第三十一回 靳準は書を修めて祖逖に与う

 靳準きんじゅんが遣わした使者は襄國じょうこくにある孔萇こうちょうの許に到り、その書状を呈した。孔萇は書状を一読するとただ笑い、可否を答えない。さらに進んで青州せいしゅうに入った。

 曹嶷そうぎょくひらいて見れば、次のような文が認められている。

 

 布衣ほいの頃からの旧友である靳準より、三齊大都督の曹公に書状を奉る。

 聞くところ、意を満たした者は思わぬところから嫉妬を受けることを懼れねばならぬと申します。今や将軍は十二山河の地である青州を統べられ、石世龍せきせいりゅう石勒せきろく)は漢主に度々上奏して青州の征伐を願っております。

 それがしは青州を併呑することを許しさぬよう堅く主上をお諌めしており、それゆえに石世龍は某とその兄弟を憎んで退けようと企てております。

 時勢を観望するに、某は朝廷に孤立し、将軍もまた外援となる者がありません。

 思い返すに、将軍はかつて辺境にあって某と住まいが近く、古い馴染みであると申せます。それゆえ、特に人を遣わしてこの書状を奉じ、将軍と結んで互いの利を図らんとするのです。

 石世龍が青州を侵すならば某が出兵してその後ろを脅かし、平陽へいように向かうならば将軍が山東を乱すのです。さすれば、石世龍に韓信かんしん彭越ほうえつの智勇があれども、何事も成せますまい。

 将軍におかれては深くこの言葉を思い、某との結盟をお考え下さい。

 

 読み終えた曹嶷が衆人に言う。

「懸念は石勒の野郎が強盛を恃んでこの青州を狙ってやがることだ。靳準と結んで石勒を押さえられるってえなら、それに越したこたあねえ」

 使者を堂上に昇らせて言った。

丞相じょうしょう(靳準)のお言葉に従おうじゃねえか。決して裏切りはしねえ」

 近侍の者が返書を認めて盟約を定め、青州からも平陽に使者を遣わすこととした。靳準は曹嶷の書状を得て悦び、その使者を重く賞して帰らせた。

 

 ※

 

 靳準は靳術きんじゅつに言う。

「お前の計略により、曹嶷と石勒を阻んで東の懸念は晴れた。西の劉永明りゅうえいめい劉曜りゅうよう、永明は字)は親王の一人、どのように処するべきか」

「これで石勒は曹嶷を気にして動けますまい。劉曜の軍勢は厄介ですが、一計にて阻めましょう。滎陽けいようにある李矩りくは数万の軍勢を擁して長安ちょうあんと平陽を窺っております。祖逖そてき豫州よしゅうにあり、劉曜を押さえるに適しております。二人を唆すのが良策です。書状を遣り、『劉燦りゅうさんを殺して山西を以って晋に降りたいが、劉曜が長安にあって大事を行えば必ずや兵を出して阻むであろうため、いまだ行っておりません。二公が劉曜を阻んで頂けるのであれば、必ずや愍帝びんてい司馬熾しばし)と懷帝かいてい司馬業しばぎょう)の仇を討って霊柩を送還し、晋の属国となりましょう』とでも伝えれば、二人は必ずや従いましょう」

 その計略により、能弁の士が選ばれて平陽から滎陽と豫州に遣わされる。

 使者が滎陽に到ると、李矩は迎え入れて来意を問う。使者は靳準の書状を呈して晋に投降したいという言葉を伝えた。李矩は使者を下がらせると、謀士を務める甥の郭誦かくしょうに言う。

劉淵りゅうえん劉聰りゅうそうは中原の士大夫を多く殺したが、その仇に報いておらぬ。天が靳準を使って罪を正そうとしているのであろう。それならば、求めに応じて吾らの恥を雪ぐのを待つのもよかろう」

 ついに使者を召し入れて言う。

靳公きんこう(靳準)のお言葉は承った。長安の軍勢が平陽に向かうようであれば、吾らがその前を阻んで進ませるまい。たとえ阻めなくとも、吾らは必ずや長安に向かってその根本を覆し、代わりに祖豫州そよしゅう(祖逖)を平陽に遣わすであろう」

 その言葉を聞いた使者が言う。

「吾が主君より祖豫州への書状も授けられており、これよりその許に伺いたく存じます。明公のお許しを得たとはいえ、祖豫州が同意されないことも考えられましょう。一筆のお口添えを頂ければ、大事は成就いたしましょう。何卒お許し頂けますよう、お願い申し上げます」

 李矩は使者の願いを容れて書状を認めると、別に自らの使者も豫州に同行させることとした。

 

 ※

 

 祖逖は使者を迎え入れると、靳準の書状を披いて読み終わり、さらに李矩の書状に目を通す。

「漢賊の跳梁は久しく、兵威が盛んであるがゆえ、国の恥を雪ごうとしていまだ果たしておらぬ。今や漢は乱れて靳準が大権を握り、簒奪の心を生じたものの、長安にある劉曜を畏れている。それならば、背中を押してやればよい」

 そう考えると、幕僚たちを集めて言った。

「靳準が吾らに援護を求めておる。靳準は漢の帝位を奪おうと考えており、これは私心によるものだ。だが、吾らにとっても乗ずるべき隙である。その願いを容れて平陽を乱させれば、漢賊を殲滅できぬとも壊乱はこれより始まろう」

「仰るとおり、益はあれども損はございません。すみやかに願いを容れてやり、心を安んじて事を行うよう仕向けるべきです。それから先は情勢を観て兵を出すもよし、様子見を決め込むもよし。いずれに転んでも事にあたるのは吾らではありません」

 祖逖もその意見に同じ、再び使者を召し入れて言う。

「一に李滎陽りえいよう(李矩)のお言葉に従おう。滎陽の境に劉曜を阻むならば、吾らも兵を合わせて拒むであろう。劉曜が戦を捨てて平陽に向かうならば、李滎陽は長安に向かい、吾は平陽に向かってお前の主を救う。平陽に還り、心を安んじて大事を行うよう伝えるがよい。平陽は久しく吾らの捨てた地である。今さら取り返そうとは思わぬゆえ、好きにするがいい。ただ、二帝の霊柩は必ず吾らに返し、約定に背くな」

 使者が返書を求めると、拒んで言う。

「大丈夫は一諾すれば決して背かぬ。書状など役に立たぬ。帰路で余人に見られては大事が破れよう」

 その言葉に使者も納得し、平陽に帰っていった。

 

 ※

 

 李矩と祖逖が劉曜の軍勢を阻み、抜かれれば長安と平陽に軍勢を向けるという計略を使者より聞くと、靳準はいよいよ劉燦を害する準備をはじめる。一方、祖逖は江東に人を遣わして晋帝の司馬睿しばえいに報告した。

 晋帝はその上奏を嘉し、勅使を遣わしてすみやかに事を進めて二帝の霊柩を取り戻すよう命じた。王導おうどうは南陽出身の鄧攸とうゆうを豫州に遣わして霊柩を迎える準備をさせた。

 鄧攸は豫州に到って晋帝の意向を伝え、祖逖は密かに平陽に人を遣わして靳準に催促する。

 靳準は宮中の禁衛兵を己の腹心と入れ替え、さらに平陽城の衙門を掌握した。その日を定めて言う。

諸葛丞相しょかつじょうしょう諸葛宣于しょかつせんう)の誕生日には、百官は慶賀して祝宴に赴き、朝堂には誰もおらぬ。この時こそ大事を行う日である」

 靳準の謀略はすでに形となり、漢朝が平陽に築いたもといは数十年を経てついに破れようとしていたことであった。

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