今アンタはここに立ってるだけでいい。別にアンタは負けても大したデメリットないでしょ? そりゃ確かに悔しい思いをするかもしれないけどアンタのせいじゃない。序列がちょっと下がるくらいのもんよ」

「……いや、これ以上下がりようがねえ」

「じゃあ何もないじゃない」

「トイレに行けないのは困る」

「行ってよし」

「うぅむ……」

 このままでは説得されてしまう。……が、それでいいのかもしれない気がしてきた。負けたら多少惨めな思いをするかもしれないが自分のせいではない。あくまで無茶な戦いに勝手に挑んだアキハのせい。そう考えれば気は楽になる。

 ──そして、確かにアキハと組めれば今後の学生生活は明るくなるかもしれない。

 基本的にはただ隣にいるだけでいい。たまにポツリと一言ディベートに参加するだけで勝利が手に入って成績は上昇。それに、入学式で聞いた「勝者にはあらゆる優遇が、敗者にはあらゆる負担が与えられる」という言葉。未だに具体的な内容はわからないが、強い論隊にいるに越したことはなさそうなのだ。

 しかし懸念が一つ。この女と一緒にいたら厄介ごとに巻き込まれるのではないか?

 実際、今だって巻き込まれている。自分の思うままに動いて、周囲の説得は無意味。そういえば彼女が理想のメンバー像を「私の思い通りに動く奴隷」と語っていたのを聞いた。彼女と組むということは奴隷一号に名乗りをあげるということ。

「どうすんの!?」

 顔を近づけて返答を迫る。ブラウンの瞳にはうろたえる自分が映っていた。この距離でも毛穴一つ見つからない白い肌。さらさらの髪からシャンプーの香りが漂う。

「……わかった」

 ──今だけは、逃げるのをやめてみよう。

 なんて言えば格好つくが、背理は逃げることから逃げたのだ。

「俺はトイレに行く。ついでにお前と組む」

 そう言い残して階段を駆け下りる。

「逆!」

 背後からアキハの怒号が聞こえた。

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