第23話 エルメ公爵

 ある晴れた日の事。

 ヴィラローザは、父の元を訪れた。


「よく来たね、ヴィラ」

「お久しぶりです、お父様」


 にこにこと愛想良く笑う父は、相変わらず年齢不詳の若さだが、今日に限っては底知れぬ圧も発している。


「聞いたよ。……デザメール家のご老体が、捕まって……死んだそうだね」

「はい」

「狂躁獣を、生み出して飼育して――それが人を食う様を見世物にして楽しむなんて……いかれた趣味だね、あの家は。あの化け物が捕らえられたおかげで、水面下で広がっていたおぞましい見世物も消えて……表向きは、綺麗な王都になったんじゃないかな」

「そうですね」

「……しかし、家が潰れなかったのは残念だ。……自分以外は、獣の餌程度にしか思っていないご老人だと思っていたのに、息子と孫は関係無いと庇ったそうだからね」


 孫は、何も知らずに実行しただけ。

 ただ、こしゃくな小娘を驚かせ、やり込めてやろうと思っただけ。


 彼は一貫してそう主張し、刑が決まる前に舌を噛み切って自害した。

 結果、デザメール家はいまだ存続している。


「いらぬ情けなどかけず、一思いに消してやればよかったのに」


 父が笑みを浮かべたまま、言う。

 薄ら寒い笑みだ。

 こういう時、父は大体母のことを考えている。


 ――ヴィラローザの母の……無残な最期の姿を。


「それは、騎士の仕事ではありません」

「孫も早々に斬ってしまえばよかったと言っているんだ。……言い訳なら、後でどうとでもなる」


 なにせ、こちらには敵討ちを主張できる、正当な理由があるのだから。

 ――それなのに、どうして斬らなかったと責めているようだ。


「僕ならば、斬ったよ」

「……はい。そうでしょうね」


 父ならば、きっとデザメールの血筋を斬っただろう。

 直接的ではないにしろ、とらえた女騎士の死に様を、見世物として喜んでいたのだから、同罪だと。


「でも、お前は斬れなかった」

「彼を生かしておかなければ、もっと悪い物を引っ張り出せませんでしたから」

「そうかい。それなら、仕方が無いね」


 嘘だ。

 仕方が無いなんて思ってもいない。

 父は今、デザメール家をどうやって潰してやろうか……色々と考えているはずだ。


「……お前が、男だったらよかったのにね」


 ヴィラローザの、物言いたげな視線など無視して、父は唐突に呟いた。

 これもまた、何時もの事なのでヴィラローザは頷く。


「そうですね。……そうすれば、母様は出て行ったりしませんでした」


 ヴィラローザが嫌って止まない、老木共。


 女しか産めなかったと、彼らは母を責め立てた。母が、重いお産のせいで、子供が産めなくなった事も、彼らに口実を与える事になった。


 女しか産めなかった、欠陥品。見た目も、中身も、役に立たない“女”。


 そうそうに身を引き、新しい妻を迎え入れさせるべきだ。――色々な形で、忠告を装った嫌がらせは続いた。


 父はそれを母の耳に入れまいと必死だった。けれど、母はある日突然屋敷を出て行ったのだ。ヴィラローザと父に、愛しているという手紙を残し。


 父は、半狂乱で母の行方を探し回った。

 騎士団に復帰しようとしているのかと思い、匿っていそうな心当たりを手当たり次第に尋ねたり、王都を離れようとしているのかと門の出入りを確認したり。


 けれど、ようやく母が帰ってきたのは、狂躁獣が王都で暴れ回った後だった。


 ぼろぼろで――子供が見るものではないと、大人達が引き留めたほど、ひどい状態で、母は帰ってきた。

 父は母の亡骸を抱いて、ずっと肩をふるわせていた。

 ヴィラローザが父の涙を見たのは、その一度だけ。

 表向きの理由を作り、母の死を明らかにしたときは、もう涙一つ見せなかった。


 そして、ヴィラローザが男だったらよかったのにと、口にするようになった。


 生まれてきたお前が男だったのなら、自分は妻を失わなくてもすんだのに。


 そう、責められているような気分だった。

 騎士になると言った時も、父は「そうか」と頷きはしたけれど、反対の意も賛成の意も示さなかった。

 ただ、ふと思いついたように言われた言葉がある。


『そうか、好きにするといい。ただ……あそこは、女の身では、生きづらい場所だと思うよ。貴族の娘なんて、特に。……お前が、男だったらよかったのにね』


 女でも出来る。

 それを示したかった。

 ――それは、父に覚えた反発だったのかもしれない。

 

 けれど、今日は不思議と腹が立たなかった。罪悪感を、覚えなかった。歯がゆい気持ちに駆られなかった。


 投げつけられた言葉を受け止め、すとんと胸の中に落とす。

 そうすると、答えがするりと口から滑り落ちた。


「男であればと、お父様はおっしゃいますが……――私は、“私”でよかったと思います」

「……へえ?」


 意外な反応だという風に、父が片眉をはねさせた。


「それは、彼が関係しているのかな?」

「彼……?」

「とぼける必要は無い。……エルメ家のお前に求婚している、物好きがいるそうじゃないか。お前も、まんざらではない雰囲気だときいているけれど?」

「……っ」


 誰の事を言われているのか思い至り、ヴィラローザはさっと頬を朱に染めた。

 父は、その様子を見てやれやれと肩をすくめる。


「お前にも、そろそろ婚約者が必要だと思っていたから、丁度いい。……お前がいいなら、好きにするといいさ」

「……はい」


 頷けば、父はもう出て行ってもいいというように片手を振った。


「では、失礼します」

「あぁ……。――本当に、お前が男だったらよかったのにね」


 ついでにように吐き出された一言。

 何気なく振り返ったヴィラローザは、ぎょっとした。

 作り笑いが常の父が、力なく笑っていたのだ。むかし、母に叱られた時に浮かべた笑みによく似ている……というか、そのままだ。


 自分が目にした物が信じられなくて、ヴィラローザは数回瞬きを繰り返したが、父はそのまま背を向けてしまった。


「ヴィラローザ。お前は、剣の代わりに“彼”を手に入れるのかい?」


 仕方なしに出て行こうとしたヴィラローザは、扉を開けて外に出た途端に投げつけられた疑問に、一瞬動きを止めた。心の底にあった迷いを言い当てられた気がしたのだ。


 “大切なもの”が出来たから、剣を手放した母のように――。


 何か言葉を返す間もなく、扉が閉まる。

 ヴィラローザの心をざわつかせておきながら、父は一切関心がないようで一瞥もしなかった。

 ――ぴたりと部屋の扉が閉まる、その時。父が何が言った気がしたが――閉ざされた扉で、何も聞こえなかった。


「僕が剣と引き換えに、彼女を手に入れたように――……娘もまた、しかり……か。あぁ、本当に男だったらよかったな。そうしたら、お嫁に出すなんて業腹な経験をせずにすむのに」


 机の上に立てかけられた小さな肖像画を、彼は指先で愛しげになぞった。


「父親なんて、損ばかりだ。そう思わないかい、アミティ? ……なんて、こんなこと言ったら、また君に叱られてしまうかな……」


 ――エルメ公爵として生きている男の本音を聞いたものは、誰もいない。

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