6-②

 今日の夕飯は、母さんが買ってきたお弁当だった。


「何よ、テンション低いわね。しょうが焼き、気に入らない?」

「別に」


 僕が落ち込んでいることを、母さんはすぐに見抜いてしまう。隠すのが苦手な僕と、見つけるのが得意な母さん。元々分が悪いのだ。


「ご飯を食べてるときに暗くならないでよー。美味しくなくなるじゃない」

「だから、別に暗くないって。母さんと一緒だからってテンションが高いのも変でしょ」


 家に帰ってから、すぐに春奏さんにLEENを送ろうとした。しかし、無理だった。何を言おうとしても投げやりな謝罪にしか思えず、帰り道に何度も空振りしたショックが抜けない僕には、それを送る勇気が出なかったのだ。


 僕自身、少し落ち着こうと思い、いつもどおりの時間に送ることにした。でも、どういう言葉を伝えればいいのかがわからず、今も悩んでいるのだ。


「いつもより暗いから言ってるの。何かあった? 今日どこか行ってたの?」

「なんでもないってば」


 僕は母さんの質問をさえぎる。でも、経験上それは悪手だった。


「……女?」


 ほら来た。今回は本当に好きな人であるだけに、詮索されると困ることになる。泣かれる前に、嘘でもなんでもいいから上手くはぐらかさないと。


「……ちょっと友達とケンカしただけだよ」

「ふーん。もうケンカするような友達ができたんだ?」


 母さんはなぜかうれしそうに言った。


「もう五月後半なんだし、友達くらいできるよ」

「でも、ゆうちゃんはケンカとかできないじゃない。心を開かないからね」


 わかったようなことを言う。しかし、こういうときはいつも、僕自身よりも母さんのほうが僕のことをわかっている。だから、もう少し正直に言うことにした。


「……ケンカというより、怒らせちゃったというか、傷つけたというか……」

「それでも十分珍しいわよ。ゆうちゃんは安全策を取るほうでしょ。怒る前に謝って、自分が悪いで終わらせようとする」


 馬鹿にするように言われるけれど、僕はぐうの音も出なかった。母さんは確実に僕の行動を言い当てているのだから。


「自分の主張をぶつけないから、矢面に立たない。人の心に踏み込ませない、踏み込まない。ゆうちゃんにそうして気にするほどの友達ができただけで、ママはうれしいわよ」


 母さんはこちらの悩みなど知らずに言う。自分としては、自身が弱いだけと思っているけど、母さんから見るとそんな感じらしい。


「……どうやったら仲直りできるものなの?」

「そうねえ……まあ謝るのも大事だけど、なんで謝るのか、つまりは何が悪かったのかをちゃんと伝えること」


 何が悪かったのか。それは桝田先輩の話をしたからだ。でも、それが直接的な原因とは思えない。


「あとはちゃんと話を聞いてあげること」

「聞いてあげる……?」

「怒ったにしても傷ついたにしても、ゆうちゃんの言葉や行動だけでそうなるなんてほとんどないわ。だから、何か別のことでイライラしてたりとか不安があって、ゆうちゃんはそれに触れちゃったんだと思う。そういうのを聞いてあげるの」


 今日の春奏さんは、変化を恐れていた。


 それは牡丹さんとサギのことや、美和ちゃんに桝田先輩との関係の進展を応援されていることで浮き彫りになった。


 春奏さんが悲しそうに言ったのは、桝田先輩を使って遠ざける、というものだった。だからきっと、僕が桝田先輩の話をしたことで、変化への不安に拍車をかけたのだ。


 きっとそれが春奏さんの不安の種だ。聞くことで解消されるなら聞きたいけれど、僕に話してくれるだろうか。まだ僕はそんな存在でいられるのだろうか。


「ゆうちゃんはどうしても仲直りしたいのね」


 僕が黙って悩んでいるのを、母さんはニコニコしながら見ていた。


「そりゃ、まあ……」


 なんだか小さい子の親のような目線だ。僕は少し情けない気持ちになる。


「ゆうちゃんがそういう気持ちをまっすぐに伝えたら、絶対に大丈夫よ。それがゆうちゃんの人徳だから」

「人徳……?」

「誠意が伝わりやすいっていうか、相手が本気で仲直りしたいんだってわかりやすいのよ。もっと自信を持ちなさい」


 それはきっと、僕が不器用だからだ。でも、だから僕の言葉を信じてくれる。夏菜が言ってくれたのもそういうところかもしれない。


 謝りたいならちゃんと本音を伝えないと。春奏さんはそんな僕だから信じてくれたのだ。


 僕は食べるスピードを速める。ほほ笑む母さんを見ないようにしながら、お弁当をたいらげた。



 自分の部屋に戻って、スマホとにらめっこをする。


 常に上の方にあった春奏さんとのトーク履歴は、すでに画面ギリギリまで下に落ちてしまっている。


 昨日くれた美和ちゃん、日常的に使う母さんやサギ、誕生日にくれた牡丹さんや業務連絡をくれる夏菜、グループトーク。春奏さんはそれよりも下にある。


 履歴を見ると、そこにはテスト期間に入る前日の会話が残っていた。このときは春奏さんが「テスト前になるから問題を出す」とか言いながら、関係ない変な問題を出してきたっけ。それが本当にずいぶん前のもので、寂しい気持ちになった。


 時間になるまで、ずっと謝る言葉を考えた。もう寝支度も済ませ、ベッドの上に座り込んでいる。これで長くなっても大丈夫だ。


 初めてLEENを送ったときよりも緊張する。返事がないことへの不安が、あの時よりもずっと大きい。


 もうすぐ八時というタイミングで、僕は文字を打ち始める。そして、送信――


〈 こんばんは。さっきはごめんなさい〉


 送った文章にはすぐ既読がついた。今この瞬間、春奏さんも同じ画面を眺めていたのだ。


 思わぬことに焦る。でも、やることは変わらない。緊張しながら続きを打ち、送信していく。


〈 もう話せなくなるのだけはどうしても嫌だから、ちゃんと正直に言うね〉

〈 本当はあの時、春奏さんが桝田先輩と一緒だったことにショックで、LEENできなくなってたんだ〉


 多分、好意が露骨に出てしまうだろう。本音で伝える以上それは仕方ないけど、告白はまだしたくない。それは単に、LEENでは嫌だからだ。


〈 ドラマみたいに綺麗に見えて、僕が邪魔をする敵役にしかならない気がして〉

〈 それで臆病になって、上手く話す自信がなくなったんだ。情けないけど〉

〈 だから、遠ざけるつもりなんてないんだ。むしろ、もっと話したい〉

〈 それが本音です。もしまた話してくれるなら、いつでもいいから返事をください〉


 僕が長々と打ったそれぞれの文章は、全部即座に既読がついていた。いつでもいいとは言ったけれど、僕は早めに返事をくれると期待して、そのままの画面で待った。


〈うん〉


 返事は本当にすぐに来た。うん、という二文字だけ。僕はどう返せばいいのか悩む。


〈ごめんね〉


 今度は謝罪。それはいつもの癖だと思った。僕は返事をしようと指を動かす。


〈くーくん、謝ってくれると思ってた〉

〈だから私から謝らないとって思ってたのに〉

〈私、ダメだよね〉


 すると、立て続けにメッセージが表示される。どうやら、春奏さんも僕へ送ろうとしていたために、トーク画面を開いていたようだ。


 僕は焦りながら返事を書き換えて送信する。


〈 僕が悪いから僕が謝るんだよ。春奏さんが謝ることないよ〉

〈違うの。私だって一緒だから〉

〈私からLEENすればいいだけなのに、吹部の子といるところを見てから送る勇気なくなってたし〉


〈美和としゃべってるのを見て、私が邪魔してるような気がして悩んでたし〉


 思わぬことに驚いた。あれはやっぱり春奏さんだったのだ。


 僕と美和ちゃんの邪魔……についてはよくわからない。今日だって、むしろもっと会話に入ってほしいくらい、普段どおりだったと思うのに。


〈それなのに私だけ怒って、くーくんを悪者にするような言い方して〉

〈最低だと思う〉

〈 そんなことないよ〉


 なんとかそう返すが、僕の声は届いていなかった。


〈私、いつも人に頼ってばっかりで、情けなくて〉

〈美和や牡丹にもいっぱい迷惑かけてるし〉

〈今までどおりっていうのも、結局私のわがままでしかないし〉

〈それを人に押し付けるのって本当に自分勝手で〉

〈でも、支えてくれてた人が離れていくのは怖くて〉

〈くーくんに優しい言葉をかけてもらう資格なんてないよ〉

〈自己中な自分が嫌い〉


 僕は春奏さんに自分を重ねる。春奏さんも自信がなくて苦しんでいるのだ。


 その自虐に対して有効な言葉を僕は知っている。だから僕が伝えなければならない。


 打っていた文字を消して、また別の言葉を打ち込んでいく。あの時、夏菜が言ってくれたから、僕はがんばれると思ったのだ。


〈 僕は春奏さんが好きだよ〉


 送ってから、僕はとんでもないことをしてしまったと焦った。これじゃあ告白だ。LEENではしないつもりだったのに、肝心なことを直球で言ってしまった。僕は慌てて指を動かす。


〈 春奏さんは美和ちゃんや牡丹さんのことを本当に大切にしてるって思うし〉

〈 二人はそんな春奏さんの気持ちをわかってくれてるから〉

〈 春奏さんに頼られたいって思ってるんじゃないかな〉

〈 僕はLEENを喜んでもらえただけでもうれしかったし〉

〈 自分勝手とか自己中じゃないよ〉

〈 だから、嫌わないでほしい〉


 うっかりの告白を隠すために、僕はLEENを連ねていく。思ったことをそのまま打ったことで、言いたいことが言えたから結果的には良かったかもしれない。


 でも、動揺のあまり、すっかり顔が熱くなってしまった。


 これで、少しは気を楽にしてはもらえないだろうか。読み返すと必死すぎるものだった。でも、多分これが僕らしいと思った。


 緊張しながら返事を待つ。長く短いような時間のあと、スマホが電子音を放った。


〈ありがとう〉


 その五文字に、僕はホッとして胸をなでおろした。


〈私もくーくんのこと大好きだよ〉


 心臓が大きく弾んだような気がした。驚きすぎて思考ができない。


〈くーくんって本当に優しい良い子だよね〉


 次に送られてきたものを見ると、乾いた笑い声が出てしまう。冷静に考えればわかることなのに、衝動的に期待してしまった。単に年上のお姉さん目線での『好き』だったのだ。


〈照れ屋なのに、まっすぐにこっちを見てくれる〉

〈私を安心させる言葉、見つけてくれる〉

〈だから私、美和や牡丹と同じように見て、甘えちゃってるんだと思う〉


 それでも、二人と同じように見てくれるなら、僕としてはうれしいだけだった。きっとそんな風に思ってくれているから、僕は春奏さんを近くに感じられたのだ。


 しかし、春奏さんはそれを悪いと思っているらしい。僕はもどかしくなる。


〈最初、心配かけるような出会い方しちゃって〉

〈くーくんはずっと気にしてくれてるのかなって思ってて〉

〈私、その気持ちを利用して相手をさせてるんじゃないかって〉

〈それを義務とか言ってテスト前まで催促するとか、メチャクチャで〉

〈だから私と話すの、疲れちゃったりしたかなって〉


 春奏さんの不安が連なっていく。何気ない冗談だと思っていたのに、春奏さんは後悔していたようだ。


 僕は改めて春奏さんの言葉を訂正する。


〈 僕がLEENしてるのは気にかけてるわけじゃなくて、したいからしてるだけだよ〉

〈 テスト前でも送ってって言われたのも本当は嬉しかったんだ〉

〈 だから、ごめんね〉


〈謝り癖!〉


 すると、瞬時に春奏さんから叱責がきた。


〈今くーくんに謝られると私が申し訳なさで苦しい・・・〉

〈 う、うん・・・〉

〈ふふふw〉


 春奏さんのいつものテンションが戻ってきた気がする。これで今までどおりになるかもしれない。


〈本当に私が悪いんだよ〉

〈今日のもすねちゃったみたいなものだし〉

〈ホントダメダメだ・・・〉


 しかし、また春奏さんは落ち込み始める。気持ちはわかるけど、春奏さんのネガティブ思考も相当根深いように思った。


〈 本当にそんなことないよ〉

〈ああああああまた暗いこと言っちゃった!〉


 また訂正しようとすると、同時に春奏さんの焦ったような一文が表示された。今度は自分で戻ってきてくれたようだ。


〈ごめんごめん〉

〈自虐の愚痴みたいなのを聞かせることこそダメダメだ・・・〉


 どうしてもこぼれてしまうのだろう。反省の言葉を見ながら、僕は考える。そうだ、これこそ母さんが言っていたことではないだろうか。


 春奏さんは色んなことに不安になった結果、自分のことを責めるのだ。それなら、僕はそれを聞いてあげたいと思った。


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