第二十九回 石虎は謀って邵續を生きながら擒とす

 段匹殫だんひつせん遼西軍りょうせいぐんとの戦で二人の大将と十名を越える士官を喪うとともに数万の兵を挫いた。これでは野戦で勝敗を争えず、城に逃げ込まざるを得ない。

 遼西軍を率いる段末杯だんまつかいは城を囲んで攻めたて、数日もすると城内には不満の声が挙がり始めた。

劉琨りゅうこんを殺さなければこのような窮地に陥らなかったであろうに」

 それを知ると、段匹殫は段叔渾だんしゅくこん段文鴦だんぶんおうに言う。

賢弟けんてい(段文鴦)は詭計にあって矢傷が癒えておらぬ。今や末杯は勝勢に乗じて吾らは窮地にあり、士卒は吾が事を誤ったと怨んでおる。内からの変事は防ぎがたく、城を守ることさえ覚束おぼつかぬ。すみやかに策を講じるべきであろう」

冀州きしゅう邵嗣祖しょうしそ邵續しょうぞく、嗣祖は字)は温羨おんせんの軍勢を合わせて四、五万の兵を擁し、吾らと境を接しております。人を遣って援軍を求めるのがよいでしょう」

 段叔渾の言葉を聞き、段文鴦が懸念して言う。

「邵續は晋人、吾らが劉琨を害したことを怨んで救援などすまい。救援など求めれば、かえって吾らに害をなしかねぬ」

「まずは書状をしたためて様子を見るのがよいでしょう。『段末杯が幽州の併呑を狙っており、幽州を破れば次は冀州と徐々に晋の地を侵すつもりです。古より、唇破れば歯寒しと申します。一族の者にさえ仮借せぬ段末杯のこと、冀州を攻めるにあたって容赦などしますまい。劉太尉りゅうたいい(劉琨)もまた、段末杯に誑かされたのであり、吾らがほしいままに害したわけではございません。その証拠となる書状もございます。吾らはかつて劉太尉を奉じて北地の都督として中原を恢復すべく、温嶠おんきょう江南こうなんに遣わしました。また、辺境の異民族ではあれども、晋室に忠誠を誓って石勒せきろくい、王彭祖おうほうそ王浚おうしゅん、彭祖は字)の仇に報いました。それにより、吾らは幽州に拠っているのです』とでも言えば、晋室に忠義を尽くす邵續は救援を許しましょう」

 段叔渾が重ねて言うと、段匹殫はその言葉に従って書状を認め、胆力に優れて冷静な士卒に与えた。士卒は書状を懐深くに納めると、夜陰に乗じて城を抜け、一路冀州に向かう。

 

 ※

 

 段匹殫の書状を一読した邵續は、救援を躊躇した。

幽州公ゆうしゅうこう(段匹殫)の仰るとおり、段末杯は豺狼さいろうの如き者です。ろうを得れば必ずやその先の蜀を欲して飽くことがございません。幽州が保たれれば、冀州にその爪は届きますまい。明公の御為おためにも救援を出されるべきかと存じます」

 使者の言葉を聞くと、邵續は衆人を集めて事を諮ることとした。

「使者の口上には一理がある。段匹殫は夷狄いてきであるが、吾ら晋人と仇を結んではおらぬ。隣人の禍を救えば、吾が身も安泰でいられるもの、救援の要請を受けるべきであろう」

 邵續の言葉に駁する者はなく、甥の邵竺しょうじくに二万の軍勢を与えて留守を委ね、自らは長子の邵輯しょうしゅうとともに二万の兵を率いて幽州に向かうことと定めた。

 

 ※

 

 連日、段末杯は幽州の城を囲んで攻め立てている。段復辰だんふくしん段疾陸眷だんしつりくけんの軍勢が救援に来なければ、城の失陥は旦夕に迫りつつあった。

 そこに斥候が駆け込んで言う。

「邵續の軍勢が冀州よりこちらに向かっております。段匹殫の救援と見られ、その軍勢はすでに州境にあります」

 段末杯は腹背に敵を受けることを懼れ、兵の半ばを割いて自ら東南より攻め寄せる邵續にあたることとした。両軍が道に遭えば、布陣して対峙となる。

 段末杯が陣頭に馬を立てて言う。

「吾が兄は不仁にも劉太尉りゅうたいい(劉琨)を害した。それゆえ、吾は大晋皇帝の勅命により挙兵してその罪を問う。公もまた晋臣であろう。何ゆえに同僚の悲運を思わず甘言にたぶらかされ、仇に報いよとの君命に背かれるのか」

「お前の行いは人を欺く仮初かりそめのもの、劉群りゅうぐんを操って忠良を害したに過ぎぬ。犬畜生にも劣る卑劣漢を天神が許すはずもあるまい。お前をとりことして罪を正すのみである。妄りに口を動かすに及ばぬ」

 罵られた劉群が怒って馬を飛ばすと、邵續の子の邵輯しょうしゅうが迎え撃つ。二本の鎗が戦場の空を斬り、それを操る四本の腕は片時も留まらない。二人の戦は早くも三十合を超え、それでも勝敗は見えなかった。

 

 ※

 

 この頃、幽州城内の兵士が段匹殫に報せていた。

「段末杯の軍勢が東南に向かっておりますが、その理由は分かりません」

 報告を聞いた段文鴦が言う。

「冀州からの援軍が到着したのであろう。兄上は西北の軍勢を防いで頂きたい。吾は吉銅頭きつどうとうとともに段末杯の背後を襲って打ち破り、軍勢を返して城の包囲を破ります」

 段匹殫はその身を案じて言う。

「傷が癒えつつあるとはいえ、本復にはまだ遠い。敵に臨んでは戦を避けて吾が駆けつけるまで待て」

「吾が行かねば段末杯を破れません」

 そう言うと、甲冑を着込んですぐさま城を出た。目指す先には冀州兵と段末杯の軍勢が挙げる塵埃が立ち昇っている。

 その塵埃の下では冀州兵と遼西兵が乱戦していた。段文鴦と吉銅頭はともに遼西兵の背後から攻めかかる。不意を突かれた遼西兵に抗う術もなく、次々に死傷して半ばの兵が喪われた。

 姫澹きたんも二本の鎗を受けて戦えず、北を指して逃げ奔った。

 衛雄えいゆう烏桓恭うかんきょうが段末杯を救いに駆けつけ、段末杯を追撃する冀州兵と幽州兵を迎え撃つ。そこに城から段叔渾だんしゅくこんの軍勢が死力を尽くして突出し、烏桓恭は乱戦の中に命を落とした。

 折りしも日も暮れかかり、行き場を失った衛雄は拓跋たくばつ六修りくしゅうの妻子を連れて代に逃れた。

 

 ※

 

 一敗地に塗れた段末杯は邵續を深く怨み、敗卒を集めるとともに石勒せきろくに人を遣って援軍を求めた。

「邵續が段匹殫と結んで裴憲はいけんを参謀に迎え、貴公の本拠地である襄國じょうこくを襲って王浚おうしゅんの仇に報いようと企てております。今、劉琨の子の劉濟りゅうせいと劉群は父の段匹殫に報いようとしており、吾は軍勢を発してそれを助けておりますが、邵續めは段匹殫に加勢すべく冀州より兵を出しました。そのため、冀州には兵はおりません。吾が幽州の境で邵續を足止めする間に、貴公が冀州を襲えば、労せずしてその地を得られましょう。この機を逃してはなりません」

 石勒は衆人を集め、事を諮って言う。

「前々から冀州を狙っておったが邵續の防備は堅く、手を出せなかった。天は吾に機会を与えたと観るべきであろう。段末杯は吾が軍勢の力により邵續を退けるつもりであろうが、これは吾にとっても幸いである」

 石虎せきこに五万の軍勢を与えると、即日に冀州に向かわせた。

 

 ※

 

 この時、邵續の軍勢は幽州にある。段匹殫は州境に退いた段末杯がふたたび幽州城に向かうと明言していたため、邵續を城に留めていた。石虎が冀州に軍勢を向けたことなど知る由もない。

 石虎が率いる五万の兵に対し、邵竺しょうじくの軍勢は寡兵に過ぎない。野戦を避けて籠城を選び、周辺の民も城に入れて防備を固めた。さらに、幽州に人を遣って邵續の帰還を求める。

 報せを受けた邵續は驚愕し、段匹殫に言う。

下官げかんは公の呼びかけに応じて段末杯を退けましたが、あろうことか石勒が吾が冀州を襲いました。おそらく、段末杯にそそのかされたのでしょう。段末杯が州境に軍勢を留めているのは、吾の帰還を防ぐために過ぎません。ここを去っても幽州城を襲いはしますまい」

 段匹殫はそれを妨げられず、ただ糧秣を贈って見送りに出るよりない。別れに際して邵續は段匹殫の手を執って言った。

「石勒の軍勢は強大です。この度の戦の帰趨は分かりません」

「唇と歯は相伴わねばならぬもの、あなたからの要請を受ければ、必ずや加勢に駆けつけます」

 段匹殫がそう誓うと、邵續の軍勢は飛ぶように冀州に向かった。

 

 ※

 

 石虎の斥候は邵續の帰還を知ると、馬を馳せて軍営に報じた。

「邵續の軍勢が戻って来るならば、誰ぞが一軍を率いて城に向かう道を阻み、吾が城を陥れるまで足止めするのがよかろう」

 石虎の言葉を聞いた石遵せきじゅんが駁する。

「そうではありません。冀州の城は河北でも筆頭に挙げられる堅城、にわかには攻め落とせますまい。ここは、邵續が到着する前に計略を施すのが上策です。将軍は精鋭を率いて青山の谷中に埋伏して下さい。城に向かう邵續は必ず通る地です。不意を突いて襲えば、必ずや生きながら擒とできましょう。さすれば、冀州の城は落としたも同然です」

 石虎はその計略を容れ、自ら一軍を率いて兵を伏せ、邵續の通過を待ち受けた。

 邵續は伏兵があるとも知らず、一心に城を目指して馬を駆る。酉の刻(十八時)になる頃合に青山の谷口に到った。

「この山道は狭くなっています。軍勢は整然と進めて滞留してはなりません」

 邵輯の言葉に邵續が応じる。

「城の兵は少なく、火中の急にある。日暮れに乗じてこの山を越えれば、人知れず城に近づけよう」

 邵輯を先頭とする軍勢は粛々と谷口から内に入り、邵續は殿軍を務めることとした。狭隘な山道で軍勢は長く伸びざるを得ない。その先頭が谷を抜け出ようとしたところ、砲声の響きとともに谷の左右から伏兵が発する。

 横腹を突かれた冀州兵は抗えず、次々に討たれて倒れ伏した。血が川のように流れ、屍が積み上がる。

「邵續父子を逃がすな。取り逃がしたら容赦はせんぞ」

 石虎の叫び声が戦場に響き、先頭を行く邵輯は後も顧みずに城を目指して奔る。殿軍を務める邵續は包囲され、そこに刀を手に石虎が駆けつける。

 邵續は鎧兜を捨て、兵に紛れて逃れようとするも、見失うことを懼れた石虎は強弓に矢を番え、その背を狙って一矢を放つ。矢は邵續の馬腹に突き立ち、愕いた馬は邵續を振り落とす。

 石虎は馬に鞭して突き進み、ようやく立ち上がった邵續を生きながら擒とした。

 

 ※

 

 城に逃げ込んだ邵輯は敗卒を迎え入れていたが、いつまで経っても父の邵續が戻らない。

「父上はどこにおられるのか」

 問われた敗卒が言う。

「石虎に襲われ、生きながら擒とされました」

 それを知ると大哭して城に入り、邵竺に言う。

「幽州の段匹殫に救援を求め、父上を取り戻して冀州を守り抜くよりあるまい」

 邵竺は石虎の軍勢が攻め寄せる前に人を城から送り出し、幽州に向かわせた。

 翌日の早朝、石虎は陣前に邵續を引き出して言う。

「城内の者たちを投降させ、士民に害が及ばぬようにせよ」

 その言葉をうべない、邵續は縛られたまま城下に進む。

「邵輯と邵竺はよく聞け。この父の素志は忠義を尽くして国家に報いることにある。しかし、不幸にもこのような身となり、もはや為すこともない。お前たちは幽州の段公を報じて冀州を保ち、石勒の軍勢を退けよ。吾が身のために臣節を欠くことは決して許さぬ」

 石虎の兵は慌てて邵續の身を軍営に返した。

 

 ※

 

 邵輯と邵竺は哭して言う。

「忠ならんとすれば孝を尽くせぬ。父上の御心であれば、他に選ぶ道もない」

 それより、冀州の城兵はただ厳しく守って幽州からの救援を待ちわびていた。

 三日後、段匹殫の大軍が冀州に入り、城の東に軍営を置いた。石虎は城と幽州軍の両面を支えざるを得なくなる。報せは冀州の城にも届き、邵輯と邵竺は大いに喜んで城下にある石虎の兵に伝えさせる。

「お前たちは軍勢を退くがよい。明日、吾らは城を出て一戦を挑む。軍営に還って用意を整え、明日の戦に備えよ」

 その言葉が伝わると、石虎は怒って城攻めに向かおうとする。ふたたび石遵が諌める。

「冀州の城は堅く、幽州からの援軍も到った。戦っても勝ち目は薄い。ここは邵續を連れて襄國に引き返し、張右侯ちょうゆうこう張賓ちょうひん)に諮って進退を定めるべきであろう」

 怒りが収まらない石虎であったが、幽州軍にはかつて互角の戦を繰り広げた段文鴦があり、やむなくその言葉に従った。冀州城を包囲する兵を軍勢に戻すと、夜陰に乗じて兵を返した。

 

 ※

 

 翌日、冀州兵と幽州兵が会して布陣するも、辰の刻(午前八時)になっても石虎の軍勢は現れない。人を遣って軍営を探らせれば、石虎は昨夜のうちに兵を返していた。

 邵輯と邵竺は段匹殫とともに城に入って祝宴を張り、段匹殫は麾下の獨孤どくこ忠助ちゅうじょを加勢に留め、自らは幽州に引き揚げた。

 石虎は邵續を伴って襄國に帰還し、石勒に見えさせる。

 石勒は邵續を降らせようとしたが、頑として応じない。その言葉は悲憤慷慨の意に溢れ、凛然として晋室のために死ぬことを求める。決して国家に背かないという気迫に満ちていた。

 石勒はその忠節に接し、縛を解いて賓客として遇することとした。

「これより後、敵に勝っても士大夫を妄りに害してはならぬ。必ずや生きて捕らえよ」

 邵續の気概を知り、諸将にそのように厳命した。

 

 ※

 

 邵竺は人を遣わして江東に上表し、吏部りぶ侍郎じろう韓胤かんいんも上奏して言う。

「北方の藩鎮はただ邵續と李矩りくを残すのみとなりました。邵續は石虎に捕らえられても節を屈さず、石勒のような夷狄であっても礼を尽くして遇しております。身は虜囚となっても独り忠義の心を保っているのです。軍勢を発してその身を救い、国家が忠臣を見捨てぬと知らしめるべきです」

 朝廷の高官たちは、長江、淮水、黄河を越えて河北に進出することは難しく、たとえできても石勒を破らねばならず、現実的ではないと言って反対する。

 晋帝の司馬睿しばえいもそれらの議論に従い、ただ邵輯に冀州刺史の官を襲わせ、段匹殫とともに河北を守るよう詔した。

 時の人々は、邵續の遭難を知り、夷狄が中原を犯して衣冠の士大夫が膝を屈していると嘆いたことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る