牛肉鍋をつついてみれば、縁談破局の音がする 全三話

キャトルミューティレート

縁談に立ち込める暗雲は、牛鍋の香りと共に

作中、蔑称用語がございますが、時代考察の上、使用しております。


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「申し訳ございません。今、なんとおっしゃりました?」


 荒唐無稽なことを口にしたのはわかってる。

 そのうえで、怪訝な顔を向けられる。辛い。


「実家がその、牛鍋屋を構えたいと」


 しかもその話す先が、


「……離婚です」


「グハァッ! 夫婦めおとにもなっていないのに!?」


 許嫁だっていうのだから、反応の矢はいともたやすくトッ、と僕の胸を貫いた。


庄助しょうすけ様のご発案ではないのでしょう?」


「わ、分かりますか? おとっつぁんの思い付きなのですが。綾乃さん?」


 親同士の取り決めで決まった縁談。それでも纏まってから1年半。

 そりゃ、僕が綾乃さんにできたことと言えば、散歩に誘えたくらいや商人の心構えに関する書物を共に読んだことくらいだけれど。

 それでも夫婦になった後のことも含めて、夫として、綾乃さんに恥ずかしくない、いっぱしの男であろうとこの期間に誓っていたつもり。


庄助しょうすけ様」


「あ、ハイ。なんでしょうか。綾乃さん」


 僕にとっても心に決めている女性ヒト。ジトッとした視線を向けられたならもう……


「お義母はは上様は?」


「おとっつぁんに対して、『離婚です』……と」


「無理もないかと思われます」


「フグゥッ!」


 眉をひそめ、明らかに綾乃さんは迷惑そうな顔をしていた。

 こう、意見をしっかり持ち、自分というものをしっかり持っているところ。

 なかなか、他の婦女子では見られない気質。


 攘夷派と幕府派の刃傷沙汰が各地で囁かれる昨今だけど、一方で「この国の夜明け」なる言葉も耳に入る僕にとって、まさに新たな時代の女性像にも映った。


「縁談のお話」


「え?」


「もう少しお待ちいただいても宜しいでしょうか?」


 あぁ、それこそが縁談を持ちかけられた時、僕が惹かれた理由だったのに、どうしてこの話の流れに至ることに気づかなかったんだろう。


「えぇっ!?」


「父と、此度こたびの件について話をする必要があると」


 なら、あり得るのだ。

 バッサリと、綾乃さんが、そんな一寸先は闇なる人生、僕と踏み出す前に斬って捨てることだって。


「では庄助しょうすけ様、今日はわたくしこれにて失礼いたします」


「あ、綾乃さん!?」


「結果は速やかに、後日お伝えをさせていただきとうございます」


 二人でかけそばを食べに来た僕たち。

 かけそばってのは注文から品出しまでが凄い速くて、食べながら綾乃さんとこの件を相談するつもりだった。


 意外か、当然か。


 話を聞いて即断即決。僕と机を挟んで前に座っていた綾乃さん。

 僕の呼びかけは、何の効果もなく。

 スッと立ち上がると、毅然とした表情で深々と頭を下げる。

 そして去って行った。


「お、終わった。終わってしまった。僕の……縁談……」


 呆然と呟きながら、僕はさっさとそば処から離れていく綾乃さんの背中を眺め続けることしかできなくて。


「あ……」


 だから、視線を送るさなかに気づいた。視界に、そば処のおやっさんが入っていて、盆にのせられた二椀のかけそばを持ちながら、苦笑いを浮かべてつっ立ってるの。


「あの、2杯分金は払いますから」


「いや、いい。二杯目は奢りにしておくから。食ってくんな。お若いの」


 間違いなく、今目の前で起きた僕の失恋をいたわってくれている。


 ありがたいとか嬉しいとかはなく。

 とにかく情けなさしか感じなくて。心なしかそばの味も、いやにしょっぱく感じた。




 綾乃さんに別れを告げられた僕は、その晩おとっつぁんに連れられ横浜の町に繰り出した。


 赤ちょうちんが連なる通りは決して明るいとまでは言えないが。光を負かす闇は、しかし通りに溢れる闊達な笑い声と酒の臭気で、《明》とは別の明るさを発揮していた。

 

「もっと落ち着くことはできないかい? 庄助しょうすけ


「これが落ち着いていられるかいおとっつあん?」


 恨み言を言って、どうにかなるとも思わない。おとっつあんは、そういう人だから。 

 それでも言わずにはいられない。


「昨年の初めに折角決まった一人息子の縁談。おとっつぁんだって喜んでくれたじゃないか」


「それならそれで、男としての自由を謳歌する期間がそれだけ伸びたってことなんだからね。お前は、少し後ろ向きなところがあるからいけないよ」


 思い込んだら一直線で、あまり考えることをしない性格。「いい」と認めたものなら、たとえ多少の問題があっても受け入れるような豪胆さ。

 それが僕のおとっつぁん。


 突然「牛鍋屋」を開くと言い始めたのも、大日本帝国の外から、メリケン(かつての日本人の、アメリカ人への呼称)人や他、他国からの来航が多くなったところに伝わった食肉の文化に目を付けたからだった。


 流行に流されやすいんだ。


 それで大きな損をしたこともあって、おかっつぁんや僕があわや路頭に迷う……なんて危機的状況だって一度や二度じゃなかった。

 

「なんだったら今日、用事が終わったら、おとっつぁんがお前さんを永真えいしんに連れてってやるからね。それとも港崎みよさきにしようか? そしたら明日にはもう、しっかり綾乃は塗りつぶされてる」


「冗談でもそんなことを言わないでおくれよ! ただでさえウチには遊郭で遊ぶ銭はないよ。おっかさんや綾乃さんが知ったら」


「なら仕方ない。お前だけでも遊んでおいで。確かにおとっつぁんはおっかさんが怖いが。お前はまだ誰のものとでもないんだからね」


「おとっつぁん!」


 ……「後ろ向きなところがある」と先ほどおとっつぁんは言った。押しや癖が強さは両親二人を持って、どうして僕のような男になったのだろうか。


「さて、ついたよ」


「えっと……おとっつぁん? ここって……」


「さすがに、私の一存じゃ牛鍋屋を押す通すのは難しいからね」


「《伊勢……たぬ》?」


 目的は、聞かなくてもわかった。おとっつぁんが僕を引っ張ったのは《伊勢狸》という居酒屋。

 この横浜村で、数月前から一番初めに牛鍋を扱いはじめた店で、なんでもこの国でも一番最初の存在なんだというのは知っていた。


 なんのことはない。扱い始めて数年もたってなお、他の同業店が無いところを見る。それはひいては僕たちが食肉を忌避していることを強く証明させるもの。


 連れてきた。それは実父が実子に……僕に、牛という畜生肉を喰わせるため。

 ここまで来ると、一粒種の僕でも、おとっつぁんに「人でなし」とも言いたくなってきた。


 軒先に立つと、すぐに出迎えに来てくれたのは《伊勢狸》のご主人。

 親し気な笑顔で、二言三言おとっつぁんは言葉を交わすと、


「お前さんの舌なら、分かるはずだよ」


 人を喰う笑顔を見せた。


 よし決めた。僕は煮込み野菜しか食べない。畜生肉なんて食わなくたってわかるさ。口に放り込んだふりして、おとっつぁんに行ってやるのだ。


「牛鍋はなし」だと。綾乃さんの為に。


 というよりは、僕の為に。

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