第24話 壁

「あのーもしもしー、ちょっといいかしらー」


 ギシギシと嫌な音を立てるドアを、ジェシーさんは遠慮なく何度も何度もノックする。その衝撃でドアが壊れてしまわないかと俺が心配そうに眺めていると。


「うるせえな! ぶっ殺すぞ!」


 と、元気な返事が返って来た。


「良かった、居てくれたみたいね、ちょっと聞きたいことがあるんだけ――」

「危ない!」


 ドアの隙間から覗いたのは、視線では無く白刃。俺は間髪彼女を後ろへと引き離す。


「ちょっと乱暴ね! ここの住人はみんなこうなの!?」

「知りませんよそんな事」


 白刃の後から顔を出してきたのは、筋骨隆々の大男、それも唯の大男ではない、どんなお仕事をなさっているのか、全身に返り血を浴びた大男だった。


「あのー、ジェシーさん? 運が悪いってよく言われません」

「そっ、そんなこと……ない、わよ」


 全身から立ち上る湯気とむせ返るような返り血の匂い、そして何より何処を見ているのか分からない爛々とした瞳、どう考えても正気の人間とは思えなかった。


「ちっ、こいつは外れでしょう。いったん引きますか」


 中毒者程度のしてしまうのは訳はないが、ここでひと暴れすると、今後の調査に支障が出るだろう。俺はジェシーさんを背後に庇いながらそう尋ねる。


「そうね、ここは一旦引いてみようかし……」

「ん? どうしましたジェシーさん」


 俺は前方に意識を集中しつつ、ちらりと横目で背後を確認する、するとそこには。


「ジェシーさん、よく運が悪いって言われません?」

「あっ、あんたこそ、トラブルメーカーなんでしょ!?」


 マイナス掛けるマイナスは必ずしもプラスになる訳で無く、マイナスが膨れ上がるだけだった。


 大男を前にした俺たちを囲むように、凶刃を手にした狂人たちがぐるりと包囲しているのだった。


「ちっ。取りあえず、抜けます」


 俺はジェシーさんを抱きかかえると、包囲の薄い所へ向かい駆けだした。


「どけどけどけ!」

「うひゃ! きゃっ!」


 大ぶりで振られる凶刃はそれ単体では大したことは無いが、味方の被害を恐れずに数を頼りに繰り出される攻撃は脅威である。それに加えて今はお荷物が腕の中にいる。


 俺は、蹴りで凶刃を捌きつつ、包囲の薄い方へと突き進む。屋根の上を突っ走っていきたいところだが、いつ崩れるかも分からないそこに、足を預けるのにはためらわれる。


「俺達なんで追われてるんですか!?」

「そんなもん私に聞かないでよ!」


 狂人の思考など理解不能、とは言えスラムの最奥では健康に良くない薬がまん延しているだろうことが理解できた。


「あの爺につかまされたんじゃないですか!?」

「今そんな事言わないでよ!」


スラム街は複雑怪奇、俺はフラ坊を召喚し上空から道案内させる。とは言えごちゃごちゃのゴミ箱みたいなスラム街、上空からでは死角が多く、無いよりましと言った程度だ。


「こっち行って、こっち行って、こっち!」

「ちょっと馬鹿! 行き止まりじゃないの!」


 追い込まれた先は行き止まり、奴らは何処からかわらわらと湧いて来る。


「いえ、計画通りです……よっ!」


 目の前には見上げる程の壁、後ろからは目を血ばらせた狂人たち。だがしかし、ここは袋小路の脱出口。

 俺は勢いよくそこに突っ込んで、そのまま壁を登りあがった。


「ひょいっと」


 壁の上端にはご丁寧に棘付きの鉄柵がこしらえてあったが、俺の脚力の前ではそんなものどうと言う事も無い。


「あんた、ホントに召喚師なの!?」

「召喚師ですよホントに」


 ちょっと人類最強に鍛えられただけの召喚師だ。





 整えられた芝生の上に着地する。どうやらスラムを仕切る外壁から外に出たようだ。

 無事逃げられたのは良かったが、結局は振りだしに戻る。あの爺さんの情報が正しかったかどうかも分からずじまいだ。


「さてどうしますか、もう一度表から行きますか」

「冗談、なんで私があんな大冒険しなきゃいけないのよ」


 冒険と言ってもジェシーさんは俺に抱えられていただけなのでは?

 俺はそのセリフを飲み込みつつ、後ろを振り返る。壁の向うからは音は聞こえてこない、幾ら狂人と言ってもその程度の理性は残っている様だ。


 彼らの中でまん延していた薬? が何なのか気にはなる所だが、今調べているのはそれではない。あの男に繋がるかもしれない人語を話すグミの事だ。


「でもいいですか、このまま手ぶらで帰って」


「エフェットに言いつけますよ?」との視線をジェシーさんに送る。「ぐぅ」と彼女は言い淀みつつも、視線をそらす事暫し。


「あー分かった、分かったわよ、もう一度だけ付き合ってあげる!」


 彼女がそう叫んだ時だった。


「そこで騒いでいるのは誰だ!」


 と、今度は完全武装の兵士たちに取り囲まれた。


「あーあはは、いや私たちはですねー」


 ジェシーさんが両手を振りながら弁明の声を上げようとするも。


「言い訳は取調室で聞く!」


 と、彼らは聞く耳も持たずに包囲の輪を狭めていく。

 しかし、ヤバイ、包囲しているのは熟練の兵士たちばかりだ、動ける人がかなり多い……って。


「あれ? もしかしてここ、騎士団の……」

「そうだ、ここは王都第三駐屯所、知らずに忍び込んだなぞ言わせないぞ!」


 俺たちを包囲している兵士たちの鎧に刻まれたのは、光り輝く騎士団の紋章。なんてこった一難去ってまた一難、俺たちは狂人の巣からトラの檻へと逃げてきてしまったのだ。


「あっ、あのー」


 俺が恐る恐る声を掛けると、中の誰かが声を上げた。


「あっ、隊長この小僧」

「あ、あはははは」

「以前指名手配になった小僧です」


 それが吉となるか凶となるか、俺は騎士団では有名人物だったようだ。





「そんなホイホイ越えられちゃ壁の意味が無いんだよ」

「ごもっともでございます」


 せまっ苦しい取調室で、俺とジェシーさんは一通りの調査を受ける。調査しに行ったはずが調査を受ける羽目になるとはこれいかに。

 とは言え、無事に誤解は解けたようで、俺たちはあっさりと解放された。


「あっ、そう言えば副団長はどうしたんですか?」


 騎士団と言えば、魔女騒動の折、散々と世話になった彼の事。努力と経験に裏付けられたあの剣術には随分と苦しめられたものだ。


「ああ、あの人なら……国境警備隊に左遷されちまったよ」

「え?」


 俺の質問に、そう答えた隊員は、何とも微妙な視線を俺に向ける。


「お前に無実の罪を押し付けた責任やらなんやらを全て押し付けられてな、悪いがこれ以上は口にしたくない」


 そう言われた俺も、何とも言えずに口ごもる。確かに敵対してしまったが、それは彼の責任ではない筈だ、彼より上が下した命令に、彼は従ったに過ぎないのだ。


 何とも言えない気持ちを胸に抱えたまま、俺たちは駐屯所を後にしたのだった。

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