第34話 招待

 魔術医療の大権威。千の魔術を収めたもの。ハリス・リンドバーグを湛える名声は数限りなく存在する。

 彼は若くより天才だった。彼がもう20年いや10年でも早く生まれていたら、帝国との戦争も王国の圧勝で終わったかもしれない、そう謳われるほどの存在だった。


 輝かしい栄光に満ちたその人生、余人にはそうみられる彼だったが、彼とて唯の人間だ、全知全能の存在と言う訳では無かった。

 あらゆることに成功を収めて来た天才、そんな彼にもたった一つの汚点があった、たった一つの後悔があった、





「ねぇ先生。今日はとてもいい天気だわ。今年は豊作になるかしら」

「残念だが、その予報は外れだ、私の計算では今年は冷夏となる」


 ベッドに横になる女性のごくありふれた世間話に、若きハリスは無表情でそう答えた。その答えに女性は苦笑いを浮かべつつ。こう答える。


「そうですか、それならば私も頑張らなくてはいけませんね」

「そうだなミリヤ君、植物の品種改良は確立に大きく左右される。母数が多ければそれに越したことは無い」


 その答えにミリヤと呼ばれた女性は笑みを浮かべる。しかしその笑みは弱々しいものだった。いや弱々しいのは笑みだけではない。やつれた頬、病衣の裾から出る枯れ木の様な腕が彼女の病状を物語っていた。


 ミリヤは不治の病を患っていた。いやそれを病と言っていいのか誰にも分からなかった。





「……ハリス教授、今日の検査結果ですが……」


 職員より手渡された書類を彼は無言で受け取った。

 全項目正常値、それが彼女の検査結果、それが何時もの検査結果だった。


 魔術的な診断、機械的な診断、ありとあらゆる診断をした、ありとあらゆる治療をした、しかしそのどれにも反応は無く、彼女は日に日に衰弱、いや変質していった。


「があ、あああああああああ!!!」

「くっ!」

「押さえろ! 発作だ! ハリス教授早く離れて!」


 変質、彼女は日に日に人間以外のモノへと変質していった。


「いったい何なんだこの呪いは」


 研究所員たちは頭を抱えた、彼女の外貌に変化はない、ごく自然な病人のそれだ。だがひとたび発作が起これば、その暴れようは手の付けようがない。その枯れ木の様な腕からは想像もできないような膂力を持って暴れ回る。


「魂が汚染されているとしか思えない」


 ある研究員はそう呟いた。

 魂の数値化、可視化、客観的評価、そして治療。それは彼の天才ハリス・リンドバーグをもってしても未だ不可能の領域だった。

 

 魂、それは人体を構成する3要素の一つ。理論上は実証されているが、実際には手の届かない場所に在った。


 ハリス・リンドバーグは夜をとしてありとあらゆる文献を読み漁った。ありとあらゆる手段を試みた。

 魂、その未知なる領域に、これ程踏み込めた人類は彼が初めてだろう。





 彼が彼女を担当して幾つかの月日が流れた。

 そして、彼女の命は流れ落ちた。それは儚くあっけないものだった。

 その最後の時まで、彼は諦めずに手を尽くした。

 その最後の時まで、彼は彼女に接し続けた。

 その最後の時まで、彼はいつも通りの無表情だった。





「なんだと? それは真か?」

「ああそうさ、彼は依然僕にそう語った、そう願った」


 魔女はニコニコと笑いながらそう語る。


「眉間にこーんなに皺を寄せてね、ってそれはいつも通りか」


 魔女は両の指で皺を作りながらそう笑う。


「全く、全然、これっぽっちも他人になんて期待してない表情でさ。問われたからただ言ってみた、それだけの話さ。勿論僕も検討したよ? 正直公正公明正大が僕のモットーだからね。

 けど駄目だ、そればっかりは僕の力を超えていた。僕は神様じゃないからね」


 魔女はいかにもわざとらしく、残念がってそう語る。


「だから彼は神になろうとしてるんだ、あらゆることを可能とする全知全能の神様にね」


 魔女は腹を抱えてそう笑った。





「お疲れ様っしたー」


 ふうやれやれと、俺はかび臭い地下水路を後にする。単なる一工員の俺には全体の進捗状況は分からないが、全体ではどれくらい進んでるんだろう?

 地下水路は都市の大インフラだ、便利な暮らしになれた王都民の不満は日に日に高まっている。


「大変だろうな、王様は」


 あの時あった王様は若くてエネルギッシュな人だったけど、流石に今回の事では頭を抱えているだろう。


 そんな事を思いつつ、夜が更け魔道ランプの照らす大通りを歩いていると、その先にポツリと立つ人影があった。


(あれ? アプリコット?)


 逆光で視にくいが、それは彼女の人影だった。こんな夜更けにカトレアさんも連れずに1人でなにをやっているのかと、不思議に思いつつも俺は彼女に近づいた。


「おい、アプリコット、こんな所―」


 アプリコットのその瞳は地下水路に溜まったドブ水よりも濁った瞳だった。

 見覚えがある、いやその瞳は忘れようがない。


「てめぇ……生きて居やがったのか!!」

「うふ、うふふふふふふ。いやーやっぱり一目瞭然か、これって相思相愛だねアデム君」


 俺は奴の戯言を聞き流し、一瞬で距離を詰めて、その無防備な顔面に――。


「おっと待った、この子は本物だよ」

「つっ!」


 俺は鼻先ギリギリで拳を止める。


「うふふふふ。あー怖かった、怖かった」


 アプリコット顔をした魔女は余裕たっぷりにそう笑う。この子は本物?奴はアプリコットに取りついたのか?

 俺は精神を集中し魔力を辿る。


「うふふふふふ。そうそう、そうやってよーく目を凝らしてみてごらん?」

「喧しい、黙ってろ!」


 凝らす、凝らす、目を凝らす……。

 見えた、無数のか細いパスがアプリコットに向かって伸びている。それはまるでアプリコットが蜘蛛の巣に捕えられているかのようだった。


「ちっ!」


 パスは彼方此方から伸びていて、その元をたどる事は難しい。俺に本体を探らせないように計算しての事だろう。


「うふふふふ。いやーどうしようか迷ったんだけどね。君の驚く顔が見れて大満足さ」

「黙れ! 今更何しに来やがった!」


 魔女が生きていた、生きて居やがった。その事実に俺の鼓動は早鐘を撃つ。


「うふふふふ。君と話したいことは山ほどあるけどね。そうしていたら夜が明けちゃう。今の僕は君にやられた所為でか弱い乙女なんだ、涙をのんで遠慮しとこう」


 静かな、静かな夜道にアプリコット魔女の声が響く。

 俺は周囲を警戒しつつ、迎撃態勢を整える。


「あぁあぁ、そんなに警戒しなくても大丈夫さ、いっただろ? 今の僕はか弱い乙女。君に殺され死に戻った所為で戦闘力なんて蟻んこと同等さ」


 死に戻った? 戦闘力が無い? そう言えば何故こいつは態々アプリコットを人質に取っているんだ。奴の次元魔術ならば、本体が出て来ても安全な筈だ?


「うふふふふ。さてさて、夜は短し話は早くだ。今日は君にお願いがあってこうして顔を出してみたんだ」

「お願い……だと?」

「そう、敗軍の将が敵に下るのはよくある話だろ? 僕は今君たちの味方だよ」

「ふざけんな! そんな事信じられるか!」


 こいつは人を人と思わない快楽殺人者だ。そんな奴が寝返ったなんて言われても到底信じられっこない。


「いやいや、それがホントの話でね。君に殺されちゃったおかげで改心しちゃったのさ」

「殺されたって言うんなら、なんで今そこに居るんだ!」

「うふふふふふ。バックアップを取っておくのは当然の話さ、とは言え戦闘力はすっからかんになっちゃったけどね」


 なんだ、こいつの言っていることは訳が分からない。だがこいつが確かに存在していることは確かだ、こんな目をする存在はこいつ以外に知りはしない。


「うふふふふ。子供のお使いを2度も失敗する訳にはいかなくてね。君にはこの場所に来てもらおうと思ってるんだ」


 魔女はそう言うと一枚の紙切れを飛ばしてきた。


「……なんだこれは」

「うふふふふ。別に何の仕込みも無いただの許可書さ、王宮へのね」

「王宮だと!?」


 俺のその答えに、魔女は愉快そうに頬を歪めたのだった。

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