第9話


 ショウが住んでいたのはアメリカだった。なにを考えているのか、アメリカでも一番危険な街で、普通に暮らしていたんだ。ショウが言うには、あの街では自分らしくいられるそうだ。誰もショウのことを特別扱いしない。他の住人と同じように、少し無関心な近所付き合いが気に入ったようだよ。まぁ、結果としてはそんな無関心さのせいで命を落としてしまったんだけどな。哀しいよな。俺はショウを主演にエイガを撮るつもりだったんだ。結局はジョージ主演で完成させたんだが、俺はショウを頭に描いて物語を想像した。やっぱりショウ主演のバージョンも見てみたかったよ。これはいい意味でなんだが、ジョージが演じることによって、俺が考えていたのとは別の物語になってしまったからな。売れてくれたのはすごく嬉しいが、その分、ショウだったらという想いは膨らんでしまった。それがジョージには失礼な考えだとは承知しているよ。しかしまぁ、これが俺の本音なんだよ。仕方がないだろ?

 ジョージ主演のエイガは、この世界初の興行エイガだ。まぁ、世界中で大ヒットはしたんだ。自分で言うのもなんだが、面白い。今でも人気はある。舞台では毎年何処かで誰かが演じているはずだよ。ポップンロールって聞けば分かるだろ? 俺が作った最後のエイガでもある。まぁ、今でも手伝い的なことはしているんだがな。なんせ俺が生み出した文化だ。ノータッチってわけにはいかないんだよ。しかし今は、エイガでなにかを表現しようとは思えないんだ。俺にはやっぱり、音楽がお似合いってことに気づかされたからな。と言うか、このときは色々なことが重なりエイガにのめり込むことになっただけだ。ショウが死んだのも、その理由の一つだよ。

 俺はミカンと一緒に撮影機と投影機、それから写真機を作り出した。先先代から譲ってもらった機械を元に、Movieと書かれた形のある本を参考にしながらな。まぁ後、ショウからの助言もいただいたよ。ショウが話していた活動写真ってのは、どうやら日本に伝わる文明以前のエイガのことらしいんだ。まぁ、現物は残ってなく、噂と伝承ってやつが残っていたんだよ。日本では、絵を描く文化が古くからあるんだ。まぁ、人間なら誰だって一度は絵を描いたことがあるから、特別なことではないんだがな。と言っても、俺たちは普段、頭の中で絵を描いている。スティーブがあるからこそ形にできることだが、どんな作品もまずは頭で想像するんだ。まぁ、ときには手が勝手に動くこともあるにはあるんだけど、それって無意識にでも頭が働くようになっているってだけのことだ。スティーブで分析すれば分かることだよ。本人にいくら意識がなくとも、頭は必死に動いているんだ。

 俺も子供の頃はしていたんだが、日本では大人になっても絵を描くんだ。もちろんそれは頭の中でではなく、表に描くんだ。壁や床、地面にも描く。空にだって描いてしまう。しかしそれは、最近になってからの話で、紙に描くのが日本の伝承なんだよ。日本式のドアに紙を貼り、そこに描くこともあるが、基本は横長の紙に描いている。長ければ数メートルにもなると言うが、そのまま壁に貼り付けて鑑賞することもあるようだが、普段はぐるぐる巻きにして保存するようだ。なんでも、巻物って呼ばれているようだ。紙には大抵墨を使って描くという。墨っていうのは、煤を膠で固めるんだとさ。どっちも耳慣れない材料だが、この世界でも案外と使い道はあるそうだ。まぁ、俺には直接的には無関係だけどな。墨っていうのは、つまりは黒い個体で、水で溶かして使うんだよ。濃淡をつけるとなかなかに味のある絵が描けるんだが、俺には難しすぎるな。

 俺も墨絵には挑戦したことがある。っていうか、大好きなんだよ。墨絵の巻物はいくつも所有しているくらいだからな。まぁ、あれは日本人でなきゃできないみたいだな。他の国では見かけたことがないよ。

 ショウが言うには、その巻物が、エイガだというんだよ。巻物に描かれた絵は、連続する物語になっているというんだ。俺は実際に目にしたから分かるが、確かにその通りだったよ。流れるように左から右へと物語が進んでいくんだ。まさにエイガそのものだと感じたよ。というか、エイガの原型が巻物なんだと感じたんだ。しかしショウは、それは違うと言った。この巻物は、エイガを元に作られているようなんだと。そもそもエイガは流れるような絵ではないという。写真の連続がエイガなんだよ。別にその写真を絵で描いても構わない。実際に今ではそんなエイガも存在するからな。その写真を連続で映し出すことで、流れる映像になるんだ。ただ横並びにしただけでは、写真は巻物のようには流れていかない。ショウがエイガの存在を知っていたのは、まぁあいつは活動写真と呼んでいたが、それは巻物に描かれていたからなんだ。俺もその巻物を読んだよ。活動写真の上映を描いている物語だった。写真が活動するなんて、あの国らしい表現だと思ったよ。

 撮影機や投影機の作成は思いの外順調だったが、問題はそれを使って写す画像をどう保存するかってことだ。写真機の方はそれほど問題ではなかった。専用の紙を作ればいいだけだったからな。まぁ、いろんな素材を試したから、それなりの手間はかかっているんだけどな。俺たちはその紙を、フィルムと名付けた。理由は簡単で、先先代から譲ってもらった実体のある本の中にfilmの文字を見つけたからだ。なんとなくだが、その文字が写真のことを示しているのは感じられた。そしてショウがいうには、フィルムと読むそうなんだよ。撮影機にもそのフィルムを利用してはいるんだが、その方法に辿り着くのが大変だったんだよ。巻物をヒントにしてはいるが、映像となるとその量が莫大なんだ。出来上がった機械に取り付くような形を考えて、今のような渦巻き型には落ち着いたんだが、量の問題は解決出来なかった。一つのエイガを作るのに、俺は二時間を目安にしている。どんなに頑張っても機械の大きさから判断して一本の渦巻きで十五分間の上映が限界だったんだ。撮影をするときは何本ものフィルムを交換すれば問題はないが、上映するときが問題なんだよ。一台の投影機で交換しながらの上映は間が空くからな。そこでまぁ、数台の投影機を用意することで解決はしたんだよ。エイガってのは、色々と手間がかかる。しかし、その手間があってこそのエイガなんだよ。最近はスティーブを利用したエイガのような映像物語も登場しているが、俺はあれをエイガとは認めていないよ。確かに楽だし、映像も表面的には綺麗だ。けれどなんていうか、感動が薄いんだよな。綺麗だが、味がない。だってそうだろ? 現実にこの目で見るより綺麗な映像に、心は感動しないんだ。エイガの映像は、現実よりは綺麗じゃないかも知れないが、内面に響く映像なんだよ。夢や思い出の中の景色によく似ている。

 俺はまず、先先代の約束を守った。エイガがどんなものなのかを知るには、取り敢えずは撮ってみるに限るだろって考えたんだよ。しかし、いきなり商業的にとはいかないだろ? だから俺は、先先代を主演に物語を考え、エイガにしたんだ。今では幻のエイガと言われ、その世界ではかなり貴重な作品なんだよ。スティーブには記録されていないから、渦巻きフィルムでしか見ることができないんだ。その渦巻きフィルムも現存はしているようだが、誰が所有しているのかは俺も知らない。ただ、時々何処かの街で上映されたって噂を聞くよ。

 エイガの作り方を学んだ俺は、いよいよショウを主演に迎えた物語を撮ろうと動き始めた。しかしまぁ、タイミングってのは不思議だな。ショウが死んだのは、俺がエイガ用の物語を書き上げ、スティーブで送ったその日のその瞬間だったんだよ。ショウはその日、どこかへ出かけようと外に出たその瞬間に、待ち伏せしていたあいつに殺されたんだ。拳銃を頭に突きつけられ、そのまま引き金が引かれた。俺はその瞬間を、スティーブの映像で見たよ。ショウは即死のはずだったが、最後のその瞬間に、俺からのメッセージが届けられた。反射的にショウは、最後の瞬間の映像を俺に送りつけたんだ。きっと、無意識の行動だろうな。数分前に遡ったショウ目線の世界が、そこには記録されていた。俺は、犯人とショウを除く他の誰よりも早くその事実を知ったってことになる。俺からの連絡により、犯人はすぐに射殺されることになった。俺としては殺さずに、その真意を深く探りたかったんだがな。まぁ仕方がない。おかげで今でも、ショウの死は様々な噂と共に言い伝えられている。世界の陰謀説や、宇宙人による策略なんていう訳のわからない噂ばかりだがな。まぁ、現実はもっと簡単だ。ショウのファンが、その想いを暴走させたまでのことだよ。

 俺の頭に送り届けられた映像は、ショウが家の玄関を開けるところから始まった。あいつはアメリカの、ニューヨークなんていう街に暮らしていた。あの街は自由だとショウは言うが、俺はそうは思わない。あそこはいつでも、無法地帯だ。それを自由と呼ぶのは、俺はちょっと違うと思う。が、ショウはそんなあの街を気に入っていた。あの街では、誰もが自分を特別扱いしないんだと、喜んでいた。一人の住人として受け入れてくれることが嬉しかったようだよ。たまにはサインを求められるが、それ以上に私生活を鑑賞したりはしないんだ。残念なことに、俺たちの世界では、大抵が干渉されながら生きていくはめになる。有名でなくても、有名でも同じだよ。まぁ、俺は干渉されることが好きなんだけどな。なんていう余計な話はどうでもいいんだ。ショウはそんな見せかけの自由の中で生活をしていたってことだ。アパートのワンフロアを貸し切っての暮らしだった。玄関から廊下に出て、エレベーターで二階に降り、そこから階段で一階の表玄関に向かう。そこを開けば、もう外だ。外へ出てからも階段を降り、ようやく歩道に足を下ろす。そのときだ。目の前に現れる一人の男。サインをもらえますかとノートをサインペンを突き出す。ショウは慣れた様子でそれを受け取り、名前は? なんて言いながらサインを書く。その男は、無言でなにかを懐から取り出す。そして、ショウの頭にそれを突きつけた。これであんたは永遠に僕のものだ。なんて言葉を静かに唱えた。そして、引き金が引かれた。

 俺はすぐにスティーブを使ってアメリカに連絡を入れた。ショウを助けて欲しかったんだ。状況からみれば即死なのは分かっていた。しかし、まだ助かるんだとの思いが俺にしがみついていたんだ。ショウが死ぬなんて信じられない。どうしても助けたいとの気持ちがそうさせたんだろうな。俺はその後、転送装置に走った。すぐにショウが暮らす家の近くに向かったよ。転送が済むと、ちょうどあいつが射殺される音が聞こえた。あいつの名前は、チャップマン。ふざけた名前だが、本名だ。俺はチャップマンが殺されたことに腹が立ったよ。殺してしまえばそれでお終いだ。なにもわからなくなってしまう。どんな理由があったのか、どんな感情があったのかを知りたかった。なにか手がかりが残されていたとしても、そんなものには意味がない。いくらでも嘘がつけるからな。幸いにもチャップマンはなにも残していなかった。幸いじゃなかったかも知れないとの思いはあるよ。なにも残さなかったからこそ、勝手な憶測が進んでしまった。まぁ、なにかを残していても、そこから勝手な憶測が進むんだけどな。やっぱり生かしておくべきだったってことだよ。生きている感情にしか、意味は感じられないよ。だからだろうな。スティーブでさえ、死んだ感情には興味を持たない。死んだその瞬間から、スティーブはその人の記憶を消してしまう。ショウの記憶はもう、どこにも残されていない。俺に送られてきたメッセージを別にしてな。

 俺はチャップマンの死体を横目に、ショウの元へと走り続けた。なんてことだ・・・・思わず声が漏れたよ。眉間に穴が空いていた。俺は近づき、そこに手を乗せたんだ。

 ショウの死体の周りには、誰もいなかった。野次馬どもが押し寄せてきて、その対処のため、誰も近づけないようにしていたんだ。しかし俺は、そんなことを御構い無しに、スティーブによる防御線を突っ切り、ショウに近づき、地べたに膝をついて抱きかかえた。スティーブは人や状況を判断する能力に優れている。俺は特別に、ショウの身体に近づくことを許されたんだ。というか単に、スティーブの混乱だったのかも知れないけどな。即死のはずのショウが、俺に声をかけてきたんだから、そりゃあスティーブだって驚くさ。しかもその言葉がさらに突拍子も無い。スティーブの混乱から察するに、事実である可能性が高いと俺は感じているよ。

 ちょっくらまた過去へと旅をしてきたよ。俺たちのしていることは間違っちゃいないんだ。あんたはいつまでも、ロックしていてくれよな。ロックってのは、楽しむって意味だよ。あんたならわかるだろ?

 ショウはそのまま、今度こそ本当に死んでしまった。俺はショウの頭を胸に埋め、大勢の前で泣き叫んだ。お菓子を買ってもらえずに駄々をこねる赤ん坊のように、鼻水を垂らし、まるで世界の中心が自分であり、自分以外はそこにはいないかのようにな。事実俺は、そう感じていた。

 ショウの死は、世界に影響を与えている。もちろん、俺個人にもだ。俺は本当は、エイガ作りを辞めるつもりでいたんだ。ショウの分までも音楽に捧げようと考えた。けれどまぁ、ショウをイメージした物語を世に出したいって気持ちも強かった。どうすればいいか悩んだよ。結果、俺はどっちが楽しいかを考えた。俺は、なにかをするってことがたまらなく好きなんだよ。音楽は当然楽しい。物語を生み出すのも楽しい。エイガ作りを楽しもうって決めたんだ。俺はショウの言う、ロックな道を選んだんだよ。

 エイガ作りは楽しいが、苦しい。そこが音楽との違いだな。俺にとって音楽は、楽しみしかないんだ。苦しみなんて微塵も感じたことはないよ。しかしエイガは、苦しかった。ショウがいてくれればよかったのかも知れない。ショウはいつだって、なにをするときだってロックだったからな。けれどまぁ、それは関係ないんだよな。エイガってのは、作っているときは最高に楽しいんだ。完成品を見るのも楽しい。しかし、撮った映像を編集するのが辛いんだよな。なんども見返すのは辛くない。どこを切り捨て、どう繋げるかって作業が俺には向いていなかった。捨てる映像なんてどこにもないんだよな。しかし永遠撮りためた映像を流しても物語にはならない。切り捨て繋げるのがエイガなんだとは思うが、それが辛かった。なんとか完成させたが、納得はしているが満足はしていない。これは未公開なんだが、別の編集バージョンが三つ存在するんだ。俺はどれも未だに満足していない。撮影した映像だけでも、もっといいエイガになるんじゃないかって今でも思っているよ。

 エイガのヒットで俺にはさらなる期待が押し寄せてきたよ。次の作品は? なんて声にはいまだに無視している。まぁ、自分で言うのもなんだが、違う形では応えている。俺たちはいまだに現役だし、毎年新しい作品を提供している。常にロックしているんだ。俺たちの人気は、減った試しがないんだよ。まぁ、年寄りが死んでいけばそのぶんのファンは減るが、新しいファンも日々生まれているってことだ。

 ショウの死は、当然俺以外にも影響を与えている。ショウは、なんて言うか、ちょっと違うんだよな。ショウの言葉には力がある。しかも、ちょっと脅迫的な力だ。こうなる予感はしていたんだ。ショウはきっと、いつの日か、神になるんだよ。すでにもう、その布石が打たれている。ショウを崇拝する動きが、始まっているんだ。俺は見たんだよ。日本で。神の社と名乗り、その神の名をノーウェアと名付け、その偶像がショウによく似ているのをな。ショウはいつの日か、その言葉通りにクリストを超えるんだよ。絶対にな。

 俺たちは、たった一度だけ過ちを犯したことがある。ライクアローリングストーンとしての過ちだ。まぁ、したくてしたんじゃない。そうせざる終えない時代だったんだ。もしもそうしていなければ、どこかの誰かにきっと、殺されていたんだろうな。このことは、上辺だけなら世界中が知っているが、真実を知っている者は少ない。こうやって話をするのは初めてだしな。スティーブでさえ、知ってはいるが知らなかったことにしているんだよ。

 戦争が始まって、ショウが死んで、十年は過ぎた頃だ。スコットランド人は、疲れ始めていた。戦争ってのは、案外は客観的なんだが、ある日突然主観的に変化をする。どういうことかわかるか? 戦争ってのは国が勝手に軍隊を作り、軍人を集めて戦うんだ。しかし、戦争が長引けば当然、死者が増え、軍人が足りなくなる。そんなときどうするのかはわかるだろ。今はもう廃止になったが、徴兵制度を導入するんだよ。無理矢理に軍人を作り出すんだ。そのやり方は様々あるが、この国は意外にも公平なんだよ。だから俺たちも選ばれたんだ。

 年齢男女別に割合を決め、後はランダムにくじを引く。拒否することは許されない。いかなる理由があってもな。まぁ、国によっては色々あるが、この国ではどんなお偉いさんでも拒否はできないってことになっている。もちろん俺も、従わざるをえなかった。

 しかしまぁ、国だってバカじゃない。俺をそのまま軍人として送り込もうとは考えなかったようだ。偶然だと国は言うが、メンバー全員が同じ時期に徴兵されることになったんだ。そんなわけはないよな。きっと俺だけが先に選ばれ、利用しようって考えたんだろうな。他のメンバーは、俺の犠牲になったってわけだよ。まぁ、これは誰もが知る噂ってやつだけどな。

 そして俺たちは、世界中で戦っているこの国の軍人たちを慰問する旅に出されたんだ。もちろん、軍人としてだ。演奏するときも、軍服だ。なんだかおかしな気分だったが、意外と楽しめた。まぁ、軍服なんてのは途中で脱ぎ捨てちまうからどうでもいいんだ。とにかく俺たちは、世界中を回り、軍人を楽しませたんだ。途中で起きた哀しい現実は、正直思い出したくもない。しかしまぁ、忘れてもいけない出来事なんだよな。

 俺たちは、東南アジアと呼ばれる地域に足を運んだ。あの辺りには複雑な事情を抱えた国が多い。温暖な気候で、色々と恵まれているんだ。アメリカは、戦争の混乱に乗じて東南アジアの国々を奪おうと試みていたんだ。まぁ、表向きは別の理由をつけていたが、誰が見ても明らかな行為だった。見かねた他国が集まり、アメリカから守っているんだ。まぁ最悪な戦争だよな。多くの国が多くの犠牲者を出した。俺も危うく死ぬところだった。あの経験から俺は、戦争を嫌うようになった。どんな理由をつけたところで、戦争ってのは結局のところ殺し合いなんだ。しかも、国同士の利益最優先だ。実際に戦い血を流す軍人とは別に、部屋の中でドーナツを食べている連中が戦いを指示している。最悪だな。

 ドーナッツってのはオランダ人が考えたお菓子だよ。名前の由来はよく分からないが、小麦粉で作られているのは知っている。なんて言うか、不思議な食感なんだよな。色んな種類があるんだけど、輪っか型が主流だな。俺もまぁ、好きでよく食べているんだが、食べ過ぎると太ってしまうのが難点だ。体型を維持するためのタブレットを飲んではいても、結局は抑制しかしてくれないんだ。許容を超えて食べ過ぎればダメだってことだよ。だから見てみろよ。軍人にデブはいないが、支持している奴らはデブばかりだ。抑制の効かない奴らが戦争を支持しているなんて、笑い話としても滑稽過ぎる。

 俺たちが死にそうになったのは、ベトナムっていう国での慰問演奏のときから始まったんだ。

 ベトナムってのはいい国だよな。これは自慢なんだが、俺にはベトナムの家族がいる。勘違いするなよ。俺が浮気をして隠し子を作ったとかじゃない。俺の息子が、結婚をして、家族を得たってことだ。当時はさ、戦争に家族を連れて行くのが当たり前だった。俺たちのような慰問者だけでなく、前線で戦う兵士も同様にな。まぁ、俺たちが遭遇した事件をきっかけに、家族を連れて行くことは自粛されるようになり、今では禁止されている。よくよく考えれば当然だよ。あまりにも危険な行為だって思うだろ?

 その日俺たちは、いつも通りに軍人が集まる会場を訪れ、演奏を始めた。かなりの盛り上がりだったよ。現地の人間も多く、いつになく楽しかったな。事件さえ起きなければ、最高の一日だったんだ。

 公演前の俺は、長男を連れて街を散歩した。まぁ、普通は危険だからと止められるんだが、ベトナムって国は別だった。世界一優しい国と呼ばれていたんだ。歩いているだけで、人間ってのはみんなが繋がっていると感じられる。明るくて人見知りのしない性格が国民性だからとかは関係がない。彼らはみんな、自然体なんだよ。生まれたままの心を持って生きている。

 俺には当時子供が六人いた。当時は三番目の妻と結婚したばかりだったな。俺にとって、最後の結婚だよ。まぁ、その後も色々あるにはあったが、ミカンの娘以上に愛した女がいないのは事実だよ。それでも今、俺の家には最初の女房が転がり込んでいるっていう事実もあるんだが、それの説明をすると言い訳になってしまうんだろうな。つまりはさ、愛の形ってのはいっぱいなんだよ。彼女とは再会後、二人の子供をもうけたんだ。その子たちも今や大人だけどな。まぁ、他に未婚の隠し子ってのはいないはずだから安心してほしい。多分な。

 最初の女房との間には三人の子供がいるんだが、後から生まれた一卵性双生児の女の子は、このときの少し前に生まれたばかりだったんだ。縁を完璧に戻していたわけではないが、あいつとはいつだって良好な関係を保ってきていたんだよ。二人目の妻との間に生まれた三人の娘は、学校が忙しくて連れては行けなかった。三番目の妻との間に子供はいない。すぐに別れてしまったからな。あの結婚は、勢いしかなかったんだよ。

 ちなみに今では孫も大勢だが、そんな説明はいらないよな? 勝手にスティーブで調べてくれよ。俺の家族や女遍歴が全て記録されているはずだ。ついでに男遍歴まで記録されているって噂だよ。まったく、どこでどうやって調べてきたんだろうな?

 ベトナムには三番目の妻と、すでに大人にはなっていたがまともな仕事をしていなかった長男を連れて行ったんだ。俺にとっての長男っていう意味だ。最初の女房の子供だよ。まぁ、俺に息子はそいつ一人きりなんだがな。そいつはいい奴なんだが、やりたいことが多過ぎて空回りしていた時期だったな。スポーツに熱中していたかと思うと突然絵を描き始めたり、音楽やエイガにも当然のように立ち寄ったな。どれもが中途半端だった。当時の長男は、家でなにやら訳のわからない映像をスティーブで見ていたようだ。つまりはなにもしていなかったってことだよ。なんの思考もなく、ただ流れる映像を目で追いかけ、耳に伝わる音を拾っては捨てるっていう作業を繰り返していた。俺もたまにはそういうことをするんだ。疲れたときや、退屈だけどなにかをする気になれないときにそうしていると、三十分もすれば疲れも取れるし、やる気も回復する。俺の場合はな。長男のように一日中スティーブの映像を見ながらボケーッとするなんて信じられないよ。まぁ、今ではそんな輩が大勢いて、スティブっ子なんて呼ばれているだけじゃなく、自らをそう呼び、それを凄いことだと主張しているんだから驚きだよな。

 俺はスティブっ子の長男を半ば無理矢理連れ出したんだ。スティーブでの映像なんかより、生の現在を見てみろと言ったんだ。戦場ってのは、あってはならない場所かも知れないが、そこはまさに人間としての生きる力に溢れた場所でもあるんだよ。死が身近にあるからこそなのか、みんなが活気に満ちている。って言ってもそれには限界が存在していて、正気を失うような、まさに狂気なんて戦場も存在はしているが、当時のあの場所は、そうじゃなかった。考えてもみろよ。流石に狂気に満ちた戦場に家族を連れて行くはずはないだろ? まぁ、その時点ではの話なんだがな。

 俺はスティブっ子と街を歩いた。戦時中だってのに、街はいたって普通なんだよな。そこに驚きなんてないよ。世界中どこに行っても同じだからな。戦場は確かに悲惨だが、そのすぐ近くの街ってのは、人が多く集まり、普段よりも賑わいを増す。まぁ確かに、危険な市街地戦もあるんだけどな。当時は珍しいことだった。戦争ってのが、一種のビジネスになり始めていたからな。色々と約束事を決め、その範囲で戦争をするんだ。まぁ、あの事件をきっかけにそれも崩れてしまったんだけどな。戦争はまた、感情のままの状態に逆戻りだ。ビジネスでの戦争はいいことだとは思わないが、軍人以外の市民に危険は少なかったんだ。武器を作るって作業は金になるしな。軍人の給料もいい。死んだとしても家族に金が残る。おかしな時代ではあったが、以前よりはマシだった。当然、今よりもだ。

 俺とスティブっ子は、大通り沿いの喫茶店に入った。自分で言うのもなんだが、俺は超がつく有名人だ。けれどあの国では、誰も俺をちやほやしない。俺のことに気がついていないって訳ではなさそうだったが、有名だろうがなんだろうが、同じ人間には違いないって考え方が浸透しているように感じられたよ。ニューヨークの他人に無関心なのとはわけが違う。店員の女の子は普通に名前を呼び、普通に接客してくれる。まるで常連客のように俺たちを扱ってくれたよ。有名人扱いされないってのは、嬉しいもんだ。しかも、それとなく気がついていることだけを知らせるなんて、最高だよな。最初はその店員だけが特別だとも思ったが、そうではなかった。まぁ、違う意味でその店員は特別な存在になったんだけどな。俺のスティブっ子が、そうさせたんだ。

 君のことが好きなんだ。と、何度目かに店員の彼女がやってきたとき、スティブっ子がそう言った。それまでにも仲良く話しをしていて、俺にはその感情が充分伝わっていたよ。けれど彼女に対してどれほどに伝わっていたのかは計り知れなかった。スティブっ子には、自信があったようだな。想いが通じていて、いい答えが返ってくると疑っていなかったんだと、後になって聞いたよ。確かにその通りだった。あの二人は父親の目の前だっていうのに、抱き合い、キスしだしたんだからな。

 俺は会場に戻り、スティブっ子は、彼女の仕事を待ってから戻ると言ったんだ。招待してもいいでしょ? なんていうから、家族ごと招待すると言い返したよ。結果として、それはとてもいい判断だったようだ。

 あまりにも悲惨な現実ってのは、そう何度も経験するものじゃないよな。この日もまた、俺にとっては何度目かの悲惨な一日だった。二度目か? 三度目か? まぁ、この日から悲惨な日常が増えたことには間違いはない。今では毎日のように何処かの国で多くの誰かが殺されている。

 俺がしたことは間違っていたのかも知れないって思うことがある。そりゃそうだよな。俺が戦争を始めた訳ではないが、俺の言葉や音楽、その行動が戦争のきっかけになっていることは間違いがないんだからね。今なら思うよ。きっと、違う方向に導くこともできたんだってな。しかしまぁ、そうはしなかった。俺は、戦うことを悪いとは感じていないんだよ。戦うってことは、先に進むことだと考えている。現に俺は、そうやって前に進んできた。この世界だってそうだ。昔に比べれば、確かに前に進んでいる。俺はそう信じているよ。ただちょっと、やりすぎだと感じることが多すぎはするんだけどな。この日はまさに、そんな日だった。

 俺はいつものようにステージを楽しんでいた。大きな音を出し、大きな動きを見せる。観客も大きな声と動きで反応をしてくれる。最高の瞬間が続いていた。ずっとずっと続くはずだったんだよ。しかし、俺たちが奏でる音が突然遮られたんだ。爆撃機ってのは、とてつもなくうるさいんだよ。飛行型スニークの仲間ではあるが、その機構がまるで違うんだよ。戦争用スニークってのは、特別なんだよ。陸上用も海上用もある。スニークは廃止されても、戦争用だけは今でも存在しているんだ。その形はスニークに似ているものもあるが、やはりどれもが戦争用に特化した形になっている。その中でも、飛行用のそれは、特別に異様な姿をしている。それが十数代かそれ以上集まっていたんだ。ロックショウなんてまるで葬式だって感じるほどの騒々しさだったよ。爆撃には当時から今でもそうだが、転送装置は使用しない。当然だよな。そいつはかなり危険な行為だよ。まぁ、ちょっとおかしな連中がたまに、転送で爆弾を送ることはあるが、タイミングを間違えると自らが死んでしまうこともある。そんな事故はざらだよ。本気の場合はやはり、爆撃機に限る。

 爆撃機ってのは、まぁ普通はプロペラ機を使用するんだ。頭の天辺で四枚の長い板がグルグル回転しているあれだよ。ヘリコなんていうニックネームもあるが、その由来はわからない。まぁ、謎ってことは、大抵は文明以前の名をいただいているって意味なんだけどな。

 ヘリコは最強の爆撃機だよ。移動速度は速くないが、空中で停止できるのが最大の特徴だな。巨大な爆弾も搭載できる。しかもかなりの量をだ。軍人だって詰め込めば十名以上は乗せられる。俺は最強の爆撃機だと感じている。まぁ、現実にあの光景を見た者なら、そう感じて当然だよな。

 あまりの騒音に俺たちの音楽は掻き消された。俺でさえ、歌うことを止めてしまったよ。どんな雑音があっても止められなかった俺が、その声を消されてしまったんだよ。どれほどのものだったかが計り知れるだろ?

 集まったヘリコは、一斉に爆撃を始めた。なんの合図もなしにだ。そりゃあ驚いたよ。辺り一面があっという間に煙に包まれた。灰色の煙が、黒く変色していく。その中に、赤い炎が顔を覗かせ始めた。けれど、俺たちのいた場所には、爆弾は落ちてこない。舞い上がる煙も、こっちには流れてこなかった。その理由は後になってわかったよ。炎も当然、暑さを感じたりはしなかった。全ては俺たちの外での出来事であり、別世界での出来事だったってことだよ。俺たちは守られていたんだ。いいや、それはちょっと違うな。コマーシャルな存在として、利用されたってところだな。

 爆撃をしたのは、アメリカの軍隊だ。俺たちはその日、スコットランド軍の依頼で慰問公演を行なっていたんだが、なんだか途中から様子がおかしいことに気がついたんだ。確かに戦場以外の場所では、敵対する軍人同士が仲良く生活したりすることは珍しくはない。しかし、俺たちがいた場所は、あくまでもアメリカに敵対する連合軍の集まる宿舎だったんだ。そこでの慰問公演にしては、その観客の層は不可解すぎたんだよ。連合軍の兵士はそりゃ多かった。ベトナム国民もそれなりに集まった。しかしなぜか、アメリカ軍兵士の数が多すぎたんだ。それはまさに、不自然な光景だった。当時も俺たちはアメリカでの公演を続けていたが、集まる客にアメリカ人は半分くらいで、大抵はアメリカに暮らす余所者どもだったんだ。この日はまさに、そんな感じだった。アメリカ相手の戦争をしているっていうのに、半分くらいがアメリカ人だなんて、異様な光景だよ。まぁ、ある意味では理想の光景でもあったんだがな。その理由さえ知らなければな。

 アメリカ軍は、俺たちのいた慰問公演の会場を除き、ベトナムの街を一つ全て焼き払ったんだ。最悪だよな。直ぐにバレてしまったが、最初はそれを、連合軍の仕業にしていたんだからな。その理由は実にくだらない。自分たちの利益のため、その残虐な行為を少しでも正当化するための言い訳だ。他人のせいにしてしまうのが、一番簡単な逃げ口上だからな。バレてしまったとはいえ、当のアメリカは依然としてそれを認めてはいなかったりするんだから、あの国は実に滑稽なんだよ。

 俺たちは、利用されたんだ。俺たちのショウを観るためなら、アメリカ軍だろうが連合軍だろうが、疑いなく集まってくる。周りに誰がいたって楽しめるのが音楽だからな。まぁ、俺たちは最初から守られていたってわけだ。

 ベトナム国民も、三分の一は俺たちの演奏を聴いてくれた。しかしその他は、街の中、爆撃の犠牲になった。全員が死んだわけではないけれど、かなりの人数が死んだよ。悲しいことだが、スティブっ子が恋をした彼女の家族は無事だった。不謹慎だが、それはかなり、嬉しいことだったよ。

 この日のショウは、中途半端に終わってしまった。俺はいつの日か、この日の続きをしようと考えている。このままで終わらせるわけにはいかないんだよ。それは、多くの犠牲者に対しても失礼だからな。

 しかし現実は、難しい。あれからすでに二十年以上だ。なにも変わらない。世界は少しもよくはならないんだよな。あの日をきっかけに、戦争は激しくなった。アメリカへの不信は強くなるばかり。けれどそれは、アメリカ以外からの意見であり、アメリカ人から言わせれば、アメリカの結束も強くなっている。

 ベトナムの街が一つ壊滅をしても、俺は生きている。しかも、あいも変わらず歌を歌う。俺ってなんなんだ? 疑問を感じながらも、俺は歌を歌う。最低だよな。あの日も俺は、ホテルで歌を歌った。誰もいないシャワールームで、シャワーを全開に、裸で声を張り上げる。

 会場からは、街を爆撃したそのヘリコに乗せられホテルへ連れていかれた。もともと泊まっていたのとは別のホテルだ。俺たちが泊まっていたホテルは、跡形もなくなっていた。スティブっ子が恋をした彼女の家族も一緒だった。

 しかし、全ての観客がホテルに避難できたわけではなかった。軍人たちはそのほとんどが大慌てで動き回っていた。なにをしていたのか俺は詳しくは知らないが、もっとも、知りたいとも思わないんだが、軍人っていうのは忙しない生き物だと感じたよ。俺たちとはちょっと違うが、軍人の家族なんかも慰問に訪れている。だが、その全員が避難できたわけではなかった。一番酷いのは、ベトナムの人々だ。避難できたのはほんの僅かだ。スティブっ子が恋をした家族を含めても、数十人ってとこだ。ほとんどがその場に取り残され、自力で生きてきたんだ。壊滅した街は、そんな人等の力によって、二年後には復興したよ。

 スティブっ子は、国に帰って直ぐに結婚をした。家族には俺が家を建ててやった。まぁ、幸せってやつが一つ訪れたんだ。

 しかし、訪れたのはそれだけじゃなかった。俺たちは、まぁ、守られていたとはいえ、慰問公演で始めて身の危険を感じたんだ。こうやって死んで行くんだろうなとの実感は、恐怖を感じる暇もなかった。ホテルに戻り、発狂した後にようやく感じたんだからな。ずっと胸に溜まっていたんだろうよ。

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