17 桐生院知花の憂鬱 -4-

「知花さん、こんにちは。」


 四月中旬。

 ロビーにあるベンチに座ってお茶を飲んでると、ふいにカンナさんが隣に座った。


 カンナさんはF'sのMVに出演して以降…他のバンドのMVにも出演したり、それがキッカケでラジオ番組を持ったり…

 毎日のように事務所に来て、そのスタイルと美貌で人気者になっている。



 …毎日来なくていいはずなのに、どうして来るのかな…。

 それを考え始めると、もしかして千里に会うために…?って思えてしまって、心のどこかに黒い塊のような物が生まれる。

 実際、カンナさんが来てからというもの…

 あたしの中には得体の知れない嫌な気持ちが常にあって、ずっとスッキリしない。


 …カンナさんのせいじゃないよね。

 あたしの…器が小さいせい。



「…ねえ、ちょっと気になってたんだけど…」


 カンナさんはあたしとの距離を詰めて。


「知花さん、千秋ちゃんと何かあるの?」


 小声で言った。


「え?」


 思いがけない事を聞かれたあたしは、丸い目をしてカンナさんを見る。

 思ったより近くにあった美貌に目を奪われてると…


「だって…最近よく二人でいるじゃない?」


「ああ…あれは…」


 現在、おじい様のお屋敷に滞在されている千秋さん。

 子供達も千秋さんになついているせいか…

 あたしの仕事がない日は、おじい様の家に行って、一緒に過ごす事も増えた。


 だからつい…千秋さんとは、事務所で会っても改造や分解の事で話が弾んでしまう。

 電子基盤に視線を落としたまま声を聞いてると、千里と話してるみたいで…ちょっとワクワクしてしまう。

 …っていうのは、あたしだけの秘密なんだけど。



「共通の趣味の話というか…」


「千秋ちゃんと知花さんに共通の趣味?IQ200の千秋ちゃんと、知花さんが?」


「…あはは…」



 意外に思われるだろうなとは思ってたけど、カンナさんは「天才相手に失礼でしょ」と言わんばかりのしかめっ面。

 うーん…

 悪気はないのかもしれないけど…

 この人にかかると、あたしは…すごく『ダメ女』って思わされてしまって…苦手だ。


 …ううん。

 これ、勝手な被害妄想だよね…あたし。



「まあ…千秋ちゃんはおいといて…」


 …ん?


 カンナさんはあたしとの距離を少し開けて、長い髪の毛を後ろに追いやりながら…その高い位置からあたしを見下ろした。

 ああ…やっぱり綺麗な人。

 目を合わせてるだけで、射抜かれてしまいそうだ…。



「同じバンドに、仲良しの人がいるじゃない?」


「え?」


「ほら…すごく仲良しな人。」


 すごく仲がいいと言われると、聖子がすぐに浮かぶけど。

 カンナさんの口調が、男性陣の事を言ってる気がして。


「…メンバーとは、みんな仲がいいけど…」


 なるべく、普通に…いつもの口調で答えた。

 …何だろう。

 何だか嫌な予感がする。



「……」


 カンナさんはさりげなく周りを見渡して、もう一度あたしと距離を詰めた。

 そして、口元に手を添えて…あたしの耳元に近付くと。


「アメリカで、一緒に暮らしてた人がいるんでしょ?」


 耳の奥を震わせるような声で…そう言った。


「……誰が?」


 光史こうしと暮らしてた事は…ほんの数人しか知らない。

 なのに…


「ちーちゃんから聞いたの。昔の事とは言え、結構気にしてるみたい。」


「……」


 頭の中がヒンヤリとして、お茶の入ってる紙コップを持ってる手にも…力が入ってない気がした。


 千里…どうして?

 どうしてそんな事、カンナさんに話すの…?


 あたしが言葉を失くしてると、腕が触れる距離にいるカンナさんはいたずらな目つきで。


「…知花さんて、ちーちゃんの事、もっと分かってるのかと思ったけど…そうでもないのね。」


 赤い唇を、ニッと開いた。


「…どういう…」


 上手く言葉が出て来ない。


 千里を分かってない…?

 そりゃあ…幼馴染のカンナさんは、千里について…あたしよりも知ってる事があるかもしれない。


 だけど、あたしは…千里の妻。

 出逢ってから今までの間で、色々な事を乗り越えて来た。

 一度離れた事も、今となっては良かった事だと思える。


 なのに…

 どうしてカンナさんに、そんな事を言われなきゃいけないの…?



「……」


 口を開きかけたり、唇を噛んだり。

 何か言いたいけど言い出せないあたしの表情を見たカンナさんは、ますます妖艶に笑うと。


「ごめんね?いじわるしてるつもりはないんだけど…どうしても、あなたがちーちゃんの奥さんだ。って認められなくて。」


 あたしの肩に手を回して、抱き寄せた。


「っ…」


「だって…ちーちゃん、かわいそうなんだもの…」


「…かわいそう?」


「知ってるでしょ?本来、ちーちゃんはヤキモチやきよ?一緒に暮らしてた男が同じバンドにいて、目に入る場所で一緒にいる所なんて見たら……ね?」


「…千里がカンナさんにそう言ったの?」


 声が…震える。

 あたしはカンナさんを見る事なく、その声だけを拾った。

 本当はこの場から逃げ出したかったけど…それを悔しいと思う自分もいて、足が動かなかった。



「ちーちゃんは優しいからハッキリ言わないわ。だけど…あたしの問いかけには無言になったもの。」


「……」


「無言って事は、否定じゃないわよね。」


「……」


「婿養子に入ったのも、知花さんのおうちなら…むやみに男が出入りしないから…そこまで考えての事じゃないかしらね。」


 心臓が…イヤな音を立てる。

 もう…ここにいたくない。

 これ以上、カンナさんの言葉を聞きたくない。


 意を決して立ち上がろうとするも、カンナさんはあたしの肩をギュッと抱き寄せたまま…放さない。



「…ついでだから、打ち明けちゃおっかな。」


 もう…何も言わないで。

 そう思って顔を背ける。

 そんなあたしの反応を楽しむかのように、カンナさんはクスクスと笑いながら…あたしの耳元で言った。



「あたしの初めての相手、ちーちゃんなの。」


「……」


「16の時、おじい様のお屋敷で。スリル満点だったわ。」


「……」


 …16…


「7月の最初だったわ。ちーちゃんの部屋で…ちーちゃんはあたしを朝まで寝させなかった。」


「……」


 7月…それが本当だとしたら、あたしとはもう…出逢ってた…

 …目まいがしそう。

 この胸の奥で渦巻いてるのは…まぎれもなく嫉妬。

 まだ小さかった黒い塊が、すごい勢いで大きくなっていく。


「嘘だと思うなら聞いてみれば?まあ…復縁出来た事だし、本当の事なんて言わな」


「知花ー、スタジオ入るよー。」


 カンナさんの言葉の途中、エスカレーターの上から顔を覗かせた聖子が、大声であたしを呼んだ。

 まるで呪いにかかってしまってたかのように動かなかった体が、一気に自由になる。


「あ…あたし、行かなきゃ。」


 紙コップを持って立ち上がる。


「…じゃあね~。」


 カンナさんは膝に頬杖をついて、笑顔。



 赤い唇がニッと引き上げられて。

 それは…すごく美しいのに。


 同時に…すごく怖い…とも思った。

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