第18話 両端の感情

(困りました……)


 ヴィラローザは、困っていた。自分にすがりつき、小さな子供のようわんわんと泣き続けるステラが原因だ。


 あの噂――ヴィラローザ・デ・エルメはもう騎士を続けられないという噂が広まっているせいで、それにステラが大いに影響を受けた事は明らかだ。


 だが、ヴィラローザ自身はステラに何も言っていない。


 もう騎士を続けられないなどと、一言も口にしていないのだ。だから、大丈夫だと楽観視していたが、ステラという友人は、思っていたよりもずっと自分に友情を感じていてくれたらしい――同年代の子供からは逃げられ続けたヴィラローザは、騎士になって得ることが出来た友情に、くすぐったいやら照れくさいやらな気持ちになった。


 しかし、自分に下されたのはあくまで極秘任務。

 ステラがどれだけ泣いていても、全てが終わるまでは何も明かせない。


 ヴィラローザは、申し訳なさを感じて、極力優しくステラの肩に手を置く。


「……私は大丈夫ですよ、ステラ。そんなに泣かないで」

「ヴィラ……、だって……あんた……! そんな、別人みたいに大人しくなっちゃって……!」


 罪悪感と友情が入り交じるヴィラローザの態度は、傍目から意気消沈して大人しくみえるようだ。


 それは知らなかったと、自分の事を他人事のように受け止めるヴィラローザだったが、そのどこか上の空といった様子が、余計にステラの不安を煽ってしまったらしい。


「治るよ! ヴィラの足は、絶対に治るから……!! また、一緒に素振りしようね!」


 わっと抱きついてきたステラ。今度は、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。ヴィラローザは、いかんともしがたい状況下で「はい」と答える事だけで精一杯だった。


 ――しかし、ステラのように心優しい人間だけではない。

 一歩部屋の外に出れば、嫌な視線が付きまとう。

 ステラと共に、食堂に向かう最中、あちこちから視線が突き刺さる。


「ステラ、先に行って席を取っておいてもらえますか?」

「……え……? でも……」


 この視線の数々に、ステラを付き合わせるわけにはいかない。そう思って、頼み事を装い遠ざけようとする。

 ステラは一瞬戸惑うような表情を浮かべた。

 怪我人を一人にするべきではない。良識のあるステラが、そう考えていることは明白だった。

 人の良い友人に、ヴィラローザはだめ押しをする。


「私の移動に歩調を合わせていると、席が無くなってしまうかもしれないでしょう? 先に向かって、確保をお願いします。……ゆっくり座りたいので」


 視線を、なるべく避けられるような席を頼むという言外の注文。

 周囲の状況とヴィラローザの願いを察したステラは、逡巡の後に頷いてくれた。


「わかった。……席確保したら、すぐにむかえに来るからね!」


 妹がいたというステラは、姉気質だ。やはり、どれほど理由を付けようと、危なっかしく見える怪我人を、一人放置はできないらしい。


 実際は怪我人の真似事をしているだけなので、ヴィラローザは「来なくていいですから」と一声かけた。

 それをステラは、ヴィラローザの悪態だと思ったらしい。


「いつものヴィラだ!」


 嬉しそうに笑って、駆けていく。

 あの様子は、誰かしらに席の確保を頼んだら、すぐに戻ってきそうだ。


 それでは、遠ざけた意味が無い。


(くだらない芝居に、何も明かせず付き合わせているんです。……嫌な気分にまで道連れにするつもりはありません)


 向けられる視線の中に、ことさら強い、嘲りの視線がある。


 ヴィラローザ・デ・エルメは、すでに終わった騎士。そう見なした人間が、ここぞとばかりに下卑た笑みを浮かべて近付いてくるのだ。


「おや、騎士では無くなったエルメ嬢が、なぜいまだに騎士団内を歩いていられるんだい」


 今日も数人の取り巻きを引き連れたデザメールは、その筆頭であった。


「……はい? 私は、いまだ騎士ですが、デザメール卿」

「失礼、そうだった。手続きがまだすんでいないようだからね、レディ」


 揶揄するような呼び方に、ぴくりとヴィラローザの片眉が跳ねる。

 ステラを遠ざけた原因は、にやけた顔で悪びれなく近付いてきた。


「急ぎますので、失礼します」


 実際は、数日経ってほぼ問題が無い足の怪我だが、任務のためにあたかも重傷であるかのように装っている身だ。歩き方にも、注意を払わなくてはならない。


 すると、自然とヴィラローザの動作は常より鈍くなる。今回の任務では、それが功を奏した。――デザメールの口元に、はっきりと嘲笑が刻まれるのを、ヴィラローザは視界の端でとらえた。


(相変わらず、小さい男ですね)


 首を取るにも値しない小物。

 それが、わざわざ国の決まりに背いてまで、狂躁病を作り出すだろうか。

 だとすれば、一体それは何が目的で?

 考えるが、今のデザメールからは圧倒的な優位に立ったという満足感しか見てとれない。


 背中を向けて歩き出すヴィラローザの背中に、上にいると信じて疑わない者から、優越に満ちた声がかけられた。


「エルメ嬢、行く当てが無いならば、私が世話をしてあげてもかまわないよ」

「はぁ?」

「傷物になったその身では、エルメの家でも扱いにくいだろうからな。――なんなら君に、新しい仕事を世話してやろうと言っているんだ」


 強引に腕を掴まれた。


 怪我人の演技をする上では、踏ん張ったり振り払ったりという抵抗は出来ない。ヴィラローザは、仕方なくそのまま流れに任せた。

 顎に、騎士とは思えないほど滑らかで傷一つ無く――爪の先まで手入れされた指がかけられた。


「手を付けられた娘など、どこにも行く当てが無いだろう?」


 その指も、耳元に拭きかけられる生ぬるい息も、粘つくような声も、腰にまわされた腕も、布越しに伝わってくる相手の体温すらも――何もかもが、不愉快だった。

 

「離して下さい」

「振りほどけばいい。出来るなら、だが」


 どっと笑い声が上がる。


「こうなると、本当にただの女ですね」

「可愛いものです」


 取り巻き達が耳障りな声を上げる。

 当然、周囲で様子をうかがっていた者達は、誰も動かない。


 デザメール相手に事を構えるのは、面倒なのだ。誰も、奴の不興を買ってまで助けようとは思わない。――ごくごく、一部の……それも、ある種の過激派をのぞいて。


「離せ」

「!」


 前触れなく響いた声が、冷たい刃物のように空気を裂いた。どん、と突き飛ばされたデザメールが取り巻き達の方へよろめき、悲鳴を上げる。

 かと思えば、ヴィラローザは強い力に引っ張られ、別のぬくもりに包まれていた。

 今までの不快な温度とは違う。安心する、体温だ。


(……これは……もしかして……)


 自分を背中からぎゅうぎゅうと抱きしめている長い腕。

 それに手を添えつつ顔を上げると、赤い目の男が縄張りを主張する獣のような眼差しで、デザメール達を睨んでいた。


「ギルフォード……」

「ヴィラローザ、むかえに来た」


 名前を呼ぶと、ギルフォードは剣呑さを打ち消して目元を和らげた。そして、もう一度ぎゅっときつく抱きしめてきた。


「……ステラは、どうしたんです」

「席の確保を任せた。ヴィラローザは、俺がむかえに来た」


 お使いを果たした、誇らしげな子供のような口調だ。

 微笑ましいと感じるには、随分となりが育っているが。


「一秒でもはやく、会いたかったから」

「そ、そうですか」

「うん」


 こくりと黒い頭が動く。

 和やかな雰囲気、それで終わればよかったが、ギルフォードは再度、殺気だった視線を前に向けた。

 呆気にとられているデザメールと、その取り巻き達だ。


「本当に、来てよかった。……おい」


 低い声が発せられる。

 腹の底に響くような重低音に、呼びかけられただけのデザメール達が震え上がる。


「ヴィラローザに触るな。臭い」


 震え上がっている男達に、ギルフォードは幼稚な悪口にしか聞こえない言葉を浴びせた。


 しかしそれは、貴族で平民を見下し、さらにはギルフォードを獣と馬鹿にしている男が、なによりも言われたくない言葉だったに違いない。


 いつだって身だしなみに気を遣い、全身ぴかぴかに磨き抜かれているはずのデザメールは、まさかの「臭い」という言葉に、青筋を立てた。


「このっ……! なんて無礼な……! どこの阿婆擦れが産み捨てたかもわからない、獣がっ!」

「ヴィラローザ、行こう」


 気色ばむデザメールを、ギルフォードは無視した。

 何も答えず、ヴィラローザをひょいと抱き上げる。

 あまりにも当然のことのようにするので、ヴィラローザは反応が遅れた。


「……ちょっと! 待ちなさい……! 何をするんですか……!」

「抱き上げた。これから運ぶ」

「行程の説明をしろとは言っていません……!」

「そうか。だったら、大人しく抱かれていろ」


 ヴィラローザは真っ赤になったが、今は任務中。怪我人がじたばたと暴れるのは、不自然だ。恨みがましく唸ったものの、ヴィラローザはこれ以上どうにもできず、拗ねたような顔で俯いた。


 その仕草は、完全に恋する女で、皆に恐れられる首狩り魔ではない。再起不能説が出回るまで面白おかしく噂されていた、二人の仲……あれは、あながち間違いではなかったと周囲の人間に裏付ける結果となった。


 噂で一度痛い目をみているはずのデザメールは、二人の様子を見て鼻を鳴らした。


「ふん。獣の躾をするどころか、逆に躾られているとはね。……道理も弁えぬヘクターの獣が夢中になるほど、エルメ嬢の具合はいいらしい」


 もしも、ヴィラローザが自由だったなら、怪我の設定など忘れて、好色そうな笑みを浮かべてニタつく男の横面を、思い切り引っぱたいていただろう。


 全てを台無しにしてしまうだろう暴挙は、ギルフォードに抱きかかえられていた事により未然に防がれた。


 ――不愉快さと、湧き上がってくる怒り。それを必死に押し殺そうと深呼吸するヴィラローザ。

 しかし、ギルフォードが自分を抱えたまま動いた事に気が付いて、ハッとした。

 

「ギルフォード、駄目……!」


 制止の声を上げるよりはやく、ギルフォードはその長い足で、嫌味たっぷりに笑っていた男を蹴り飛ばしていた。


 腹部に、一蹴り。ぐえっという潰れたような悲鳴が聞こえる。


「――消えろ」


 げほげほと咳き込むデザメールを、一片の情もなく見下ろすギルフォード。

 間近で見ていたヴィラローザは、ギルフォードが口にした「消えろ」という言葉が、額縁通りだと気が付いた。


 ヴィラローザが口にする時は、見逃してやるからどこかへ行けという意味を持つ言葉だ。いや、自分だけでは無いとヴィラローザは思う。大多数の人間が、そういった意味で気に入らない相手を視界から追い出す時に使うはずだと。


 けれど、ギルフォードは今、本気だ。


 目の前の“嫌なもの”を、迷いなく消し去るつもりだ。

 再び持ち上げられた片足に、デザメールや腰を抜かした取り巻き達が怯えを見せる。


「やめなさい、ギルフォード」 


 彼の服をしわになるくらい強く握り呼びかけると、緩慢な動作で赤い目がヴィラローザを見下ろした。


「……どうしても……駄目か?」


 子が、親に何かを強請るような口調。ぞっとするほど甘い声音だ。

 けれど、惑うことなくヴィラローザは首を横に振った。


「駄目です。いけません」

「なぜだ?」


 合点がいかないと首をかしげたギルフォードは、内緒話をするように小声で囁いた。


「お前が嫌なものなら、壊れてしまって構わない。そんなもの、消えた方がいいだろう?」

「…………」


 己の行為を、正しいと信じて疑わない男の極端さに、ヴィラローザは嘆息する。


 団長室で、自分の事を心配して一計を案じるような思慮深さを見せたと思えば、数日後には、目障りなものは力で排除という短絡ぶりだ。

 そして、それら全ての行動が自分の事を思ってのことだとなると……なおのこと、頭が痛い。


「私の名誉のために、貴方が怒ってくれた事は、素直に嬉しく思いますし、感謝します。ですが、これ以上は不要です」


 ヴィラローザは、どうせこうなってしまっては遅かれ早かれ広まるだろうと、自分たちの関係を必要以上に隠したりはしなかった。

 侮辱された恋人のために、ギルフォードが怒った。こういう事にしておけば、事態を収めるときに困らないからだ。


 現に周囲の傍観者達は、我が意を得たりという風なしたり顔で頷いている。デザメールの取り巻き達も、噂が真実味を帯びたとばかりに目を丸くしている。


 ただ、デザメール本人だけが、違った。

 てっきり怯えて取り巻きの後ろに下がると思いきや、彼は怒りに満ちた形相でヴィラローザとギルフォードを睨み付けていた。

 

 大勢の前で恥をかかされた――その怒りはもちろん大きいだろうが、ギルフォードに蹴られたという恐怖心を退けるほどに強い感情ではないはずだ。


 日頃のデザメールの言動から考えれば、あとあと怒りをぶり返し、適当な噂を広めたりといった陰湿な方法をとるだろう。

 今はまず、この場を逃げ去ることに重きを置くはずなのに……と、ヴィラローザはデザメールを見下ろした。


「……後悔するぞ、エルメ嬢っ……!」


 憎々しげに吐き捨てられたの己の名前に、ヴィラローザは無言で会釈をするに留まった。

 

「行きますよ、ギルフォード」

「わかった」


 ヴィラローザがそれ以上の興味をデザメールに示さない事が分かると、ギルフォードは素直に足を食堂の方に進めた。


(……なるほど。そういう事ですか)


 ギルフォードの腕の中で、ヴィラローザは考える。デザメールは、迷いなく自分の名前を呼んだと。

 蹴り飛ばした張本人であるギルフォードではなく、ヴィラローザの名前を、さも憎たらしそうに。


「……よほど、私がお嫌いのようですね」


 今まではただ単に、貴族の女が騎士をやっていることが目障りなのだと思っていた。


 どうやら、それ以上の理由で、あの男には嫌われていたらしい。


 身に覚えが無い事だが、これで相手が動いてくれれば結果は良しだと、ヴィラローザはほくそ笑む。

 ただ、独り言に聞き耳を立てていたギルフォードは、不満そうに顔を近づけてきた。


「違うぞ」

「へ? な、なにがですか……?」

「嫌いは、違う」

「ちょ、ちょっと……? 顔、近くないですか……!?」

「言ったはずだ。俺は、お前を、愛していると」


 道すがらの告白に、すれ違った騎士達が歓声をあげる。

 たしかに、多少の噂は覚悟していたが、自ら進んで拡大させる気は無かったヴィラローザは、羞恥のあまり悲鳴を上げたくなった。

 だが、ギルフォードの好き好き攻撃は止まらない。


「伝わっていなかったか? 俺はお前の事が好きだ。お前は、俺にとって特別な存在なんだ」

「ち、ちが、今のは貴方の事を言ったわけでは……!}

「伝わるまで、何度でも言う」


 真剣な顔でのたまう男の口を、ヴィラローザは慌てておさえた。


「伝わっています! 充分に伝わっていますから、もう黙って……!!」

「…………」


 赤い目が、ヴィラローザの姿を映す。

 そして、ふと和んだ。見惚れたヴィラローザの手が緩んだ隙を突き、ギルフォードは耳打ちしてきた。


「顔が赤い。……可愛いな、ヴィラローザ」

「~~っ……!!」


 さっきまで物騒な空気を垂れ流しにしていたくせに、この急激な変化はなんなのだろう。

 身もだえしそうな甘い空気から逃げる術などなく、ヴィラローザは食堂に到着するまでずっと、羞恥心と戦うはめになった。

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