第十八回 王敦は王稜と王如を害す

 晋では王敦おうとんの配下に人が集って勢威を増しつつあり、兵を募って兵糧を貯え、ついに自ら事を断じた後に朝廷に報告するようになっていた。晋帝の司馬睿しばえいは、王敦に不臣の心があるのではないかと疑い、その弟である王導おうどうに言う。

「王敦は勢威に驕って朝廷を軽んじておる。後日、必ずや不道をなすであろう。卿は兄をどのように観ているか」

「王敦は臣の庶兄しょけいでありますが、その行いは臣とまったく異なり、憂慮しております。先に周訪しゅうほう襄陽じょうように、甘卓かんたく南郡なんぐんに、荀崧じゅんすう皖城かんじょうに置くようお勧めしたのは、すべてそのためです。この三人は忠心も厚く、国家に身を尽くして悔いません。節を守る者と呼んでよいでしょう。また、兄の王澄おうちょうは王敦と反りが合わず、桂陽けいように鎮守させれば王敦が不軌を行うに先んじて除こうとするでしょう。王澄は剛直さを欠きますので、あわせて王稜おうりょう長沙ちょうさに置いて連繋させれば、王敦も手出しできますまい」

 晋帝はその言に従い、王澄と王稜を桂陽と長沙に遣わした。

 王敦はこれを知ると、建康けんこうにある党与に王澄を謗らせる。

「王澄は清談を好んで政事に通じてはおりません。この者に大郡を委ねれば、必ずや国家を誤って士民に害をなしましょう。先に荊州けいしゅうに鎮守した際にも、配下の葉彦通しょうげんつう杜弢ととうの叛乱に与しました。さらに、参軍さんぐん内史ないし王機おうきが重罪を犯したにも関わらず、取り逃がしております。その後、王機が叛乱して廣州の民を害したことはみなが知るところです。外任を任せれば、荊州は必ず乱れましょう」

▼「参軍内史」という官は晋代に存在しない。「参軍」は官署の一部署を統べる官、内史は封国における郡太守と考えればよい。

 さらに、人を遣って長江を溯上する王澄を迎え、駅の宿舎に引き入れさせる。王敦の使人は身分を偽って校尉こういと称し、詔により王澄を斬刑に処すると宣告した。

 王澄が言う。

「吾は陛下のご命令を受けて赴任するのだ。その詔はどこから出たものか」

「朝廷では、賢兄が酒に耽って職務を怠り、杜弢が叛乱すれば任を捨てて沓中とうちゅうに逃れたと弾劾されている。吾は弁護したが容れられず、代わりに詔を下されたのだ。どうして罪がないと言えようか。しかし、吾は弟の身であれば、兄を害するようなことはせぬ」

 王敦はそう言うと、王澄を自室に引き取らせた。その夜、何者かが就寝中の王澄をくびころした。


 ※


 王敦は王澄の屍を納め、追って到着した王稜とともに葬る。王稜は王敦の差し金と覚ったものの、何も言えなかった。

「賢弟は勅命を受けて長沙に赴任されると聞く。兄は罪を畏れて自裁じさいされ、桂陽に鎮守する者がおらぬ。長沙は吾が兼ねて治められよう。賢弟は兄に代わって桂陽に向かうのがよかろう。朝廷に願い出るがいい」

 王敦がそう言うと、王稜は逆らわず桂陽に向かった。桂陽に入ると、王敦に害されるかと懼れ、密かに兵を募って備えを設ける。そこにある者が言う。

「漢の王彌おうびの弟である王如おうじょという者がおります。この者は兄が石勒せきろくに殺されたために荊州に逃れ、先に湘陰しょういんで石勒と戦い、敗れてこのあたりに潜んでいるようです。聞くところ、賊徒となるつもりはないようで、身を寄せる先を求めているとのことです。麾下に招かれてはいかがでしょう」

 王稜はそれを聞くと、王如の許に人を遣わした。王如は王稜の招きを喜び、桂陽に身を投じた。王如を招いたことが王敦の疑いを惹くかと懼れ、武昌ぶしょうにある王敦に報せる。王敦は王如を桂陽の都尉といに任じた。

 王稜は王如の驍勇ぎょうゆうを喜び、腹心に任じてどこに行くにも帯同する。ある日、王如とともに武昌の王敦に謁見し、その後に王敦の屋敷で武芸を披露することとなった。

 この頃、江南の将兵は武芸に優れておらず、王如の前で刀鎗や弓の術を披露した者はいずれも法に則していなかった。王如は進み出て言う。

小将しょうしょう(武官が目上に遣う自称)は官職をかたじけなくしながら、恩義に報いておりません。本日は武芸を披露し、後日には軍功を挙げて大恩に報じたく存じます」

 王敦が許すと、王如は講武場に出て射術を披露する。居並ぶ将兵にはその技に及ぶ者はいなかった。王敦の麾下にある諸将は面白くなく、王如と武芸の優劣を競ったものの勝つ者がない。王敦はその驍勇を知ると、王如が王稜の麾下にあることを不快に感じた。

 王稜はそれを覚り、桂陽に帰ると王如を二十回ほども杖で打って戒める。

「漢の将軍として英雄を讃えられた吾がこのように辱められるとは。勝負に勝つことを愧じるなど聞いたこともないわ」

 王如は深く王稜を怨んだ。

 この時、王敦は不臣の心を懐いており、ほしいままに振舞っていた。王稜は書状をしたため、朝廷に背いて家門を辱めぬよう諌めた。王敦は怒ったものの王稜を殺しては外聞が悪く、手の打ちようがない。

 王如が王稜を怨んでいると聞くと、密かに人を遣わして王稜を殺せば桂陽の太守に任用すると唆す。王如は計略であるとは知らず、その勧めに応じた。

 ある日、王稜が酒を呑んでいると、王如が剣舞けんぶを披露すると言って刀を抜いた。剣舞に託して刀を振るい、王稜を斬り殺した。兵たちは武昌に奔って王敦に報せる。

「王如が何ゆえに吾が弟を害したのか」

 王敦は愕いたふりをしてそう言うと、事情を聞くために王如を武昌に召し出した。王如は疑いもせずに武昌に到り、すぐさま捕縛される。弁明したものの容れられず、ついに斬刑に処せられた。

 王敦は一計により二人の敵を除いたことであった。

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