第37話 決意

 今のハリス先生に夜討ち朝駆けなんて意味があるのか分からないが、周囲の目もあると言う事で襲撃は夜明け前に行われることになった。

 現場に向かうのは俺とアプリコット、そして魔女の3人だ。少数精鋭という言葉では物足りない程の少人数だが、完全武装の騎士団で取り囲んだところで周囲を無駄に騒がせること以外に効果は無いと言う事でこうなった。


 朝日が昇る前の仄暗い冬の王都、その日は粉雪が振り落ちていた。


「アプリコット、大丈夫か?」

「アデムさん……やはり教授は敵なのでしょうか」

「そうだな、魔女の言うとおりに動くのはムカついてしょうが無いが、先生のやっていることは、王国を危機に陥らせていると思う」


 帝国の進攻が間近に迫っている今、いつ爆発するとも分からない門の力を独占しているのは、悪と言って差しさわりないだろう、それこそ魔女と同レベルに。


「それで、アプリコットは何かいい案を思いついたのか?」


 先生を説得する。それが出れば最上級だが、それは最も困難な道かもしれない。


「分かりません。でもやってみます、やらせてください」

「うふふふふ。いいねぇいいねぇ健気だねぇ。僕だってこんなめんどくさい事はやりたくないんだ。今使っているボディには次元魔術は荷が重いからね」


 魔女はなれなれしくアプリコットの肩を抱きつつそう言った。


「うふーふふ。リラックス、リラックスさどうせ君には大した期待はしちゃいない。億が一の宝くじさ」

「てめぇアプリコットから離れやがれ!」

「うふーふふふ。おやおやアデム君はアプリコットちゃんみたいな豊満な女性が好みなのかな? んーざんねんだ、今のボディはアデム君には物足りないかな?」


 魔女はそう言って自らの胸をこれ見よがしに持ち上げる。


「俺が気に食わないのは貴様と言う存在そのものだ」


 俺はそう言い捨てて、アプリコットの手を引いて、ハリス先生の家へと足を進めた。

 




「さあ到着だ、とっとと蹴りを付けて帰るとしよう」


 魔女はそう言ってパチンと指を慣らす。

 そうする魔女を光の幕が取り囲む。いや違うそれは光の膜ではない、絹糸よりも細い魔力のパスで編まれた光の繭だ。


「……いつから伸ばしてやがった」

「んふふふふふ。もちろん王宮を出てからだよ。今繋がっているのはおよそ1千って所かな。まぁこのボディだと、キャパオーバーしちゃうと負担が大きいから広く浅く、各人からは小さじ一杯って所だよ。

 あぁ、それからここは結界で隔離していあるから、多少は暴れても大丈夫さ」


 やはりこいつは侮れない。

 アプリコットを操った時も同様の手段で行ったのだろう。


「説得するにしても先ずは同じ舞台に立ってもらわないとね」


 魔女はにやにやと笑いながら、ハリス先生の玄関の前に立ち――


「おはようの時間だぜハリス君」


 そう言いながら玄関のドアを蹴り飛ばした。





 ズドンと一蹴、玄関のドアは奥へと蹴り飛ば――


「なんだこりゃ!?」


 その奥は宇宙が広がっていた。どこまでも続く漆黒の世界、その中に無数の星々が瞬いている。

 いや違う、星ではない。数えきれないほどの魔法陣が現れ、そして消えていた。


「あはははははは、いやー凄い凄い脱帽だ」


 魔女はそう言いつつ、その空間に踏み入った


「よくぞこれを爆発させずに保ってい――」


 魔女はセリフの途中で掻き消えた、もしや、あの空間に入ったら外部からは認識できなくなってしまうのだろうか?

 俺はアプリコットと顔を見合わせる。


「部外者には退場してもらった」

「っ!」


 誰かいる。その漆黒の空間の中に誰か立っている。いや誰かなんて疑問に思う必要も無い。


「ハリス先生!」

「ふむ、やはり君が来たのかアデム・アルデバル。そして君が来たのは予想外だな、アプリコット・ローゼンマイン」


 ハリス先生はいつも通り眉間に深いしわを刻んだまま淡々とそう言った。





 なんてこった、大口叩いていやがった魔女が瞬殺されてしまった。こうなっては手の出しようがない。

 俺はアプリコットを庇う形でハリス先生と相対する。


 だが――


「私に、先生とお話しさせてください、アデムさん」


 アプリコットは俺の手をぎゅっと握りしめたと思ったら、決意を込めた声でそう言ってきた。


「……ハリス教授」

「…………」


 アプリコットはしっかりと立ち、先生の目を見つめてから一歩前に出た。


「教授の行っていることは間違っていません。ですが間違っています」

「…………」


 アプリコットの発言を、先生は何時もの無表情でじっと眺めていた。


「教授の願いは崇高なものだと思います、誰だってそう思います。

 ……私は母を亡くしました。

 体が弱かった母は、私を生んでくれた後、産後の肥立ちが悪く、若くして世を去ってしまったそうです。

 それだけではありません。辺境の我が領地は、十分な医療が行きわたっておらず、毎年多くの人が失わなくていい命を失っています。

 もっと医療が充実していれば、私はその思いでこの学園の門を叩きました。

 先生には遠く及ばないかもしれませんが、私だって命の重さは身に染みています」


 それはアプリコットの心の叫びだった。

 辺境領主の娘として生まれた彼女の、崇高なる責任感だった。母の温もりを知らぬ、幼子の泣き声だった。


「誰だって、誰だってそう思います。あの人が生き返ればいいのにって」


 そう、それこそが、ハリス先生の命題。

 彼が魔女と最初にかわし損ねた契約。

 全盛期の魔女の力をもってしても不可能だとあしらわれた契約だ。


「けど無理なんです、そんな事できっこない。この方法じゃできっこないんです。

 この空間を見て分かりました、教授は彼女を生き返らそうとしているんじゃない。彼女を零から作り出そうとしているんです」

「オリバ・メイヤーの生み出した魂の魔術。教授はそれを使って彼女の器を用意した。そして教授が目指すのは、その中身。

 教授は零から彼女の魂を、それも寸分たがわぬ彼女の魂を作り出そうとしているんです。

 そんな事……不可能です」


 そう、そんな事は不可能だ。もはや無に、零に返ってしまった魂を、寸分たがわぬ形で甦らそうなど、それこそ正しく神の領域。

 

「……それだけかね?」


 アプリコットの叫びを聞いた。先生の答えはそれだけだった。


「無理なんですよ先生。それにここはもう持たない、早く門を正常な状態に戻さないととんでもない事になってしまう」

「そうです……教授ならもう分かっている筈です。

…………無理、なんです」


「無理、無駄、無謀、無為。その様な感情は当に捨て去った。今の私はただ一つの解を求めて動き続ける魔術式に他ならない」

「先生!」

「諦める? 笑止。邪魔をせぬと言うのなら大人しく返そう。だが邪魔をするとなら障害として認識する」


 ハリス先生はそう言って、俺たちに手を向ける。


 次元魔術! 魔女の奴はその魔術を防御に使っていた。だがそれを攻撃に用いるとなれば最悪だ。

 頭だけを別次元に送られちまえば即ち即死。回避不能の即死魔術。そしてそれをやってのける精密さを先生は十分に持ち得ている。


「アプリコット! 危ない!」


 俺は彼女を抱きかかえ、その場から瞬時に離脱する。


 パッと見は何も起こったように思えない、だがさっきまでアプリコットがいた場所に振っていた粉雪がきれいさっぱり消え去っていた。


「先生、あんた!」

「言ったはずだ、障害は排除すると」


 くそっ、先生は本気だ。入ったら終わりの工房に引きこもり、攻めは不可視の無敵の刃。こんなのとどうやって戦えばいいんだ。


 すごすごと負けを認めて引き返してぇ、だけどそうしたらどうなる?いつ爆発するかも分からない工房が王都全部を灰にしちまうかもしれない。


「アデムさん!」


 ハリス先生の視線を先読みして不可視の刃をかわし続ける俺の胸の中でアプリコットが叫びを上げた。


「私をあの工房まで、先生の元まで送り届けてください!」

「はっ? 何言ってんだアプリコット! 話聞いて無かったのか? 常人があそこに踏み込んだら発狂間違いないんだってよ!」

「それでもです、それでも私は先生と話がしたいんです!」


 冗談だろ? と思うが、アプリコットの目は真剣そのもの。その決意に一点の曇りも無かった。


「大丈夫、アデムさんは私が守ります」


 アプリコットは俺の目をしっかりと見て、そう断言したのだった。

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