第三十六回 黄良卿は乱を石勒に告ぐ

 襄國じょうこくにある石勒せきろく張賓ちょうひんに言う。

「先に主上は朝廷に入るよう遺命されたが、吾らは他事にかこつけて赴かなかった。そのため、詔して官職を加えて外鎮に拠って敵を防ぐ大任を委ねられた。新帝の即位にあたって大赦が行われたものの、吾らは上奏して慶賀しておらぬ。これでは、恩に背いて礼を失しておることになろう。そろそろ上奏して慶賀せねばならぬ」

 そう言うところ、外より報せがあって平陽へいようより黄命こうめいが来たという。見れば、全身を白衣に包んだ黄命が入ってくる。白衣はすなわち喪服である。

 石勒が愕いて問う。

「黄良卿ではないか。何ゆえに喪服を着ているのか」

 黄命は走り寄るとその手を執って言う。

「不幸にも劉氏は靳準きんじゅんたばかられ、一族三百人のすべてが殺されました。先帝の陵墓は暴かれて棺は焼き払われ、諸葛宣于しょかつせんうは絶望して世を去りました。吾が兄の黄臣こうしんは老齢のために平陽で先帝の遺骨を納め、吾は復仇すべくここに参ったのです」

 周囲にいる者たちはそれを聞いて慟哭する。

「漢のために尽力し、万死に一生を得て少しく功業を建てたというのに、今やそれも虚しくなるとは」

 みなが哀しむなか、高齢となった張賓は衝撃のあまりに昏倒する。石勒は助け起こして言う。

「吾と右侯ゆうこう(張賓、右長史ゆうちょうしであったためにこう呼ばれた)はともに代々の漢臣であるが、悲哀を過ごしては体にさわろう。劉氏の不幸は木石であっても忍びがたく、道行く者とて怒るであろう。まして、漢臣である卿や吾が哀しまぬはずもない。義に従って仇に報い、逆賊を滅ぼさねばならぬ。慟哭したところで益はない。劉氏の霊を祀った後に進退を議することとしよう」

 張賓と弟の張敬ちょうけいは退出して家に帰ると、漢帝を堂に祀って朝夕に拝する。喪に服して三日の間は出仕しなかった。

 

 ※

 

 石勒が張賓を召して進退を諮ろうと思うところ、王伏都おうふくととともに子の王震おうしんが入ってきた。王震は長安から襄國に駆けつけたのである。

趙王ちょうおう劉曜りゅうよう)は漢の滅亡を悼み、兵を挙げて逆賊を討とうとされています。そのため、吾に書状を託して襄國に遣わされたのです。明公と張燕公ちょうえんこう(張賓、燕公は爵位)にも出兵頂き、ともに義に従って逆賊を滅ぼし、国の仇に報いたいと仰せです。何卒お聞き届け下さい」

「それは吾が願いでもある。しかし、兵が少なければ平陽の大軍に勝てず、多ければ背後を曹嶷そうぎょくに襲われかねぬ」

 石勒の懸念に王震が言う。

「兵の半ばを留めて張季孫ちょうきそん(張敬、季孫は字)、徐普明じょふめい徐光じょこう、普明は字)、孔世魯こうせいろ孔萇こうちょう、世魯は字)、王子春おうししゅんに襄國の留守を委ね、残る一半を率いて平陽に向かわれれば、曹嶷も迂闊には動けますまい」

 それを聞いた孔萇が駁する。

「そう簡単にはいかぬ。数十万の軍勢があるものの、吾らは四方を敵に囲まれているのだ。北には幽州ゆうしゅう段匹殫だんひつせん冀州きしゅう邵輯しょうしゅうがあり、報復の機を窺っておる。南には蘇峻そしゅん李矩りくがあり、北進の機を狙っていよう。曹嶷は腹心の患いであるが、晋の軍勢も無視できぬ。一たび軍勢を動かせば、その隙に乗じようとする者は枚挙に暇がない。根本を奪われて進退に窮すれば、座して滅亡するより道がなくなろう」

 王伏都が割って入る。

「孔世魯の言うとおり、周囲は敵ばかりである。しかして、漢の滅亡を座視しているわけにもいかぬ。ここは張右侯に諮るべきであろう」

 そう言い終わらぬうちに、張賓が姿を現した。声高に言う。

「仇に報いて国の恥を雪がず、紛々と議論だけしているとは何事か」

「まさにそのことを論じていたのです。すぐにでも兵を挙げて平陽に向かうべきという者もあり、妄りに動いては根本の虚を突かれかねぬという者もあり、それぞれに意見が異なります。そのため、右侯のご意見を伺いたく」

 王伏都の言葉を黙殺し、張賓は石勒に問う。

「将軍の存念はいかがか」

「晋の軍勢など物の数にも入らぬ。ただ、曹嶷は漢主に討伐を上奏した吾を深く怨んでいよう。隙を見せれば必ずや噛み付いてくる。出兵を躊躇せざるを得ぬ」

「かつて将軍には立錐の地もなく、東奔西走して劉氏の信任を得られた。それより将兵を得て今日の勲功を建てられた。この場にいる一人として漢の禄を食まない者はおりません。どうして国恩に背いて人を従えられましょう。劉氏の不幸を知って報復を志さぬ者はおりますまい。ましてや、この期に及んで難を避け、躊躇して兵を出さなければ劉氏と趙氏の情誼を捨てたも同然です。しかし、曹嶷は漢の臣であっても油断はできません。書状を送って逆賊を討ち滅ぼすために兵を出すよう求めるのです。求めに従うならば疑うに及ばず、断るならば趙王の命と偽って背信を責め、先に青州を平らげればよいだけのこと。その後に平陽に出兵すればよい。懸念するにも及びません」

「右侯の言うとおりである。能弁の士を選んで青州に遣わし、あわせてその動静を探らせよう。無用の疑いを招かずにやりおおせる者は誰がいようか」

「王子春であれば、能弁にして臨機に処せましょう」

 議論は決死、石勒は書状を認めると、王子春に与えて青州に向かわせた。

 

 ※

 

 青州にある曹嶷は、すでに靳準と通じている。その靳準からの出兵を求める書状を読むと、衆人に言った。

「石勒はこの青州を併呑せんと企ててやがる。だから靳準の野郎と結んだわけだが、こんだけの大事になっちまうと先に結んだとはいえ靳準に与するわけにゃあいかねえな。そのうち、長安の劉曜がこっちにも出兵するよう求めてくるだろうぜ。そん時に兵を出しゃあいいことよ」

 夏國卿かこくけいが同じて言う。

「一理あります。ここは時勢を観望するのが上策でしょう」

 そこに襄國から遣わされた王子春が到着した。迎え入れれば、石勒の書状を呈して言う。

「吾が主の石将軍せきしょうぐん(石勒)からの書状を預かっております。靳準は劉氏を謀って漢を滅ぼしました。趙王の軍勢はすでに滎陽に向かっております。将軍と軍勢を合わせて兵を平陽に向け、ともに逆賊を滅ぼさんとの思し召しでございます。この戦に兵を出さぬ者は、靳準に与する者と見なして先に討ち滅ぼし、国法を正さんとお考えです。将軍におかれましても座視して罪されることがないよう、ご注意下さい」

「俺も靳準のことは聞いたぜ。ちょうど平陽に向かう相談をしていたところだ。とはいえ、一人で平陽に向かっても必勝は期しがてえ。お前が来たのは渡りに船ってもんだ。ご苦労だったな。賓館で休んでてくれや。その間に相談して事を決めておくぜ」

 王子春が退くと、夏國臣かこくしんたちを呼んで言う。

「劉曜は各地の軍勢を合わせて靳準を滅ぼすつもりだぜ。しかし、石勒の使者が先に来るとはな。ここで兵を出すか。長安からの使者を待つか。どうしたもんかな」

「石勒が使者を遣わしたのは、吾らに背後を襲われることを懼れたためでしょう。使者ではあっても吾らの動静を探る間諜でもあるのです。その後に出兵するかを決めるつもりでしょう。吾らが平陽に向かわぬ理由も、同じく石勒を懼れるがため。彼が平陽に向かうというなら、約に応じるのが上策です。この約を拒めば、石勒は平陽に向かわず、まずはこの青州を平らげようとするでしょう。そうなると、進退に窮することとなります。約に応じて平陽に向かわせれば、吾らはひとまず害を避けられます。王子春には、吾らの先鋒はすでにこの地を発っており、吾らも留守を定めた後に平陽に向かうとでも言えばよいのです。その後は座して天下の形勢を観望すればよろしいでしょう」

「まあ、そんなところか」

 曹嶷はその言に従い、夏國卿に三万の軍勢を与えて出兵させ、約に応じる旨を王子春を伝えた。

「返書も認めておいたぜ。ご苦労だが石将軍に渡してくれや。見ての通り、先鋒はすでに出発した。俺も準備が整い次第に平陽に向かう。逆賊を平定できるかは采配次第、平陽の軍勢は靳準に従い、数も少なくはねえ。石将軍がみずからあたらねえと難しいだろうぜ。後顧の憂えがないよう、襄國には精鋭と勇将を残すよう伝えてくれや」

 王子春は曹嶷の返書とともに襄國に還り、石勒に復命する。

「それならば、後顧の憂えなく平陽に向かえるというものだ」

 石勒は十五万の軍勢を発し、石虎せきこを先鋒として平陽に向かわせるとともに、王震に返書を与えて劉曜の許に帰らせたことであった。

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