わたしと、猫と、時どきペンギン。

七ツ海星空

わたしと、猫と、時どきペンギン。

01 ……えくすきゅーず・みー

 それは、非常ひじょう事態じたいだった。


 今朝、我が家の玄関から、ゼニガメが消えたのだ。


 昨晩は、靴箱くつばこの上にある水槽すいそうのなかで、すいすい平泳ぎを披露ひろうしていたのに。


 ゼニガメは、去年の夏祭りの露店ろてんでやっと釣り上げた一匹だった。あの子のために費やしたお小遣こづかいのことは忘れられない。さいごは結局、かなしそうな笑顔を見せた露天しょうのお兄さんにまけてもらったんだけれど。


 そんなことより、ゼニガメはどこだろう。


 玄関や、靴箱のなかや、廊下ろうかなどをすみずみまで探してみたけれど、四角形の水槽から抜け出したあの六角形は、どこにも見当たらなかった。家の外にでも逃げたんだろうか。けれど、目の前にある玄関のドアには、当然カメが通り抜けられるような隙間すきまなど無かった。そもそも一月の、しかも札幌さっぽろの雪が積もるなかへと飛び出したところで、数歩歩いたあたりで冬眠とうみんしてしまうだろう。カメだし。


 あれ? カメって冬眠するよね? けど、冬眠ってどこでするの? 土のなか?


 やっぱりどこにも見当みあたらない。背たけの何倍もあるガラス張りの空間から逃げ出したのだから、わたしの見当のつかない脱出方法があるのかもしれない。それなら、外にお出かけしてしまった可能性だって考えるべきだ。お父さんも言っていた。「当たり前を疑いなさい」って。


 よし。


 わたしは雪用の長靴ながぐつを履いて、二重ロックをかちんかちんと外して、ドアノブに手をかけた。


 うー……冷たい。パジャマのまま外に飛び出すのは、とても無謀むぼうな気がする。……けど、ゼニガメのためだ。すこしは犠牲ぎせいを払わなくては。


 えいっと、ドアを押しあけた。



 まぶしい。


 わたしの目の前は真っ白になった。白とびになった視界から、陽の光を反射させた雪が玄関から歩道まで敷き詰められているのがわかるまで、しばらく時間がかかった。


 なにか小さなものがいる。

 ぼわあと白い息が視界をさえぎり、冷たい空気に身を震わせながらも、その小さなのものから目をそらすことができなかった。


 そこにいたのは一匹の白猫だった。


 その白猫は、とても奇妙だった。長いしっぽと、まあるい背中をこちらに向けた小さな猫は、後ろ足だけで立っていた。その姿は、まるで人間のように二本足だけで歩いて行けそうだった。しかも、前足を器用に使ってゼニガメをはさんでいた。


「あっ、ゼニガメ!」


 思わず出た声に、白猫は振り返った。わたしたちは目が合い、ほんのわずか、時間が止まった。手もと……前足もと? のゼニガメは、そんなことお構いなしにわしわしと四つの足を動かしていた。


「……えくすきゅーず・みー」


 信じられない声を耳にした。


 白猫が、言葉を発したのだ。


 当たり前を疑いなさい、とは言われたけど、これは予想外だ。飼ったことが無いのでわからないが、じつは、猫はおしゃべりする生きものなのだろうか。あまりの出来事にうろたえているうちに、白猫は、これまた器用に前足を使って、ゼニガメを頭の上にせた。その様子をびっくりしながら眺めていると、猫はそのまますたすたと走り出してしまった。


「あー」


 呆気にとられているうちに、歩道へと出た白猫は、視界の外へと消えていった。


 我に返ったわたしは、あわてて外に飛び出して歩道へ出たけれど、歩道の左右どちらを見ても、白猫とゼニガメの人影? は見つからなかった。



 とぼとぼと家に戻ったわたしは、玄関の水槽を見た。


 やっぱりいない。さっきのはまぼろしなんかじゃなかった。あの白猫がうちのゼニガメを誘拐ゆうかいしたんだ。しかも、ヤツは喋る。あなどれない。


 あれ? あの白猫は人間の言葉がわかるんだよね? だったら、カメの言葉はわかるんだろうか。誘拐されても、カメが家に帰りたいと思っていたら、戻ってくるチャンスがあるかもしれない。だけど、もしあの白猫がカメともお話できるとしたなら、うちのゼニガメはそそのかされて、誘拐先でそのまま余生よせいを過ごしてしまうかもしれない。


 それは悲しい。とても悲しい。


千葉ちは、なにやってるの?」


「あ、お姉ちゃん」


 千葉というのはわたしの名前。霧島きりしま千葉、がわたしのフルネーム。そして、声をかけてきたのはお姉ちゃん。


「……えっと、あの、カメが……誘拐された」


「誘拐?」


 お姉ちゃんは、わたしと水槽を交互に見かえした。


「いなくなったの?」


 その言い方でも間違ってはいない。わたしのゼニガメはいなくなったのだ。けどやっぱり、あの喋る猫のことと、その白猫によって連れ去られたことはわかってほしい。


「……あのね、いま玄関の外に白い猫が――」


「え、猫がいたの?」


 お姉ちゃんは、猫という単語にぴんと反応して、すばやくブーツをいて玄関のドアをあけた。お姉ちゃんは猫好きなのだ。けれど、なにもいないことがわかると、ちょっとがっかりしたみたいだった。


「その白猫が……うちのカメを誘拐したの」


「そうなの? けど、その猫は、どうやってうちにはいったんだろうね」


「そしてね、その猫ね、……喋ったの」


「喋った?」


「えくすきゅーず・みーって」


「英語?」


 よし、ちゃんと伝えられた。あとは、お姉ちゃんが理解してくれればいいのだけど。


 お姉ちゃんは、わたしを見ながらうーんとうなって首をかしげた。


「千葉、もう中学生になって一年も経つんだから――」


「本当だもん!」


「……本当、なの?」


 わたしは何度もうなずいた。


「そっかあ、じゃあ、その猫を探しに行かなくちゃ、だね」


 お姉ちゃんは納得してるのかなあ。けど、お姉ちゃんの言うとおり、あの猫を見つけ出さなきゃいけないのはたしかだ。


「パジャマのままじゃ風邪かぜ引くから着替えないとね。あと、朝ごはんもはやく食べなさい。母さん食卓にいるから。冬休みだからってダメだよ、ちゃんと朝に食べなきゃ」


「……はーい」

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