神隠し 蛇隠し

百舌鳥

前編

 にゃあにゃあと、猫の鳴き声が聞こえる。閑静な神社と小さな森を抱く、夕暮れの茜に染まった住宅街。その一角に、数匹の野良猫が群がっていた。


「どうしたの?」


 赤いランドセルを背負う小さな影がひとり、猫の輪に近づく。人の気配を感じた小動物は素早く散っていった。獣の匂いの残る輪の中心には、小さな血溜りと縄状の生き物。

 一匹の蛇が血を流しながら、ぐったりととぐろを巻いていた。

「ひどいけが」

 少女の手が差し伸べられる。手を汚すのも厭わず抱きあげられた蛇の躰が、ぴくりと動く。

「よかった。まだ、助かるかも」

 未だ血の滲む傷口を広げぬよう、少女は優しく腕の中の蛇を抱きなおす。

 そのまま何処かへ駆け出す少女の背後、神社の周りに広がる森の木陰で。何かの影がずるりと鎌首をもたげた。


 ***********


 ずらりと吊り下げられた提灯。この時期が近づくと、どこからともなくやって来る大人達。笛に太鼓にお神輿みこしの掛け声が、夏祭りの到来を知らせていた。

「いい?絶対に知らない人に着いていっちゃ駄目。特にこの時期は、街の外から知らない人がいっぱい来るからね」

 母の注意を聞き流しながら、わたしは適当に相槌を打つ。母に限らず、友達のお母さんも、小学校の先生も。ここ最近の大人は神経質だ。

 理由ならすぐ思い当たる。先月から学校や家で耳にたこができるほど聞かされていた。子どもを狙う不審者の目撃情報。意味はまだよく分からないけれど、危ない大人がいるってことだけは小学四年生にだって分かる。

「千草も覚えているでしょう?一昨年の年末にあった野良猫の事件。あれと同じ人がやったんじゃないかって言われてるけどね」

 野良猫。突然ひっかいてきたり、脅すように鳴いてきたり、ひどいときには噛みついてくるのでわたしはあんまり好きじゃない。いや、正しくはあのこと以来。あれからわたしは、何故か異常に猫に嫌われているように思う。


 一昨年の秋の暮れ、わたしは蛇を拾った。猫に囲まれ、いじめられていた傷だらけのアオダイショウ。もともと蛇は嫌いじゃない、むしろ好きな方だったわたしは、その蛇を連れ帰ることに決めた。幸い、わたしの家は小さな町医者をやっている。薬ならいっぱいあった。猫の爪で引き裂かれた傷口は、父親に無理を言って縫い合わせてもらう。餌はウズラの卵や、隣町の大きなペットショップで買ってきた冷凍マウスを食べさせた。母は気持ち悪がって餌すら触りたがらなかったが、父が『命の大切さを学ぶ機会だ』と言って蛇の世話を許してくれたのは感謝している。ヒーターや水入れなど、必要なものを買いそろえてくれたのも父だった。

 数ヶ月で、蛇の傷は回復してきた。プラスチックのケースの中を這い回れるほど元気になったのを見て、神社の森に放したのが去年の春のこと。丁度満開だった桜並木の下、森の奥へと蛇が消えていったのを覚えている。生き餌でなくても餌をよく食べ、懐いてくれた、蛇にしては頭のいい子だった。

 そして、わたしが蛇の手当てと世話をしていたのと同じころ。町の野良猫が次々に殺され、あるいは行方不明になるという事件が起こった。母に聞いた話では新聞にも載ったらしい。わたしも子供なりに、町全体が動揺しているのを感じていた。犯人はまだ捕まっていない。



「なにかあったら大声を出して、周りの大人に頼りなさい。……それじゃ、行ってらっしゃい。遅くなるまでに帰るのよ」

「うん。いってきます」

 母に別れを告げて、祭りの非日常に照らされた夕暮れの街へ向かう。着慣れない浴衣と下駄に転びそうになりながら近所の公園に向かうと、待ち合わせていた友達は既に到着していた。

「あっ、ちぐさ来た!」

「お待たせ、みなちゃんにれいちゃん!お祭り行こう!」

 同じ様に浴衣を着た友達ふたりと連れだって大通りに向かう。一年に一度の祭り、この町で一番ひとがあふれるとき。飛び交う呼び声と、時折道をやって来る威勢の良い神輿。りんご飴、金魚すくい、綿あめにくじ引き。小学生には刺激の強すぎる誘惑が溢れる道を歩いていると、気づけば日は完全に暮れていた。

「あっ、もうこんな時間…」

 最初に残念そうに呟いたのはおしゃれな腕時計をつけていたみなちゃん。これ以上遊んでいたら両親に怒られると、涙目で告げる彼女を見送って。わたしはれいちゃんと二人になった。ふとお財布を確認すると、家を出た時に財布をずっしりと膨らませていた銀色の輝きはもう一枚もない。残っているのは鈍い茶色の十円玉が三、四枚。

「どうしよう…もうおこづかい無い…」

 小さな巾着はスーパーボールやおもちゃの指輪、くじで当てた六等のちゃちな景品などでいっぱいになっている。代わりに減ったのは、銀色の硬貨が詰まっていた財布の重量。もう遊べないと泣きそうになったところで、れいちゃんがいいアイデアを提案してくれた。


「鎮守の森を抜けて、花火を見に行こう」


 わたし達の街にある、小さな神社の境内に広がる森。通称、鎮守の森。田舎のようで意外と都会に近いこの辺りでは、一番大きな森だ。迷うというほどの広さでもないが、神社の敷地にあたるうえに奥は人目が全く届かないため、子どもは立ち入りを禁じられている。その森を抜けた先にあるのは、この祭りを締めくくる花火大会が行われる川だ。

 れいちゃんが言うには、普通に神社を迂回していけば遠回りになる。けれど鎮守の森を突っ切れば、花火が始まる前に川辺に着けるそうだ。しかも神社の境内には屋台が無いから人も少ないし、怒られる心配なしに森を探検できるという。禁じられた領域と、祭りのもたらす非日常への高ぶり。わたしは、すぐに頷いた。

 れいちゃんと神社まで向かう。境内に入ると確かに人は少なかったが、お社の前に若い男のひとと女のひとが何組か座り込んでいた。

「休憩場所に使ってるみたいだね。どうする?戻る?」

「ううん、若い人ばっかりだし、わたし達を叱る様な人じゃないと思うよ。……ごめん、ちょっと森に入る前にお手洗い行ってきていい?」

 人目に関しては自信満々に断言したれいちゃんも、提灯の明かりの無い森の暗さに少し緊張したらしい。背後のプレハブから伸びる列にとたとたと走っていく。残されたわたしはれいちゃんを待ちながら、普段はあまり来ることのない神社のお社の裏手に回ってみることにした。ざりざりと足元で響く砂利を踏みしめながら、暗がりへ歩いていく。

 森に面したこちら側はお社の正面よりはるかに暗く、全くひとけが無い。……それに、なんだか怖い気がする。引き返そうとしたわたしの背後に、気配。

 突然背後に現れたそれにびくりとした直後、わたしの体は宙に浮いていた。片足から下駄が滑り落ちる。驚きの声は、ごわついた布に吸い込まれた。担ぎ上げられ、口元にタオルを押し付けられている。状況を認識したのは、わたしを肩に担いだ男の人が森へ走り出してからだった。

「暴れるな。殺すぞ」

 耳元でささやかれる低い声。同時に首元に当てられた冷たい刃物の感触に、恐怖で鳥肌が立つ。肩に押し付けられたまま、わたしは目を閉じて体を縮めることしかできなかった。

 私を持ち上げた人物は森の奥へと走っていくらしい。あそこは誰からも気づかれない場所。こわい、やだ、やめて。『なにかあったら大声を出して』という母の声が頭に浮かぶが、男の脅しを思い出して身動きすら取れない。誰か、助けて。森の奥には、行ってはいけないのに。男はわたしを担いだまま走り続ける。


 ……あれ。鎮守の森って、入ったことはないけど。こんなに、広かったっけ?

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