19 桐生院知花の憂鬱 -5-

「…元気ないね。」


 テーブルに置いた電子基盤に視線を落としてると、千里に似た声が降って来た。

 …ほんと…このまま聞いてると千里に言われたみたい。

 千里だとしたら『元気ねーな』だろうけど。


「…あたしですか?」


「うん。」


 ゆっくりと顔を上げて、目の前の千秋さんを見る。


 ここ、おじい様のお屋敷のリビングは、とても陽当たりが良くて。

 千秋さんの膝では咲華が、あたしの膝では華音が眠ってしまってる。

 こんなポカポカ陽気の日は、窓から差し込む柔らかい温もりに、あたしでさえ眠くなってしまう。



「そんな事ないですよ。いつもと変わりません。」


 首を傾げて笑顔を見せると、千秋さんは丸い眼鏡の奥の瞳を少し和らげた。


 今朝…カンナさんに言われた事が引っ掛かって。

 あたしは、あの後のスタジオリハでミスを連発した。

 切り替えたつもりなのに…全然ダメで。

 …あんな言葉に惑わされて、自分の仕事が出来ないなんて…って、落ち込んだ。


 するどい聖子から、『あの女に何か言われたの?』って聞かれたけど…

 あたしは首を横に振るしか出来なかった。


 …あたしの心の問題だ。



「もしかしてさ…」


 千秋さんは咲華の前髪を指でかきわけて。


「カンナが何か余計な事してる?」


 あたしの目を見て、言った。


「……」


 つい…すぐには反応出来なくて。

 何度か瞬きをした後。


「い…いいえ…」


 そう言ったものの…あたしは酷く動揺してしまってた。

 …その名前が出ただけで。



「……」


「……」


 うつむいてしまうと、沈黙が訪れた。

 顔を上げて別な話題を…と思うのに、まるで何かに縛られてしまったかのように…

 体が動かない。



「カンナは…小さな頃から一人ぼっちでね。」


 突然始まったその話に、あたしは一瞬肩を揺らせた。

 あまり…聞きたくない気もしたけど、華音の頭を撫でながら…聞く事にした。


「うちも両親が忙しかったから、その点では似てたから…うちの末っ子みたいな形で神家に入り浸ってたんだ。」


「……」


「そうは言っても、うちは兄貴達と歳が離れてる。カンナが付いて歩くのは、もっぱら俺か千里。ま、俺は早くから論文や研究に没頭してたから…ガキのお守は出来ないって無視してたけど。」


 …あたしが見た事もない、幼い頃の千里を知る人。


「お嬢様で、大人からはチヤホヤされっぱなしだったし…ま、千里に依存してしまうのは、幼少期の寂しさを埋めてくれたのが千里だったからってのがあるからだと思う。」


 …だから何?と思ってしまうあたしがいて。

 千秋さんの顔を見れない。

 だけど、このまま聞いてると千里が話してるようにも思えて…今はそれが不快でしかない…。



「…知花ちゃんは、歌も歌えて料理上手で…こんなにすごい事が出来るのに、どうしていつも自信のなさそうな顔をしてるんだい?」


 ふいに、千秋さんがカンナさんの話題から、あたしに話を振った。


「…え?」


 顔を上げると、千秋さんの手は電子基盤をトントンとしてて。


「俺からしてみれば、誰よりも魅力的な女の子だと思うけど。」


「……」


 これは…

 励ましてくれてる…の?

 あたしが落ち込んでるから…?


 魅力的な女の子だなんて…言われた事ない。

 こんな時なのに、頬が赤くなるのが分かった。



「あ…ありがとうございます…」


 俯きながらお礼を言うと。


「…知花ちゃんが元気でいないと、子供達も笑顔になれないよ。」


「…そう…ですね…」


「うん。千里だってそうだし…」


「……」


 黒い塊に占領されてた心が、浄化されていくような気持ちになった。

 少しだけ顔を上げると、千秋さんは頬杖をついてあたしを見てて。


「…俺も、知花ちゃんには笑顔でいて欲しい。」


 千秋さんの優しい声が、心に沁み込むようだった。

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