第二十五回 漢の劉約は死して後に反魂す

 漢主の劉聰りゅうそう王鑒おうかん曹恂そうじゅんといった忠臣を誅殺ちゅうさつした後、宮中の側柏堂そくはくどうが焼けて二十八人の皇子のうちの二十一人が焼け死んだ。

 十七番目の皇子である劉約りゅうやくは、純朴じゅんぼくな性格で親孝行、友愛の情が篤かった。側柏堂が炎上した際、兄の劉煥りゅうかんを救おうとしてその身に焼けた梁が落ちかかった。

 幸いにも二人とも生き残ったが、劉約は病に伏して立ち上がれなくなる。

 生母の呂后りょごうも劉約の身を憂えて病に倒れ、そのことを知った劉約は母の身を憂えるあまりに絶命した。その身は氷のように冷たくなったが、両手の中指だけはまだ生きているかのように温かい。

 その妻は劉約の死を悼んで埋葬をがえんんじず、婢女はしため十人とともにその屍を世話していた。六日が過ぎると呂后の病も癒え、妻は屍に取りすがって慟哭する。

 胸のあたりを触ってみれば、そこも生きているように温かかった。


 ※


 翌日、婢女たちが退出して沐浴する間に劉約は息を吹き返した。妻が愕いて顔を見つめると、問いかけて言う。

「どうしてお前がここにいるのだ」

「ここは宮中です。貴方は何があったかご存知ないのですか」

「離れてから随分と時が過ぎたように思うのだが」

「貴方が死んでから七日目になります。中指が温かかったので夫婦の情を忘れられず、埋葬せずにいたのです。よく生き返れましたね」

「人目を忍んで外に出れば、高祖こうそ劉淵りゅうえん)が吾を呼ばれたので、そちらに行ったのだ」

「馬鹿を言ってはなりません。先帝がほうじられてどれほど経つと思っているのです」

 その言葉を聞くと、劉約は目を瞑って次のように語った。

 

 気づけば不周山ふしゅうざんの都城におり、冕旒べんりゅう袞服こんふくを身に着けた王者が現れ、吾は殿上に昇るよう命じられた。その王は、「知らぬであろうが、朕はお前の祖父の劉元海りゅうげんかい(劉淵、元海は字)である。ここにある大臣は劉宣りゅうせん劉和りゅうわ劉義りゅうぎである。そちらの三将軍は劉伯根りゅうはくこん劉霊りゅうれい劉宏りゅうこうである」と仰った。

 吾が進んで拝礼すると、「せっかく来たのだから、吾が諸将に引き合わせてやろう」と劉霊将軍は言われ、ともに大きな城に入った。

 宮殿のような建物の門には扁額へんがくがあり、『蒙珠もうしゅ離國りこく行宮あんぐう』の文字が墨痕ぼっこん淋漓りんりと題されており、二重の門を抜けると大きな堂がある。

▼「行宮」は皇帝が国都を離れた際の在所を言う。

 そこでは相国しょうこく陳元達ちんげんたつが中央にあり、左には関継雄かんけいゆう関防かんぼう、継雄は字)と呼延晏こえんあんを筆頭に末座の齊萬年せいばんねんまで十将が並び、右には呼延攸こえんゆう李珪りけいを筆頭に末座の郝元度かくげんどまで十将が並ぶ。

 顧みれば、二門の内には楊興寶ようこうほうがあり、門外に汲桑きゅうそうが立っていた。劉霊将軍に教えられ、吾はすべての人を拝礼した。

汲民徳きゅうみんとく(汲桑、民徳は字)は開国にあたって多くの勲功と建てたと聞き及びますが、何ゆえに門外に置かれているのでしょうか」と吾が問えば、劉霊将軍は次のように言われた。

「汲桑は漢家の功臣であるが、石勒せきろく張孟孫ちょうもうそん張賓ちょうひん、孟孫は字)とともに一方に覇たる野心を懐いておった。それゆえ、漢帝はその罪を許されず、門外に置いているのだ。後に張仲孫ちょうちゅうそん張實ちょうじつ)が来た折にも漢帝はその罪を責められ、『軽重を忘れて大小を知らず、朕が勲功をよみして一路の元帥に任じたにも関わらず、祖父(張飛ちょうひ)が先主せんしゅ劉備りゅうび)と結んだ義兄弟のちぎりを捨てて趙雲ちょううんより近しかった恩愛を忘れ、石勒に臣事した不忠者が何をしに来たのか』と責めれた。張仲孫は恥じて遮須夷國しゃすいこくに姿を隠した」

 ついで、関防将軍が王飛豹おうひひょう王彌おうび、飛豹は綽名)を召し、「卿は劉子通りゅうしつう(劉霊、子通は字)とともに漢の左右の先鋒であった。二人は皇子を伴って崑崙山こんろんさんを見物し、蒙珠国もうしゅこくの王に引き合わせよ。その後は平陽へいように送って長らく留めてはならぬ。その母や妻が帰りを待っている」と言われ、二将は吾を馬に乗せていずこかに向かった。

 崑崙山の高さは三百里を超え、五日ほどでようやく見終わった。その後、国王に謁見すると、王は吾が高祖であった。高祖は吾を連れて宮殿を巡り、一番奥にある安楽宮あんらくきゅうと呼ばれる宮殿に到った。

 入ろうとすると止めて言われる。

「この宮には蜀漢の後主こうしゅ、つまり孝懐こうかい皇帝こうてい劉禅りゅうぜん)がおられる。蜀漢を魏に与えた後主は人に会うことを懼れており、妄りに入ってはならぬ。この地の東北に遮須夷國があり、統治する者がない。お前たち父子が来れば、その地を委ねよう。平陽に還って父にそう告げよ。三年の間に来なければ、他人に奪われよう。お前は二年後にここに戻って来て、先に民を安んじよ。三年の後、吾が国は大いに乱れる。それより先にここに来れば他人に害されることはない」

 その言葉を聞くと、「奸変が生じると知っておられるならば、何ゆえに密かにこれを防ぎ、宗廟そうびょう社稷しゃしょくを安んじられないのですか」と問うた。

 高祖はただ首を横に振り、「人を多く殺したために天数はいかんともできぬ。お前はただ速やかに平陽に還るがよい」と言われ、吾を城から送られた。丸一日行くと猗尼渠餘國いじきょよこくの関を通過し、関守がその国王に報せた。

 国王は駕を遣わして吾を迎え、宮城に到って謁見すると宴会を開いた。その席で吾に皮嚢かわぶくろを与え、「平陽に還った折には、この皮嚢を劉玄明りゅうげんめい(劉聰、玄明は字)に差し上げて欲しい。また、吾は再三に伺っているが、いまだ書を奉じておらず、そのことを罪されぬように申し上げてくれ」と言った。

 いよいよ城を発つ段になると、「劉郎りゅうろう(郎は「若君」の意味)よ。次にここを通る際には城に入って吾に見えられよ。吾が娘を娶わせるゆえ、ご足労を厭われるな」と言い、車馬を与えて吾を返したのだ。

 この堂に入ると婢女たちは逃げ去り、猗尼渠餘國の使いは皮嚢を卓上に置いて帰っていった。疲れたのか立っていられず、内に入って横になり、溜息を吐いたところでお前が来たのだよ。夢かと思っていたが、七日が過ぎているとは思わなかった。

 

 これまでに見聞きしたところを述べると、劉約は改めて言う。

「体の調子も悪くない。茶を一杯貰えるだろうか。吾は聖上に見えてこのことを伝えねばならぬ」

 劉約の妻が人を呼びに出ようとすると、卓上に皮嚢を見つけた。嚢に「渠餘王封」の四字が記されている。妻は劉約に茶を出すと、後宮に入って呂后に見えて事の次第を申し述べる。

 伝え聞いた劉聰が皮嚢を取り寄せて開ければ、内に白玉の簡が入っており、篆書てんしょが記されていた。百官に示しても一人として解する者がない。それは五言の詩であり、次のようなものであった。

 猗尼渠餘國の隣に王たる成都穎が遮須夷國の主に供物を奉げる。

 北斗の三星はいずれも等しく、洛陽らくようよしみを思って吾が胸中に一憂あり。

 すでに賢郎との婚を許し、ふたたび三世の誓いを改めん。

▼『後傳』には「猗尼渠餘國,鄰王成都穎。簡奉遮須主,攝提專相等。當念洛陽善,過我一結軫。已許賢郎婚,再訂三生盟」と作る。これより見て、猗尼渠餘國の王は死後の成都王せいとおう司馬穎しばえいであったと見られる。「遮須主」は劉聰を言い、「攝提」は北斗七星のうちの三つの星を指す。「洛陽善」は劉聰が人質として洛陽にあった折に司馬穎と交友したことを意味し、「結軫」は『楚辞そじ』に由来して胸中の憂いを意味する。「賢郎」は言うまでもなく劉約を指し、婚約によりかつての交友を結び直すことを望む詩と解した。

 劉聰は詩の意味を解すると、愕いて言った。

「そうであるならば、劉約の言葉に応じている。朕が劉約に仔細を問うよりあるまい」

 息を吹き返した劉約は、長らく死んでいたようにはとても見えず、宮の内外に愕かない者がない。謁見して見聞きしたところを語れば、劉聰は嘆息して言う。

「その言葉の通りであれば、朕らは来世も高貴の身を約束されているようなものだ。禍を免れて命を終えるならば、白日はくじつ昇仙しょうせんするのに変わりあるまい。何を憂える必要があろうか」

 遊光遠ゆうこうえんが諌めて言う。

「幽冥の境は茫漠ぼうばくとしてこの世の理とは異なります。ただ臣民の望みに副われるようにされねばなりません」

「劉約の言が茫漠としているとしても、皮嚢と玉簡はどうしてここにあるのか。これこそがその証であろう」

 これより、劉聰は諌めも聞かずに終日を飲宴して送り、大小の政事は靳準きんじゅん王沈おうちんに委ねて顧みなくなった。

 後宮の妃嬪きひんは寵愛を争って威儀は失われ、殴り合いの喧嘩があっても責める者がない。后妃の多くはほしいままに振舞って情欲を満たし、規範に従うことなくただ悠々とその生を愉しむばかりとなったことであった。

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