続三国志演義III─通俗續後三國志後編─

河東竹緒

通俗續後三國志後編

第二十七章 斜陽

第一回 司馬保は帝号を建てんと欲す

 晋の建興けんこう四年(三一六年)の九月、漢の大将軍の劉曜りゅうようは、二十数万の軍勢により長安ちょうあんを攻めた。晋帝の司馬業しばぎょうは漢の軍門に降り、平陽へいようの獄に自裁じさいして果てた。

 死後、司馬業は愍帝びんていおくりなされる。

 漢に降る直前、司馬業は平東へいとう将軍の宋哲そうてつみことのりを託して江南こうなんに遣わした。その詔には、瑯琊王ろうやおう司馬睿しばえい)が帝位にいて宗廟そうびょうを保ち、漢に復仇ふっきゅうするよう命じていた。

 また、黄門侍郎こうもんじろう史淑ししゅくという者が涼州りょうしゅうに遣わされた。その任は、詔して張寔ちょうしょく西涼郡公せいりょうぐんこうの爵位を加え、節鉞せつえつを授けて都督ととく五郡ごぐん軍事ぐんじに任じ、瑯琊王と心を合わせて晋室を再興せよと命じるものであった。

▼史淑の官は原文では「黄門議郎」とするが、存在しない。黄門侍郎の誤りと見て改めた。

 張寔に授けられた詔には、「公は憐憫れんびんの心をもって瑯琊王を支え、ともに艱難かんなんを乗り越えよ」とねんごろな言葉でくくられている。

 張寔とその叔父である西海公せいかいこう張粛ちょうしゅくは詔を受けて大いにこくし、官爵を辞退して受けない。

 司馬業の所在を問えば、史淑が言う。

「聖上は長安を出て降られるお覚悟でした。今から救おうにも及びますまい」

 張粛は張寔の目を見ると、一声嘆いて昏倒した。張寔が介抱し、ようやく目を開けると言う。

「天は吾が自ら長安に向かうを許さぬか。お前が自ら長安に向かえ。大将を遣わして大事を誤るなど許されぬ」

 目を怒らせてそう叫ぶと、再び意識を失った。

 その夜、張粛は「すみやかに軍勢を発せよ」と三度叫び、世を去った。


 ※


 張粛の憤死を見た張寔は、韓璞かんはくたちを長安に遣わして漢軍を討つと定め、秦州しんしゅうにある相国しょうこく司馬保しばほに書状を送った。

「今や晋室は危機に瀕しており、この大事にあたって身命をなげうたねば大丈夫だいじょうふとは申せません。この張寔は先に北地ほくち太守の賈騫かけんに檄文を遣ってともに国難に趣きました。しかし、勅命を受けて軍勢を涼州に返し、今となっても何ゆえにそのような命を受けたか解しかねております。『朝廷が傾覆した』との噂を聞くに及び、忠節をあらわそうにもその術がございません。この憤りと怨みはたとえ死しても拭いきれません。そのため、再び韓璞と張閬ちょうろうが率いる一万の軍勢を遣わして漢賊の乱を清めたく存じます。関中かんちゅうに入れば相国に従うよう命じておりますので、ご命令頂けますよう、伏してお願い申し上げます」

 書状を読んだ司馬保は己を恥ずかしく思い、蓋濤がいとう宋毅そうき辛滔しんとう張選ちょうせん董廣とうこうに三万の軍勢を与え、関中にある和苞わほう胡崧こすう宋輯そうしゅうの軍勢と合流して長安を救うよう命じた。

 秦州を発した諸将が新陽しんように到った時、軍勢を返す胡崧と行き遭った。

 胡崧が言う。

「長安はすでに陥った。聖上は城を出て漢賊に降り、平陽に連れ去られたと聞く。漢賊の軍勢は盛んで長安の恢復かいふくは難しい。ひとまず秦州に還って各地の藩鎮と盟約を結び、軍勢を合わせて長安に向かわねば恢復できまい」

 蓋濤たちはその言葉に従い、秦州に馬を返した。


 ※


 この時、韓璞たちは長谷ちょうこく羌族きょうぞくに前を阻まれていた。一月が過ぎて糧秣が乏しくなった頃、涼州にある張寔より進軍を促す使者があり、軍勢を長谷から覇上はじょうに移した。漢軍の様子を探った間諜が言う。

「漢賊の呼延顥こえんこう黄臣こうしん劉燦りゅうさんが十万の軍勢を留めており、長安に向かう焦嵩しょうすう竺恢じくかいらを阻んでおります」

 韓璞が軍勢を進めようとすると、糧秣をつかさどる者が進み出て言う。

「すでに長安は陥って聖上も連れ去られたと言います。糧秣も乏しく、進んだところで益はありますまい」

「主命を奉じて国家の急を救うにあたり、敵に遭わずに軍勢を返すなどということが許されようか」

 そう言うと、韓璞は軍勢に伴っていた荷運びの牛や弱った馬を殺して兵士に振舞い、涙ながらに叫んで問う。

「お前たちは父母を思い出すか」

「思い出します」

「妻子の命を惜しむか」

「惜しみます」

「生きて故郷に帰りたいか」

「生きて帰りたいです」

 兵の言葉を聞いた韓璞が言う。

「それならば、吾が命を聞け。吾らは主命を奉じて長安を救いに来た。それにも関わらず、軍期に及ばず長安は陥り、一弓を張らず一矢を発することなく軍勢を返せば、西平公せいへいこう(張寔)がどうしてお前たちの家族を罪せずにいようか。ましてや、お前たち自身が罪されぬことなどあり得ぬ。先に王該おうがいは戦勝して軍勢を返したが、なお斬刑に処せられようとした。それはお前たちも見聞きしたところであろう」

「王将軍は秦州の軍勢が進まなかったという理由で罪を許されましたが、吾らが軍勢を返せば言い訳ができません。どうするべきでしょうか」

「ただ命を賭けて覇上の漢賊を攻め破り、西平公の望みを叶えるよりない」

「ご命令に従うのみです。ただ、吾らは少なく、漢賊は多く、必ずしも勝てぬのではないかと懼れております」

「焦嵩や華輯かしゅうの軍勢が漢賊と対峙している。吾らが先頭に立って斬り込めば、必ずや漢賊は怯む。一陣を破れば、外援の軍勢と合流して長安を取り戻せよう。さすれば、吾らの大功となる」

 涼州兵はそれを聞くと勇躍し、ただちに漢軍の陣に攻め向かった。


 ※


 漢軍は攻め寄せる涼州兵を見て陣をひらいた。

 韓璞と陰預いんよが先頭に立って漢陣に斬り込み、後につづく兵士は鬨の声を挙げて従う。攻め込む涼州兵は一をもって百にあたる勢い、漢兵は多勢であっても備えを欠き、陣を斬り乱された。

 一戦に数千の死者を出した漢兵は、日暮れを待って軍勢を退く。

 翌日も戦はつづき、数に勝る漢兵は岩のように動かず涼州兵の攻撃を支え、糧秣はいよいよ乏しくなる。

 韓璞が心中に懊悩するところ、宋始そうし、竺恢、焦嵩、華輯の軍勢が呼応して漢陣を崩し、その日の戦を切り抜けるを得た。いよいよ軍勢を返さざるを得ぬかと思うところ、金城きんじょうで兵糧を借りるべく道を分けた張閬が到着する。

 糧秣が整った韓璞、王該、宋始、焦嵩は三面から漢陣に攻めかかる。晋軍は一万を超える漢兵を討ち取り、漢兵は支えきれず長安の城に逃げ込んだ。

「これで少しは主命を果たせた」

 韓璞はそう言うと、華輯や宋始と長安の恢復に向けた軍議を開く。

 その場で華輯が言う。

「臣たるものは晋室の再興に命を捨てて忠心を尽くすべきである。しかし、聖上はすでに漢賊の手に陥り、吾らは誰を主と仰げばよいのか。これでは成功は期しがたい。しばらく軍勢を退いて江東こうとうに人を遣わし、瑯琊王の出兵を待って漢賊を退けるべきであろう」

 韓璞も漢兵の多勢と糧秣の不安を思い、ついに軍勢を涼州に返すことと決めた。


 ※


 秦州にある司馬保は胡崧の復命ふくめいにより長安の失陥を聞き、関中内外の諸郡を糾合して長安を恢復せんと図るも、胡崧が諌めて言う。

「軽々しく事を挙げてはなりません。名号を立てて藩鎮に命じるべきです」

 張春ちょうしゅんも進み出て言う。

「大王が自立されようとしても、衆心は従いますまい。諸侯にあって名望で西平公に優る者はおりません。彼が従えば、大事は定まったようなものでございます」

 胡崧もその論に同じ、南陽王なんようおう(司馬保)の子を帝に擁して漢賊を退けるよう、諸藩鎮に檄文を送り遣った。張寔はその檄文を見ると、衆人に事を諮る。

 從事じゅうじ張侁ちょうせんが檄文を手に言う。

「南陽王の子は幼児に過ぎません。幼児を擁したところで大事がなるはずもありますまい。漢賊が二度に渡って長安を攻めたにも関わらず、藩鎮で兵を出して救いに向かった者は数えるに足りず、これ幸いと天下の趨勢を観望しております。これだけを観ても藩鎮の心は見え透いておりましょう。どうして天が幼児をたすけて皇統を守らせましょうや。まして漢賊を退けることを先にせず、莫大の恥を忘れて妄りに自らをたっとんでいるようにしか見えません。つまり、徳は天運に応じるに足りず、才は衆人を服するに及ばず、その敗亡は遠からず至りましょう。どうして従う必要がありましょうか」

 その進言をれ、張寔はこの檄文を黙殺することとした。

 隴西ろうせいの諸郡はそれを知ると、次のように言い合った。

「先に『秦川しんせんの中、血は腕を没し、ただ涼州のみありて柱観ちゅうかんる』という童謡があった。今や咸陽かんようは漢賊に破られ、梁州りょうしゅう陳安ちんあんの叛乱により民の十に五、六は殺され、血が流れて川をなす有様、秦州はまだ保たれているものの、遠からず禍にかかろう。西平公が檄文に応じないのは童謡に応じているのだ」

▼『秦川の中、血は腕を没し、ただ涼州のみありて柱観に倚る』は、原文では「血は腕に満ち」とするが、『資治通鑑』などの記事により改めた。柱観は立派な建物と解するのがよく、「秦州は戦で血に染まって涼州だけは平和が保たれて民は平穏に暮らす」と解される。

 ついに諸郡は胡崧の意に従わず、司馬保をたっとばなかったことであった。

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