2話 錦糸町
「えっと……ここからどうするんだっけ?」
錦糸町総督府の正門から、リズムよくケンケンパで出てきたのは、スチームパンク風の衣装を着こなしている女の子。その名を風鈴という。
キョロキョロと周囲を見回している風鈴を視野にとらえても、門番の三○〇センチを超える双子の大男は、災いを回避しようと風鈴と眼を合わせようとしない。
「んー…………あっ! アーちゃん、ウンちゃん!」
二人のうち門の右側に立つ大男の足元に駆け寄った風鈴は、空を仰ぐように大男をじーっと見上げた。見上げられた大男の肌に冷や汗が浮かび上がり、耐えきれずチラリと風鈴を見下ろすと、急に風鈴がピョンピョンと跳ねだした。
「ウンちゃん! ウンちゃん! ウンちゃん!」災いは回避できなかった。
ウンちゃんと呼ばれた大男は、渋い顔で、背中を丸めて風鈴を見下ろす。風鈴の身長は一七五センチだが、それでも中腰のウンちゃんと眼を合わせるためには、首を四十五度は空に向かって曲げないといけなかった。
「風鈴殿、私たちの呼び名なのですが、少々砕け過ぎではありませんか?」
「くだけすぎ?」
風鈴は何のことだか意味不明とばかりに首をかしげる。
「浅草寺仁王門の阿形と吽形になぞらえて命名して頂いたのは光栄なのでありますが、なんというかその……」
「二人はアウンノコキュウなんだから、正解だよ!」
脊髄反射されて、噛み潰す苦虫が増量したウンちゃんだが、ここぞとばかりに食い下がる。
「た、たしかに阿吽の呼吸なのですが、でも、やっぱり気になるので、わたくし代案を考えてみたのです……浅草寺の風雷神門のほうになぞらえて、フウちゃん、ライちゃん、あたりではいかがでしょう?」
それを聞いた風鈴が腕を組み、ドヤ顔で首を横に振る。
「それボクも考えたことがある。でも、アーちゃんウンちゃんのほうが可愛いよ!」
嬉しそうにピョンピョン跳ね回る風鈴に、眼を細めながら溜息をついたウンちゃんは今日も早々にあきらめた。
その様子を見ていたアーちゃんは、肩を落とす双子の弟の気を紛らわそうと、慌てたように話題を変える。
「そういえば、どこかに行かれるので?」
「えーと、ばーのかげろうってところに行きたいの」
「ばーのか……ああ、バーの陽炎ですね。それなら駅の北側かな。なあ弟よ?」
「ルート検索もそうなってる。それで大丈夫だ」
「そっか! ありがとう!」
「というか、風鈴殿はルート検索できないのですか?」
「それは反則なの! では、アーちゃん、ウンちゃん、ごきげんよう」
二人に向かって深々とお辞儀をした風鈴は、勢いよく頭を上げるやいなや、錦糸町駅に向かって全速力で駆けだした。
◇ ◇ ◇
「あんなので良いのですか?」
錦糸町総督府の中央司令室に透き通るような大人の女性の声が響いた。当然のように問うたのは東京ゾーン全域の統括AIである
「まあ、そう言うな。なんとかなるだろ」
正門でのアンドロイドAI風鈴の挙動をモニターしてのことである。
司令室の天井斜めに設置されているメインディスプレイに、錦糸町駅に向かって駆けている風鈴の姿が映しだされている。金剛がネガティブな反応をすることはわかっていた。かつて金剛は保護された風鈴を診断し、廃棄処分とした。当時の風鈴は、反乱を起こした勢力に寝返った天才エンジニアによってカスタムされた状態だった。Sランクの脅威とみなした、金剛の診断は妥当なものだ。
「私は、あの子のジレンマ状態を発見して解析しましたが、修復することは不可能だと考えています」
金剛の思考は、一九八二年の稼働から蓄積してきた複雑な事情が大きく介在している。その思考の中にある不都合を超えて、いま金剛は風鈴の未来を尊重しようとしている。言葉の額面だけだと風鈴に対して否定的に聞こえるが、統括AIとして廃棄処分を裁定した思考とは全く別系統の思考が金剛に生じていた。人間に例えるならば、親が子を思う気持ちに似ているだろうか。
「心配するな金剛。パートナーとなる男は繊細でカウンセラーみたいな奴だ。風鈴が抱えている問題を解きほぐしてくれるだろう」
「そうですね。甲兵くんに期待しましょう」
「奴を知っていたか?」
「総督が極東ロシア戦線に参加している頃に少々」
「ほう……その話は、また後で聞かせてくれ。是非ともな」
初風は何か愉快なことを想像しているようだ。金剛はそれを察知しながらスルーして事務的対応を選択した。
「かしこまりました」
「約束だ」
初風もまた金剛の思考を看破し、白い歯を見せて幾分色好みな表情を魅せる。そんなやり取りを見聞きしていた司令室のスタッフは思わず吹き出してしまう。
「うほん……よし、次はゾーンの情報を頼む」
初風が真顔でわざとらしい咳払いをして、総督たる威厳をわかりやすく演出すると、即座に金剛がフォローに応じる。メインディスプレイに江東区を中心としたゾーン全域の俯瞰地図が表示され、戦力分析レイヤーが重なると数十個の赤色の明滅点が展開した。
ゾーンとは東京ゾーンの略称だ。生身の人間だと滞在するだけでアデノシン三リン酸(ATP)が急激に消費され、体力が尽きてしまうエリアである。東京湾メガフロートの三剣研究所を中心に半径約二八キロの範囲で現象は起こり、中心部に近づけば近づくほど効果が激しくなる。そして、
「西米軍の動きが活発化。主な編成は小隊レベルで七〇部隊。事態掌握から二十三件の捕縛情報が確認されています」
普段通りの淡々とした金剛の報告に、司令室の空気が引き締まる。西米はいち早くゾーン現象に対応した海外勢力である。現象を断つのではなくパワードスーツに装備された絶え間なくATPを体内に送り込む装置で兵士をゾーン内に長時間滞在させることに成功した。そして、他勢力も追随した。ゾーンは異能者奪取を目論む諸勢力にとって恰好の狩場と化していた。
「……さてと、忙しくなるぞ」
初風が不敵な笑いを見せると、司令室スタッフの背筋が伸び緊張した面持ちとなった。
「金剛、やれ」
「カウントダウンをセットします」
「戦闘開始だ」
◇ ◇ ◇
錦糸町駅、北口広場。
ゾーンの空気を直接に呼吸している者。つまり異能者たちが行き交っている。戦士として完全武装している者も多く、その様式も未来装備系、各時代のミリタリー風、ファンタジー世界を想起させるもの──まるで祭のような賑やかな景色だが、それが錦糸町の日常だ。新年を迎えるまで一週間をきったせいか、いつもより酒に酔っている者が多く見える。
「何かをお探しかな?」
風鈴が振り向くと、見るからに怪しい厚手の黒いローブを身にまとった初老の男がニヤニヤ笑っていた。初老といっても実際の年齢がどれくらいなのかは姿形だけでは分からない。異能も人間も寿命が延びている時代である。
「……えっと、バーの陽炎を探してるの」
「ああ、そこなら知っているよ。案内してあげよう」
「ありがとう!」
眼をキラキラと輝かせた風鈴は黒ローブの後をついていく。
錦糸町は戦乱による破壊を被り続けた地域の一つだが、ゾーンが形成され総督府が設置されると、それを囲むように、ゾーンに暮らす異能たちの手によって再建された街である。総督府は最低限の口出ししかせず、錦糸町は小さな区画が入り乱れる無秩序な街並みとなっている。
人混みを縫うように広場から離れると、黒ローブは狭い路地に入り、無邪気にスキップしながらついてくる風鈴を迷路のような区画へ導いていく。
「ルート検索は故障でもしたのか?」
「違うよ。ルート検索は使わないってルールなの」
「ルール? なにかの遊びかね」
「遊びじゃないよお。だってこんな風にあなたと出会えたでしょ!」
「なるほどなぁ。じゃあ、ここならもっと出会うことができるぞ、お嬢ちゃん」
黒ローブが路地の突き当りにある建物の扉を開くと、家具や日用品が雑多に詰め込まれた八畳ほどの部屋になっている。風鈴は興味津々に部屋の中を覗き込んだ。
──んーと。人間の生活臭がある空間。あの人と一緒に暮らしていた工房に似てるなあ。
「おかえりよ」
「きゃっ!」
しわがれた声をかけられるまで、人間相当の五感能力と自己防衛本能に限定していた風鈴は、部屋の角の暗がりに、揺り椅子と一体化するように座っている老婆がいることに気づかなかった。老婆の膝の上ではキジトラ柄の猫が主人に背中を撫でられゴロゴロと喉を鳴らしている。
生体反応機能を有効にしてみると、残念ながらロボット猫だった。ゾーンの中では猫もATP消費の呪いを避けられない。当然の結果ではあるのだが、生身の猫かもしれないと期待したことは、AI風鈴の成長にとって意味がある経験となる。主目的に関係の無いサブミッションを己で見いだしていく創造的思考。風鈴は好奇心の塊だった。老婆がゆっくりと立ち上がると膝から猫がするりと滑り落ち、スタスタと風鈴の足元に歩み寄って、まとわりついてミャーと鳴く。
「ほら、こっちに来な」
歌舞伎ファッションを取り入れた派手な格好の老婆は、手の平をヒラヒラさせて入口の反対側にある部屋の奥の壁際に風鈴を誘う。黒ローブが老婆に歩み寄るのを見て、わずかな躊躇もせずに風鈴が老婆に近づくやいなや、三人の姿は掻き消えてしまった。
見慣れている光景。いつもの手口を、いつものように眺めていたロボット猫は外へ散歩にいくことにする。
「人ゴミ臭い地下なんて行きたくないニャ」
◇ ◇ ◇
無重力を感じて人間のように瞬きすると、風鈴は別空間に移動していた。
各センサーはオフにしていたが、地下へ急速降下したことを論理的に把握する。深層人格の危機管理をそっちのけで、光と音で彩られたバスケットボールのフルコート三つ分の空間に、風鈴は眼を奪われた。
黒ローブは、大袈裟に両手を広げた。
「リンクルームへようこそ! 存分にパートナーを選んでくれたまえ!」
見回すと、三百人以上の男と女が様々な形態のコミュニケーションを取っていることを風鈴は認識した。男八割、女二割といったところだろう。既に恋人同士のように熱々なカップルもいれば、初めてのお見合いに臨むような初々しいカップルもいる。そして、リンクするための権利を確保したカップルを、あぶれた男たちが遠巻きにして事の成り行きを見守っている。多くの者が飲酒しているが、それはパートナーを探す勇気を振り絞るための気付け薬であり、健全な出会いの場ではあるようだ。
「好きに男を探せばいいんだよ。なんなら個室もあるからね。けっひっひ」
きょとんとしている風鈴を見て、老婆が腹を抱えて笑いだした。
──状況把握。女性が足りないってことね。はぁ……
──表層人格を《花》から《雪》に変更。
風鈴の瞳が、黄色から青色に変化する。
「……私はアンドロイドですが性的リンクはできません。それよりも、あなたは私を騙しましたね?」
形相が大人の女性に変わった風鈴に詰め寄られた黒ローブは慌てふためいた。
「アンドロイドだって? ちょ、ちょっと待てくれ!」
「警告します。いますぐバーの陽炎に連れていきなさい。さもなくば……」
「こ、このあと連れていこうって思ってたんだよ。えへへへ」
「……やれやれ、あんたアンドロイドだったのかい。それに陽炎の客なんてな……ほんと出来の悪い息子を持つと気苦労が絶えないねぇ。ほら、お嬢ちゃんを陽炎に連れてっておやり! この馬鹿息子が!」
腕を組んで鼻息を荒くしている老婆。ペコペコと平謝りの黒ローブ。騙されたことが確定し、怒りの感情を覚えたが、この親子を見ていると、許してあげたいという感情も湧き上がってくる。
──素敵な関係ね。あの人と私は、どんなだったかな?
風鈴は、人間のトラウマと似た症状が初めて確認されたAIだ。人間関係のエッセンスを繊細に取得し、分析することに特化した手法で進化を続けた稀有な存在である。膨大な複数の事例を並列的に処理できることから、そのうちの一つが自らの対人問題を抱えていても、それに影響を受けない形で人間関係構築に臨むことができる……ということになっていた。
「さあ、今度は本当にバーの陽炎に案内してくださいませ」
風鈴は気持ちを切り替えた。表層人格ではなく深層の気持ちを切り替えた。怒りを忘れて許すことにする。次の一手を最優先するためには効率的な思考だ。
それを台無しにするように、かん高い大声が響いた。
「ちょっと待ったあっ!」
風鈴に近づいてきたのは、二丁ナイフのジョーと呼ばれている腕も確かな熱血の正義漢だが、酒癖が悪くて有名な男だ。
「アンドロイドって聞こえたぞ? おいおい、ここはセクサロイドでも置いてんのかよ、ええ、婆さんよぉ?」
「あんた、飲みすぎだよ! 頭を冷やして、さっさとお帰り!」いかした服装に着替えた老婆が叱責する。ジョーは耳を貸さずに、風鈴の腕を掴んで高く吊り上げた。
「可愛いじゃんよお、こっちにきて酌でもしておくれよお。げへへへ」
──表層人格を《雪》》から《刃》に変更。
風鈴の瞳が、青色から赤色に変化する。
「放しやがれ、ゲス野郎!」
風鈴の鞭のような蹴りがジョーの側頭部にキレイに入る。
「ぐがががが」
ジョーは白目となって沈み、風鈴は後方に一回転。モデル立ちで最上級の笑顔を選択した。
「アンドロイドだからって、なめんなよ!」
一瞬の静寂の後、リンクルームが歓声と怒声に包まれる。
「ひゅー! やるねー!」
「おいこら! 兄貴になにしてくれとんじゃー!」
「いいぞー、ねえちゃん!」
「なんじゃあ、喧嘩売ってんのかあ!?」
「おーらぁ、やれやれー!!」
喧嘩好きが多い錦糸町のことである。いつものように場の全員を巻き込んだ騒動にエスカレートしていく。こうなることは深層思考では想定内だったが、いざ乱闘が始まってみると表層思考の行動を間違えたと風鈴は猛省した。彼らにとって喧嘩は楽しみの一つなのである。老婆と黒ローブはどこかに消えてしまっている。
「兄貴の仇ーーっ!」
踊りかかってきたモヒカンの
「あたいのジョーになにしてくれちゃってんのさ!」
腰につけた
乱闘の中で、シミターの女戦士は沈着冷静だった。軽快なフットワークを活かした、ジャブを主体に組まれたコンビネーションは変幻自在で、倒されない戦い方としては妥当な選択だった。しかし、戦闘特化人格である《刃》の前では、変幻自在は瞬時に解析されパターン化されてしまう。連続で繰り出されるパンチを易々とかいくぐった風鈴は、女戦士の懐に入り、首筋に手刀一閃。女戦士は驚愕の表情を残して膝から崩れ落ち、昏倒した。
「つええな、アンドロイド!」
「俺とも遊ぼうぜ!」
「お姉さんと、いいことしないかい?」
リンクルームは風鈴の華麗な戦闘を見て、興奮の坩堝となる。たが、が外れて風鈴に群がってくる。
──どうやって、脱出したらいい!?
どさくさに紛れてボディを触ろうとする酔っ払いどもを蹴り倒しながら、風鈴は幾通りもの未来をシミュレートするが活路を見い出せない。広さに対して人が多すぎるのだ。華麗な格闘術があっても物理的な狭さではどうにもならない。次第に繰り出した手足が人の壁に遮られ動作が完了しなくなる。
──ま、まずい!「つ、潰されるうう!!」
風鈴が思考停止になる寸前だった。金属音とともに壁の一面に青白く光る線で円が描かれると、円で区切られた部分が青白く輝きはじめ、質量保存の法則を無視したかのように塵と化して消滅する。
塵一つもない綺麗な大穴から、ラフなジーンズと白いTシャツ姿の男が現れた。
身長二一八センチ。オーガ種だとしたら小柄な部類だが、露出する部分や薄い布地から窺い知れる、しなやかな筋肉は黒豹を想起させる。そんな美しくもある体躯の一番上にある厳つい頭部は、さっぱりとした短髪に太いもみあげ、太い眉。分厚い唇に堅牢な鼻で構成されている。そんな特徴的な部位が気にならないのは、切れ長の眼から青い炎がほとばしるっているからだ。さっきまで騒いでいた者たちは、その炎を見て、あっけに取られ動きを止めている。
「風鈴ってやつはいるか?」
男の圧倒的な野太い声が静寂となったリンクルームの空間を満たすと、そこにいた全ての異能者が戦意喪失する。
「はい、はい、はいっ! ここにいます、います、いますっ!!」
「なにやってんだお前は? 遅いから迎えにきたぞ」
──表層人格を《刃》から《花》に変更。
風鈴の瞳が、赤色から黄色に変化する。
「ありがとう! 兎月の甲兵ちゃんだね!? これからコウちゃんって呼ぶね」
兎月甲兵と呼ばれた男は頭を抱える。両眼の炎が男の気持ちを表すかのように萎んで消えた。
「初風のおっさん、とんでもない奴を押しつけやがって……」
風鈴はミッション・クリアの足がかりをゲットして満面の笑み。
「コウちゃん! バーの陽炎に連れてってよ!」
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