第3話 オークション ②

「王都警備隊だ! 動くな!」


 その号令に、ほとんどの貴族たちは抵抗をあきらめたが、なかには尊大に押しとおろうとする者たちもいた。


「警備隊だと? いいから退け! 私を誰だと思っている――」

「よく存じていますよ、クロヴィン卿、それにご友人のカーニシュ卿も。人身売買は犯罪です」

「警備隊にライダーを逮捕する権限は――」

 クロヴィン卿と呼ばれた壮年の男は、「ない」と言いかけて絶句した。罪状のせいではない。隣に、臙脂えんじ色の長衣ルクヴァを着た王の近衛兵たちがいるのを見たせいだった。


 潜入捜査官、モーガンもまたひそかに絶句していた。

(警備隊長に……隣は近衛兵長じゃないの! この短時間に、どうやって上層部まで動かしたっていうの?)


 クロヴィン卿が厚かましくも言った通り、警備隊には貴族を強制連行する権限がない。しかし王の近衛兵となれば話は別だった。

呼び手コーラーどもごときが私に触れるな! 私はライダーだぞ! ええい、くそっ、なぜ〈ばい〉が使えないんだ!?」


 警備隊長は淡々と、しかしどこか嬉しそうに理由を告げた。

「あなたもライダーならお分かりでは? この場にいる黒竜の支配権を、おひとりですべて奪うことも可能な方がいる。その比類なきライダーこそ、われらの王だということが」


 『比類なき乗り手ライダー』にして竜たちの王、デイミオンは、貴族たちのみっともない逮捕劇など見ていなかった。近隣に配置されていた四柱の黒竜の支配権を一時的に得ていたが、その手綱を取ることにもまったく苦労していなかった。青い瞳が古竜の目のような黄金色に変わったことだけが、唯一の外見上の変化といえた。

 デイミオンは妻を横抱きにしてガラガラになった客席を歩きまわり、めぼしい料理をつまませていた。

 リアナは夫に抱かれたまま、片方の腕を彼の肩にまわし、もう片方の腕をのばして苺やら桃やらを取って口に詰めこんでいた。人前でイチャイチャするのは貴族の行儀作法以前の問題だが、もちろん王と王配のやることだから、とがめる者はその場に一人もいなかった。黒竜の王デイミオンは、炎を操る比類なきライダーの能力とその美貌と、妻を溺愛していることで内外によく知られている。


 仮面を取ったもう一人の若者が、にこやかに二人に寄っていってあいさつをした。

「リアナ陛下さま」 

 連れていかれる貴族たちの阿鼻叫喚の声を背景にしても、目の前で二人だけの世界に突入しかかっている国王夫妻を目前にしても、まるで朝起きたばかりのように爽快な顔をした青年だ。デイミオンのようなはっきりとした顔だちの美男子、というわけではないが、亜麻色の髪にスミレ色の瞳のとりあわせが非凡な印象を与えていた。


「ナイル、久しぶり! 捜査に協力してくれて、どうもありがとう」

 リアナは夫の腕から下りてきて、従兄いとこでもある青年を抱擁した。


「いいえ。楽しい余興になりましたよ」

王都こっちに来てたのね」

「ええ。タマリスは相変わらずで。田舎者には目が眩しいですね」

 ナイルことジェンナイル卿は、オンブリア北部の大領主で五公の一人。リアナにとっては、ほとんど唯一残った血縁者でもある。

繁殖期シーズンはこっちで過ごすの?」

「残念ながら、領地の仕事がまだ山積していまして。これから北部領ノーザンに戻るのです。後半の宴席には顔を出せると思うのですが」

「そう、残念ね」

「妻がこちらに残るので、よろしくお願いしますね」

 二人は仲良く世間話などを交わした。



「リアナって……まさか本当にリアナ陛下なの?」

 モーガンは彼らの様子を遠目に、ぼうぜんと呟いた。すでに彼女を買った貴族の身柄を近衛兵に引き渡してきたあとで、会場はだいぶん風通しがよくなっていた。

「アエディクラとの戦争を、開始の直前で止めた賢王リアナ? ……ガエネイス王の飛行船に単騎で乗りこんで、みずから停戦交渉を行ったことは、〈飛行船の二王会談〉として子どもの教科書にも載っている……和平の条件として、自分がアエディクラに出向した、あの?……」

「上官殿はリアナ王びいきでしたね」

 同僚のザシャが、くっくっと笑った。露出の多い服装のモーガンに、自分のコートをかけてやっている。警備隊の、丈が短い茶色の長衣ルクヴァを身につけた青年だ。

「当人が目の前にいるのに気づかないなんて、ファン失格じゃないですか?」


 モーガンはザシャを振りかえって、声を強めた。

「潜入捜査だったのよ! 売りとばされようとする女性たちのなかに紛れて、臭いチーズをかじっている女がリアナ陛下だなんて、思うわけないでしょ!」

「モーガン」

 大げさに身振り手振りするモーガンに、同僚が声をかける。モーガンは構わず続けた。

「それに、リアナ陛下といえばスミレ色の瞳、スミレ色の瞳といえばリアナ陛下なのよ。北部のゼンデン家の特徴で……ほら、ナイル卿みたいな虹彩の色よ。あれがなきゃ、リアナ陛下だなんて思うわけないわ!」

「竜の力を使うときは、スミレ色に戻るわよ」

「モーガン、後ろ後ろ」

 ん? いま、なにか変な声が混じったような。だがモーガンはさらに言いつのった。

「本当に今夜は最悪。こんなヘソ出しの格好だし。リアナ陛下になんて思われたか――」

 愚痴りながらふり返った銀髪のモーガンは、今度こそ言葉を失った。「あ、わ」


「有能だと思ったわよ」

 いつの間に近づいてきたのか、上王リアナはかじり終わった林檎の芯をぽいと背後に放りながら言った。


「あ、え、へい……?」

 モーガンは、もはや驚きすぎて意味をなさない声をもらした。(ちなみに、最後の声は『陛下』と言いかけていた)

「わたしがなんて思ったかの話でしょ? 別に、ふつうに有能だって言ったの。女の子たちがパニックにならないように抑えてたし、組織の内通者を見つけてもぐりこんだのもあなたなんでしょ? もう一人の捜査員は潜入に失敗して今は病院のベッドの上よ。言い忘れたけど」

「――なんてこと」

 モーガンは驚きを忘れ、息をもらした。それで、潜入しているはずのもう一人と連絡が取れなかった理由がわかった。危険な任務ということはわかっていたけれど――。


「リアナさま!」

 ザシャが明るい声をあげたので、モーガンの意識は引き戻された。警備隊の部下、ザシャはまだ成人したての若さだが、明敏で有能だ。いきなり王配に話しかけるような無作法をする青年ではないので、モーガンはあわてて小声で制した。

「ザシャ! こちらをどなただと思ってるの?! ……王族には、話しかけられるまでこちらから口を開いてはいけないものよ」


 だが青年はにこにこして、悪びれた様子もない。なにより驚いたのは、リアナがぱっと顔を輝かせたことだった。


「もしかして、あなた、ザシャなの?」

「はい、陛下」


「リアナでいいわよ! ああ、本当にザシャ!? 大きくなったわ!」

 上王は嬉しそうに青年を抱擁してから、よく見えるように顔を手で挟んだ。「ますますロッタに似てきたわね」

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