第18話

 レマ・サバクタニが地面にはいつくばって、土の臭いを嗅いでいる。

 なんだか、ガラの悪い大型犬みたいな様子だけど、『要』が貫通する直前は、独特の臭いがするんだって。まるで探索者っていうより鉱山技師みたい。

「間違いねぇ」

 悪相をにんまりとほころばせて、地面に食い込んだ石柱に、更に石柱を重ねる。

 一番最初に地面に食い込ませた石柱は、すでに五メートル以上は入り込んでいるはず。

 細マッチョ&イケメンのカインなら、こんな汗みずくで上半身裸なんて、喉ギョックンものだけど、レマ・サバクタニじゃあねぇ……。

 鍾乳石を砕いてしまわないよう、最初は慎重に。

 ある程度地面に埋まると、強く鉄槌を叩きこむ。

 延々と、その繰り返しだ。

 休憩を兼ねて、保存食を湯で戻したサバクタニ汁を作り、食べてはまた作業に戻る。

 基本的に、この筋肉ダルマは勤勉なのだ。こんな、危険な地下迷宮の盗掘より、農業の方が向いているのではなかろうかと思う。

 丸一昼夜、私たちは、食事休憩をはさみつつ、鍾乳石を地面に食い込ませ続けた。

 といっても、私はうつらうつらしながら、連射ボウガンを構えて座っていただけだけど。

「近いぜ」

 レマ・サバクタニの声に、私の鼻ちょうちんがパチンと割れる。

 ゴゴゴ……と、地鳴りがしていた。

「崩落が始まった。走れ、エリ・エリ!」

「ふが!?」

 寝ぼけていたので、変な返答になってしまったが、体は機敏に反応していた。

 起き抜けに全力疾走なんて、実験施設に居た時もやらなかったけど、やってみたら出来るものだ。

 レマ・サバクタニは、私が放置した背負い子を拾い上げながら、走っている。

 漏斗状に地面が凹み、地響きが鳴り響く。

 足元の消失が、背後に迫っていた。

 私は「ぐぎゃあぁああああああ」と悲鳴を上げながら、百メートル二十三秒という快速で疾走する。「きゃあ」とかいう女は、余裕あるから。本当にビビると濁音なんだから。それから、「快速? いや、足遅くね?」という指摘は受け付けません。

 レマ・サバクタニは、私を肩に担ぎあげ、樽型背負い子と一緒に、ブン投げた。

 私はくるくる回転しながら、お尻から地面に着地。

 その頭の上に、背負い子が落ちてきて、激突した。

 目の前でヒヨコがタンコーブシを踊っていた。ヘッドギアつけていたから、この程度で済んだけど、これ被ってなければ、脳みそ出るわ! この野蛮人!

 よろよろと立ち上がった私のすぐ足元は、崩れた崖。

「あ、あぶっ」

 尻もちをついて、後ずさる。

 そういえば、レマ・サバクタニの姿が見えない。

 ま……まさか!

 匍匐前進で、崖のヘリに這い寄る。あ、貧乳のおかげで、移動がスムーズだ。

 そんな事より、筋肉ダルマだ!

「セクハラタヌキィ!」

 叫びながら、崖の下を覗き込む。

 クラッと眩暈がした。高い。かなりの高度だった。

 推定六百三十四メートルくらいある。ここから落ちたら、いくら頑丈な筋肉ダルマでも助からない。

「誰がセクハラだ」

 三メートルほど下から声がする。

 鉄槌を崖に食い込ませて、片腕でレマ・サバクタニがぶら下がっていた。

「よかった、無事だったんだ」

「アホ、これが無事に見えるか? 絶体絶命だよ」

 厚さ十五メートルほどの岩盤は未だ崩落を続けており、遥か下で地面に落ちた岩がドドーンと音を立てている。

 タマヒュンな光景だよ。私はタマないけど。

「背負い子から、ザイルを取り出して、石柱に結べ。『もやい結び』は教えたろ? 結んだら、端をこっちに垂らせ。機敏にやれよ、手が痺れてきた」

 そういえば、私を助けたから、この筋肉ダルマは逃げ遅れたのだった。

 ここで死なれたら、寝起きが悪い。

「任せて!」

 ヒヨコのタンコーブシも終わったので、背負い子に向かって百メートル二十三秒の俊足で走る。

 頑張ったので二十二秒は叩き出したかも知れない。

 樽の下部の引き出しをあけて、ザイルの束を取り出した。

 それを解きながら、石柱をぐるっと一周。

 そして、『もやい結び』をする。

「どじょうさんが、穴からのぞいてこんにちは、ひっかけて、また帰ってさようなら……」

 レマ・サバクタニ直伝の『結び歌』を歌いながら、もやい結びを作る。

 そして、ザイルの端を崖に投げる。

「くそっ! 届かねぇぞ!」

 崖の下から、レマ・サバクタニの声がする。

 さすがに、もう声に余裕がない。

 見ると、一メートル弱ほどザイルの長さが足りていなかった。

 石柱が遠すぎたのだ。

 でもしっかりした石柱はそこにしかなかったし……。

「なんとかしろ、エリ・エリ!」

 レマ・サバクタニの巨体を支える彼の右腕がプルプル震えていた。

 筋肉に乳酸が溜まって、疲労している。

 握力もなくなってきているのか、僅かにズルッと下に滑る。


 ―― ど、ど、ど、どうしよう!


 とりあえず、ザイルを引き上げる。

 背負い子まで戻って、予備のザイルを……と思ったけど、この崖に駆け戻ったら、「鉄槌だけが残っていた」なんて映像を見たらと思うと、胃液が逆流するほど怖い。

「ええい! ままよ!」

 私は、また「どうじょうさんが~」という『結び歌』を歌いながら、自分の胴体に『もやい結び』を作る。

 もともと、このもやい結びは、私がどこかに堕ちた時、引き上げる時に必要だからと、教えてもらった結び方なのだ。

 簡単な『堅結び』だと、荷重がかかるとギュッと輪が締まる。

 そうなると内臓を痛めるし、その状態が長時間に及ぶとクラッシュ症候群を引き起こす。

 その点『もやい結び』は、引っ張っても輪形が締まらない。

 クライマーや、船員が学ぶ基本的な結び方なのだ。

 私は、『もやい結び』で胴体を保持して、崖に身を投げる。


 ―― 怖い、怖い、怖い、怖い、怖いよぅ!


 そのまま、壁面に足をつけ、振り子の要領でレマ・サバクタニの方向に走った。

 ガクンと、ザイルに私の体重がかかり、踏みつぶされたカエルみたいな声がもれる。

「ぐえ!」

 それでも、私は走った。

 途中で、胴体に食い込むザイルの輪を腋の下までズリ上げ、思い切り脚を伸ばした。

 胸が無いので、余計な怪我はしないみたい。あ、また貧乳の利点みっけ!

 レマ・サバクタニは、私の意図を汲んで、私の脚を掴む。

「おぐっ!」

 筋肉ダルマの体重まで、私の薄い胸にかかって、呼吸が止まった。

 ……って、何が薄いだ!

「ナイスだぜ! エリ・エリちゃん!」

 レマ・サバクタニの体重がかかったのは一瞬で、彼は素早くザイルを掴んで、マウンテンゴリラみたいに、ザイルをするすると登っていった。

 私は、下を見てしまって、気絶寸前になっていた。

 高度推定六百三十四メートル。

 私を支えているのは、ザイル一本。

 ふぅっと意識が遠くなってゆく。

 そして、暗転……。



 気が付くと、私は毛布に包まって、焚火の傍で寝ていた。

 なんだか、冒険活劇っぽいことをしたような、ぼんやりした記憶がある。

 いや、あれは鞭持った変な考古学者の映画のワンシーンだったかもしれない。

 吹き抜ける風の音が聞こえる。

 薄目をあけると、地面から風が吹き上げているのが見えた。

 その風に、焚火の炎が踊り、薪がパチンと爆ぜる。

 それが、私の眉間にポトリと落ちた。

「あっつぇ!」

 慌てて叩き落とす。

 おかげで、目が醒めた。

「よう、起きたか、エリ・エリ」

 ほつれたザイルを組み継ぎしながら、レマ・サバクタニが言う。

「ポットに珈琲があるぜ」

 タンポポの根を乾燥させた代用珈琲だが、この欠乏生活では貴重品だ。

 ドケチのレマ・サバクタニにしては奮発したものだ。

 気が変わらないうちに……と、ポットに手を伸ばす。

 腰と胸部に鋭い痛みが走って、私は竦み上がった。何? 何なの?

「痛むか? 骨に異常はなかったが、打撲傷になったみたいだな」

 ホーローのカップにタンポポ珈琲を注ぎ、私に差し出しながら、レマ・サバクタニが言った。

 なんだか、声も態度も優しくて、キモい。

「ありがとう」

 それでも、私はお礼を言った。

 こうみえても、育ちは良いのだ。中産階級だけど。

「礼を言うのは、俺の方だ。火事場の馬鹿力っつうか、意外とガッツあんだな、おめぇ。見直したぜ」

 何言ってるの? このキモ筋肉と思った瞬間、記憶が蘇る。

 人は辛いと、自動的に記憶を消去したり、改竄したりするらしいです。

 辛い記憶とは、例えば、高度六百三十四メートルの高さの場所にザイル一本でぶら下がったりすることです。また、ふぅっと意識が遠のきそうになる。

 でも、高度六百三十四メートルって、ずいぶん具体的な数値だけど、私は何を見たのだろう?

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